元朝日館の女将のてんてこ舞日記


東日本大震災で被災した小さな旅館の女将の日々
by asahikanokami
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鉄キチ

毎回、被災した話ばかりなので、今日は息子のことを書こうと思います。

私の父は国鉄マンでした。それも筋金入りの国鉄マンでした。
朝、出勤するときには、決まった時刻に玄関を出て、最初の角を曲がるのも、駅の改札を通るのも同時刻という有様です。

そんな父に可愛がられ、そんなおじいちゃんが大好きだった息子。

買ってもらうおもちゃがすべて列車ということもあり、物心つくころから鉄道キチガイ、鉄キチだったのです。

絵本も当然、乗り物の絵本以外は見ません。洋服も乗り物が書いてある服ばかり欲しがりました。

そんなわけで、誕生日やクリスマスのプレゼントはもちろん、親類などのお土産もすべてプラレールという列車のおもちゃでした。

デパートに連れて行けば
「ぼく、ここにいるからママはお買い物をしてきていいよ」
と、一日中おもちゃ売り場から離れない子でした。

そんな息子がある日、某デパートのおもちゃ売り場で恐ろしいことを言いました。
「ぼく、ここにあるもの全部持ってる!」
なんと、そこの売り場に並んでいるプラレールをすべて持っているというのです。

我が家の百畳の大広間。そこにずらりとレールが並べられ、途中にはトンネルやら鉄橋やら踏切が置かれ、たくさんの列車、特急や新幹線や貨物列車が走る様は壮観でした。

そんな息子。保育園に通う頃から読みだしたのが「鉄道ジャーナル」です。外で鬼ごっこしたり怪獣ごっこなどせず、写真を飽きずに眺めているようなおとなしい子でした。

ある日、保育園の全員で新地駅を見学に行きました。
当時は無人駅ではなく駅長さんがいました。駅長さんがいろいろ説明してくれた後
「質問ある人は?」
というと、息子が元気よく手を挙げて
「どうして同じ日本なのに交流のところと直流のところとがあるんですか?」
と聞いて、駅長さんが固まりました。

続けて
「直流と交流とでは碍子の形が違うのはなぜですか」
と聞き、ますます駅長さんは固まりました。

「ボクは何でもよく知っているねぇ。大きくなったら新地駅の駅長さんになってね」
と駅長さんに言われた息子。大きな声で
「僕は特急も止まらないような小さい駅の駅長にはなりません。新幹線が止まる仙台駅の駅長になります」
と答えて、駅長さんの顔から笑顔が消えました。

こんなに大人顔負けの知識があるのだから、大きくなったらさぞ・・・・という親の期待を裏切って、普通の息子になりました。

しかし、栴檀は双葉よりといいます。今でも鉄道が好きでNゲージという模型をコツコツと作っています。
仮設から出て、新しく家を建てるときには、壁に線路を取り付けて部屋中線路だらけにして、列車を走らせるのだとか。

息子は鉄っちゃん。父親は哲っちゃんです。

by asahikanokami | 2011-07-11 17:23 | 我が家の家族と親類
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