朝日館の女将のてんてこ舞日記


東日本大震災で被災した小さな旅館の女将の日々
by asahikanokami
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宮地房江先生のこと

一番うれしかった話の次に、宮地先生のことを書くことになってしまって、ちょっと悲しいです。

同級会から一夜明けて、6日の新聞に大きく写真入りで載っていたのは、宮地房江先生の訃報でした。

宮地先生は染色家として国内外に有名な方です。その作品は、大きなタペストリー4枚の「宮城の四季」が、仙台市博物館に収蔵されているのをはじめ、昭和天皇、皇后や、アメリカのルーズベルト大統領にも献上されました。

新聞によると、享年99歳とのこと。先生は御長命だったんですね。

私は宮城学院家政科で、二年間染色を教えていただきました。今思うと、その頃の先生は私よりもずっとお若かったはずですが、その当時はものすごくご年配の先生という印象でした。

とても優しい先生で、研究室までわからなかったことを質問に行くと、紅茶を出してくださって、長時間、わかるまで熱心に個人授業をしてくださいました。

また、ある日、級友が染料をこぼして、自分の白衣が染まったことがあります。すると先生が
「すぐにお脱ぎなさい。脱色してあげますから」
とおっしゃいました。級友が
「先生にお願いするわけにいきませんから、家に帰って自分で洗濯します」
と言うと
「遠慮すること無いのよ。私の方が脱色するのは上手だと思うから。ほら、お脱ぎなさい。この次の授業まで洗濯をしてきてあげますから」
とおっしゃって、次回の授業の時には真っ白になった白衣を持ってきて下さったのでした。

ロウケツ染がお好きな先生で、卒業試験はロウケツ染でした。私は一生懸命に染めた布なので、布のままにしておくことができなくて、茶道の懐紙入れを作って提出しました。

その時に
「何か作品にして提出したのはあなたが始めてよ。こんな風に作品にして、大事に使ってもらったら、染めた布も喜ぶと思うわ」
と、とても喜んでくださって、上手でもない私の作品に98点の最高点を付けてくださいました。

卒業後、私は岐阜の製糸工場の中にある学園で家庭科を教えていました。その時に、授業で染色をしようと思い、材料をどこで買ったらよいのか、先生にお手紙を出したことがあります。

とても大きな封筒が届いて、丁寧なお返事と染色材料のパンフレットが入っていました。たぶんお礼に何か送ったと思うのですが(このあたりの記憶があいまい)先生から藍色のロウケツ染の花瓶敷きをいただきました。

結婚後、新聞で先生のタペストリーが仙台市博物館に収蔵されることになり、そのお披露目があると載っていました。早速、博物館に出かけて大きな大きなタペストリーを感激しながら拝見しました。
「私はこの先生に教えていただいたのよ」
ととても誇らしく思ったものです。

新聞によると、数々の美術展で受賞なさっていらっしゃったとのこと。

気まぐれなロウを自在に操り、ロウが描き出す柔らかな線を「ロウのユーモア」と呼んでいらっしゃった先生。

「年中ロウに触っているから、私の手は乾燥してガサガサなのよ」
とおっしゃってほほえんだ先生。

次から次と宮地先生のことが思い出されます。

先生どうぞやすらかにお眠りください。心からご冥福をお祈りいたします。
ありがとうございました。

by asahikanokami | 2010-10-08 20:50 | 私のこと
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