元朝日館の女将のてんてこ舞日記


東日本大震災で被災した小さな旅館の女将の日々
by asahikanokami
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・・・それだば・・・ちょこっと・・・違う人のようだ・・・

さて、5日はおじの告別式だったと昨日の日記に書きました。

その後、35日までの法要をして、それからホテルに場所を移して直会が行なわれました。いわゆるお精進落としです。

その席で品の良い80歳は過ぎていると思われる老紳士と隣席になりました。

「あんだは故人とどんなご関係ぎゃ?(ご関係ですか?)」

「故人の妻が母の妹です」

「なに!あんたはお姉さんの娘さん?」

以下秋田弁の翻訳も書くのは面倒なので、標準語のみで書きます。

「実はあんたのお母さんはボクの初恋の人だったんです(遠い目)」

「まあ!そうですか。母は10年前に亡くなったんですよ(しみじみ)」

「あんたのお母さんは美人だった・・・・。しかし(まじまじと私の顔を見て)あんたはお母さんに全然似てないなあ(落胆)」

「(内心むっ!)・・そうですか・・・」

祖母は美人でした。その昔、小町と呼ばれていたそうです。二回も夫と死別して、しかもそれぞれの夫との間に子どもまでいたのに、三回目の結婚が出来たのもその美貌のせいもあったと思います。

若い頃、外出すると若い男性がぞろぞろと後をついてきたそうです。巻紙のラブレターがいっぱい届いたので、炊き付けにしてお風呂を沸かして入ったと言う話も聞きました。

母は若い頃

「お母さんほど美人ではない」

と言われて育って、乙女心を傷つけられたそうです。

祖母から母、そして私と代が変わるたびに美人の遺伝子がどんどん薄くなりました。その老紳士の一言でほんのちょっとだけ、乙女心ならぬおばさん心が・・・・傷つきました。(うそです。そんなことぐらいでは傷つかないのがおばさんです)

横手に行くのなら母も連れて行ってやろうと母の写真を持参していたのを思い出して、バックから母の晩年の写真を出して老紳士にお見せしました。

「母の写真です」

すると嬉しそうにめがねを取り出しておもむろにかけて、じっと写真を見ていた老紳士が、しぼり出すような声で言いました。

「・・・それだば(それは)・・・ちょこっと・・・違う人のようだ・・・。俺がおべだ(覚えている)哲子さんは・・・めんこい(かわいい)女学生だった・・・・・」

あららら、余計なことをして初恋の夢を壊してしまったかも。ごめんなさい。

でもね、時が経つとかわいい女学生もおばさんになり、そしてやがてはお婆さんになるのですよ。

by asahikanokami | 2006-03-07 20:58 | 我が家の日常
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