朝日館の女将のてんてこ舞日記


東日本大震災で被災した小さな旅館の女将の日々
by asahikanokami
カテゴリ
以前の記事
お気に入りブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧

緑水会

今を去ること40年前、仙台市の緑水庵というお茶室でお茶会を開催しました。

開催したのは、宮城学院女子短大&女子大の茶道部の二年生、14人。

「まぁ!なんと無謀な!あなた達は、お茶のお稽古を始めてやっと一年たったばかりでしょう。それなのにお茶会なんて・・・・・」
という先生の驚きと絶句をよそに、茶道のなんたるかも知らない乙女たち14名が
「やってやれないことはないよね」
と、行動を開始したのでした。

しかし、物事を知らないというのは恐ろしいものです。茶道の奥深さ、むずかしさに気がついたのは、お茶会を開催するわずか前。慌てても遅い!!

それから必死でお稽古をし、準備をしました。ほとんど毎日集まっては、ああでもない、こうでもないとディスカッションと準備の毎日でした。

お茶会を自分たちでやるとなると、考えていた以上に、とても、とても、とても大変でした。
まず何と言ってもお茶会ですからお茶を立てなければなりません。必死にお稽古しました。

それから貸して下さるお茶室探しです。いろいろ探し回って、仙台市がお茶室を貸してくれるという事を知りました。それが緑水庵です。

そしてお茶席券の手売り。当日、何人のお客様が来て下さるかの目安になります。人数が少ないと赤字になるので、友人や家族に押し売りしました。

お菓子の手配。季節のお菓子を有名なお菓子屋さんに注文しました。「水」と「鮎」という二種類だったと思います。

お茶会用の道具の調達。
お茶わんや茶杓などの道具には、銘があって、その銘(名前)がその季節にふさわしいかどうか。掛け軸や当日焚くお香なども同じです。こちらは先生が高価なお道具を貸して下さるとおっしゃってくださいましたが、今の自分たちに高価なものは似合わないからと、持ち合わせのお道具を持ち寄りました。

そして、今一番思い出すのは、前日に大学から緑水庵まで、道具の数々をリアカーに山積みにして(当時は車を持っている人は皆無でした)運んだこと。

仙台のど真ん中。女子大生がリアカーを引いて歩くのですから、リアカーも引くけど人目も引きます。ものすごく恥ずかしくて、皆無口で、下を向いて足早に歩きました。今思い出しても笑ってしまいます。

当日も大変でした。

掛け軸の位置。茶花の生け方。お菓子の盛り付け一つでもとても気を使ったことを覚えています。

お掃除も、露地の飛び石を一つ一つ磨き上げ、雑巾がけしました。お茶席までの通路の庭木の葉も、歩く人が触りそうな場所は、葉っぱの一枚一枚まで拭いて、着物が汚れないように気を使いました。

よくわからないことばかりだったので、毎日、頭をくっつけて勉強会をしました。おかげで、とてもよい経験になり勉強になりました。このお茶会の成功が、一番の良い思い出になっています。

お茶会終了後に、メンバー14名で「緑水会」を結成しました。卒業後は、一度集まったことがありましたが、それぞれ結婚やら、出産やら、子育てやら、その後の両親の介護など、いろいろなことがあって、集まる機会がありませんでした。

メンバーの一人から
「久しぶりに集まりませんか?」
と手紙が届き、明日、14名中12名が我が家で同級会ということになりました。

40年ぶりです。花も恥じらう乙女は今どうなっているのでしょうか?
楽しみでもあり、恐ろしくも(笑)あります。

お孫さんがいるメンバーも多いので、孫自慢をいっぱい聞かされそうです。

by asahikanokami | 2010-10-02 22:04 | 私のこと
<< 水無月のお茶会 カラスの話 >>