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今朝、新地町の復旧援助のために駐在していた自衛隊岡山師団の方たちが帰って行きました。
3月11日の大震災。道路もまだズタズタだったのにすぐに駆けつけてきて、行方不明者の捜索、道路のなどの復旧を開始してくれました。 あれからはや3カ月。その間1日の休みもなく新地町の復旧に汗を流してくれました。ほんとうにありがたかったです。 水道が止まっているときの給水車、避難所生活に慣れるまでご飯を炊いてくれたのもありがたかったです。 道路で自衛隊車とすれ違った時、手を振ると挙手して応えてくれるし、作業中に感謝の言葉をかけると飛びっきりの笑顔が返って来ました。 3ヶ月も一緒にいると、自衛隊の皆さんも新地町民でいるような親近感を覚えているのは私だけではないと思います。 仮設住宅の隣にある総合体育館が駐屯所になっていたので、ご近所さんのような感覚でした。 朝晩挨拶していたのに居なくなると淋しいです。 まだ避難所にいたときのこと。おっとっとが倒れて入院したことがあります。 その時に病室がなくて入院出来ないかもしれないと言われました。 幸いベットにひとつ空きがあり入院でき、おとっとも検査結果が異常なしでした。 なぜ満床なのか不思議でした。 一つは、原発事故で南相馬市以南の病院が閉鎖されているから。 もう一つは、自衛隊員のかたが入院しているからでした。 日頃訓練をしている隊員の方でも、遺体収容作業は精神的にも肉体的にも相当負担だったのでしょう。体調を崩して入院している方がいたようです。 来る日も、来る日も、瓦礫と戦い、遺体を収容する。中には損傷の激しい遺体もあったことでしょう。もしかしたら、生存者がいるかもしれない。一刻の猶予もならないと言う思いで頑張って下さいました。 いくら仮想訓練を積んでいるとはいえ、千年に一度と言うこの津波の現場に立ったとき、想像を越える現実は訓練の何倍も過酷だったことでしょう。 眠れない、食欲がないと体調を崩す人が多かったと聞きました。 それでも1日も早く行方不明者を探しだして、家族の元に返してあげたいと、自分の体力以上に頑張ってくれました。 自衛隊が帰ると聞いて、朝早いのにも関わらず、多くの町民がお見送りに集まりました。 「ありがとうございました!」 という声に送られて、岡山に帰っていかれました。 長い間ほんとうにお世話になりました。 私たちの新地町民は、いままでの新地町よりもっと素晴らしい新地町になるようにがんばります。 どうぞ新地町を忘れずに、これからもずっと復興してゆく新地町を応援してください。 私達もお世話になったことをけっして忘れません。 ありがとうございました。
by asahikanokami
| 2011-06-13 12:18
| 避難生活
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