朝日館の女将のてんてこ舞日記


東日本大震災で被災した小さな旅館の女将の日々
by asahikanokami
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朝はどこから

御法事の準備のために買い物に出かけました。カーラジオから聞き覚えのある曲が流れてきました。

ギター演奏だけで歌は無かったのですが、自然に歌が口を衝いて出てきました。


『朝はどこから 来るかしら

 あの空越えて 雲越えて

 光の国から 来るかしら

 いえいえ そうではありません

 それは希望の家庭から

 朝が来る来る 朝が来る

 「お早よう」 「お早よう」』

母がいつも歌ってくれた懐かしい歌。

父は歌が上手でしたが、母はちょっと音痴でした。私は母の血を引きました。

それでも何かにつけて母は歌っていたような気がします。寝起きが悪い私を起こす時はいつもこんな歌を歌ってくれました。

『起こされたら飛び起きよ

 ぐずぐず言わず機嫌よく

 朝は今日の始めです
 
 よわ虫毛虫はさんで捨てろ』

こんな歌があったのでしょうか?それともこの歌は母の創作でしょうか? 今となっては真相を聞くこともできません。

ラジオから流れてきた曲は、一瞬のうちに、私をあの岩泉の国鉄官舎の我が家へ連れて行ってくれました。そこにいたのは、割烹着を着た若い母。

母は機嫌よく歌いながら洗濯物を軒先の竿竹に干しています。

「朝はどこからくるかしら♪」

ちょっと音程の外れた母の歌。

「おかあさん!」

思わず母に呼び掛けて、はっと我に返り、そしてちょっと涙が出ました。

by asahikanokami | 2011-01-16 20:57 | 私のこと | Comments(2)
Commented by あっつぁん at 2011-01-17 20:59 x
「朝はどこから」
あの伸びやかな岡本敦郎(あつお)の歌声が
聞こえてきます
岡本敦郎といえば「高原列車は行くよ」
家の前に垣根があって
よくそれに登って
その歌を大声で歌っていました
そのころ本当に近くのM家に寄宿して
いたのですか
小学校に入る前のことです
Commented by 朝日館女将 at 2011-01-22 00:06 x
*あっつぁん*

すごい!!あっつぁんは歌っていた人まで記憶していたのね!!

私が尼額に住んでいたのは一歳ごろまでなのです。その後はかぎやのお隣の「かたろうさん(どういう字を書くかわかりません)」の二階を間借りしていたらしいです。たぶん二歳ぐらいまで。

その後は4歳ぐらいまで、滋子ちゃんの家の前を川沿いに歩いてすぐの所にある国鉄の独身寮の舎監として住みこんだらしいです。

川向かいが橋場の美恵子ちゃんのお家でした。

三本松の官舎が出来上がったので引っ越して、後はずっとそこに住んでいました。

尼額のМ家には夏休みなどに遊びに行って泊まったりしてました。お家の前の川で遊んだことがありますよ。釣りもしたけど何か釣った記憶が無いから、きっとなにも釣れなかったのかもね。
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