朝日館の女将のてんてこ舞日記


東日本大震災で被災した小さな旅館の女将の日々
by asahikanokami
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命の次に大事なもの

5月こそ、ちょっとゆっくりしようと思っていたのに、ますます忙しい毎日・・・・・・。
コメントのお返事はまた少し先になります。
連休で帰省した方や新地を訪ねてこられた方に
「ブログ楽しみに読んでます」
と言われるたびに、さっぱり更新もせず、コメントのお返事も書かずにいて、汗が出る思いです。

今日は今日とて、朝から叔母の部屋(施設)の掃除をしてきました。1月に脳梗塞で倒れて半身不随になりましたが、来週やっと退院することになりました。部屋が荷物で埋もれているので、捨てるものは捨て、必要なものは妹の家に預かってもらい、元の広々とした部屋にしました。
なにせ、これからは車いすで移動になりますので狭いと困るのです。2,3日かかると思いましたが、妹夫婦とおっとっとと4人で、ほとんど休むことなく片づけたら夕方までにきれいになりました。

今日のブログは、長文です。
なぜなら、紙芝居をご紹介したいからです。この紙芝居は、広島県の方たち「東北まち物語紙芝居化100本プロジェクト」という所が、福島の人たちを元気つけようというので、100本の紙芝居を作って送ってくださることになっています。すでに60本以上が完成して送られています。すごいことです。

新地にも「鹿狼山の手長明神」「あんこ地蔵」「鬼婆伝説~フクシマレジェンド~」の三本が送られています。
そして4本目が出来上がりました。この紙芝居の原案は私が書きました。
陸地での被災体験は、あちこちで語られています。
しかし、海上での津波の様子はあまり知られていません。

何人かの漁師さんに聞いた話を、一つのお話にまとめました。
ですからこれは、ノンフィクションに近いフィクションです。


「命のつぎに大事なもの」

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あの日、三月十一日。
大地震の後に大津波警報が出た。
その時俺はすぐに浜に馳せで行ったんだ。船を沖出しするためにな。



漁師が命につぎに大事なものは、船だぁ。まず一番に船を守んねばなんねぇ。
船を守るには、沖に持って行くのが一番だ。
津波は、海の浅いところほど波が大きくなるからなぁ。沖に持っていくのが一番なの
さ。
船さえ守れば、明日からまた漁に出られる。命をつないでいける。
漁師が命のつぎに大事なものは、船よ。
なんつったって船が大事だぁ。



すでに港の波は引き始めていた。
完全に水が引いたら、船は出せない。
俺は焦った。
大急ぎで船を岸壁につないでいる綱をほどいて、全速力で港を出て沖を目指した
んだぁ。
仲間の船も、次々と後に続いてくるのがわかった。
みんな、自分の船を守るのに必死だったんだぁ。



「津波が来たどぉ~」
「北の方からきたどぉ~」
船の無線で仲間が津波が来たことを教えてくれた。
あわてて北を見たら大きな波が見えたんだぁ。
いやぁ、五十年も漁師をしてっけんと、あんなおっきな波は見たことねぇ。
それはまるで水でできたビルが覆いかぶさってくるような波だった。
さすがの俺もビビったのよ。どうやってこの波を乗り越えたら良いんだべ。



長年の勘で、まっすぐ波を乗り越えたら、てっぺんに行った時にまっさかさまに落と
されて、船は木っ端みじんになると知っていたからなぁ。
ほんで「みんな、良く聞け。ななめ四十五度に全速力で登って波を突っ切れ。てっぺ
んまで登ったらエンジンを切るんだど。そのままだと波の向こうまで飛んでいくから、
必ずエンジンを切れよ」
と無線で指示したんだ。
中には、まだ経験の浅い若い漁師もいっからやぁ。
ほんで、なんとか第一波は乗りきった。



ほっとする間もなく、第二波が来た。
第二波は小さかったから難なく乗り越えた。
やれやれと思ったら無線から悲鳴のような声が聞こえた
「南を見ろ~!」
南を見て、俺は言葉を失った。
目に映ったのは、波ではなかったんだぁ。
それはもう波ではなく、水の壁だった。おそろしく高い水の壁だった。
今までこんな波を見たことがない。これはもうどんなに全速力で登っても越えること
はできねぇ・・・・・。
俺は覚悟した。



俺の人生もここまでだ。
その時、いろいろなことが頭の中をよぎった。
俺は一人で笑った
「よく、走馬灯のように思い出すって言うども、あれって本当のことだったんだなぁ」
笑っている場合ではねぇども、なぜか笑えたんだ。
思い出してみたら、俺の人生もまんざらでなかった。いろいろなことがあったども、
まぁいい人生だったと言ってもいいべな。
俺は、自分の体をロープで船に結び付けた。

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せめて遺体だけでも見つけてほしかったからなぁ。
それから家族の名前を一人一人呼んだ。孫、娘、息子、息子の嫁。
「ゆうま!さき!ひろと!かずこ!たかお!みちこ!いままでありがとうな!」
そして最後は、やっぱり女房の名前だった
「てつこ!いままでありがとうな!おめぇと一緒になって俺は幸せだった。ありがとう
な。後を頼むど」
そう大声で叫んで、俺は死を覚悟して、水の壁に直角に全速力で突っ込んでいった。

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それから、どのぐらい時間がたったんだべ・・・・・。
津波に突っ込んだ瞬間に、俺はその衝撃で気を失っていたらしい。
ふっと気が付いて、あたりを見回すと、そこには今まで見たこともない風景が広がっ
ていた。
まるで泡ぶろのように、海面がまっ白い泡で覆われていた。
「おれは死んだのか・・・・・」
体をつねってみたら、なぜだかわかんねぇども、その時痛くなかったんだ。
「あぁ、やっぱり、俺は死んだんだ。ということは、ここは三途の川ということか」
今までそんな海を見たことねぇから、俺はてっきり死んで三途の川を渡っていると
思ってしまったべ。
ふっと横を見たら仲間の船が見えた。



「あぁ、あいつも一緒に死んだんだな。一緒に三途の川を渡っているんだな」
自分のことを死んだと思っているから、そう思ったのさ。
「大丈夫か?」
無線から仲間の声が聞こえて、初めて、俺は自分が生きているんだとわかった。
それまでずっと俺はあの世にいると思っていた。
体のあちこちを触ってみた
「生きてる・・・・・生きてる・・・・」
あの時の嬉しさは、一生忘れられねぇべな。




ほんでも喜んでばかりいられねがった。
次々と津波が襲ってきたからなぁ。
五波、六波・・・・その間に後ろから引き波が襲ってくる。
引き波が来ると船首を百八十度回転して乗り切り、津波が来るとまた船首を回転し
て乗り切る。
その繰り返しで、どれだけの数の波を乗り切ったか。
無我夢中で乗り切った。




やがてあたりが暗くなってきたころ、津波がだんだん小さくなってきた。
夜の航行は危険なので一晩、海の上にいた。
心細かった。さびしかった。仲間とおたがいに無線で励ましあった。
「夜が明けるまでがんばるべ」
「もう少しだ。がんばれ」
やがて白々と夜が明けてきた。




海の上にはおびただしい瓦礫が浮いていて、おいそれとは港には近づけそうにな
かった。
かまわね。船なんかぼっこれでもいい。
瓦礫をかき分け、時には瓦礫に船をぶつけながら港に急いだ。
「ここは・・・・どこだべ・・・・釣師の港ではないよなぁ・・・・。いや、釣師の港だ・・・・釣
師だぁ・・・」




港について、わが目を疑った。
あるはずの家が、町が、すべてなくなっていたからなぁ。
そこにあったのは、泥をかぶった瓦礫だけだった。



俺はなぁ、間違っていた。
漁師が命のつぎに大事なのは船だと思っていた。
ほだがら、いち早く船を沖出しして、命がけで守った。
ほだども・・・・・ほだども・・・・・
帰って来てみたれば、家も家族も流されていた・・・・・。
息子一家は助かったども、女房は流されて十日後に見つかった・・
遺体でな・・・・・。
命のつぎに大事なのは、船なんかでねぇ。
もっと大事なものがあった。
あの時、俺は、なんで家族のそばにいて、家族を守らなかったんだべ。
なんで、なんで・・・・家族を守らねで船なんど守ったんだべ。



釣師浜の漁師は、船を守った。
そのおかげで十艘流されただけで、船は三十六艘も残った。
被災した浜でこんだけ残ったのは釣師浜だけだ。これは奇跡だべ。
俺たちが命がけで船を守ったんだ。
だども船が残って何になる。




原発事故で、魚一匹とることさえゆるされねぇ。
魚を取らねぇ漁師なぞ、もはや、漁師ではねぇ。漁師って言われねぇべ。
おらなぁ、毎日、毎日、女房に手を合わせて謝っていっと。
「かんべんしてけろ。かんべんしてけろ」
毎日、毎日、泣いていっと。悔しくて、悲しくて、苦しくてな・・・・
いつか、時間がたてばすべてを忘れるからと、人は慰めてくれる。
ほだども、俺は忘れねぇ。
命のつぎに大事なものを、俺は間違った。
忘れてしまいたいげんと、忘れねぇ。
忘れてはなんねぇと思っている。

           おしまい

(何の連絡もなく、勝手にこの紙芝居をコピーして使っている人が居るらしいとの連絡が入りましたので、絵の一部を非公開にさせていただきました)

by asahikanokami | 2013-05-07 22:35 | 避難生活
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