元朝日館の女将のてんてこ舞日記


東日本大震災で被災した小さな旅館の女将の日々
by asahikanokami
カテゴリ
以前の記事
お気に入りブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧

伊達と相馬の戦い

先月27日に新地町の相馬共同火力新地発電所内のわくわくランドで、「伊達と相馬の合戦」が行われました。

実はこの日は、相馬野馬追い祭りの初日なんです。
野馬追いの出陣式を見た後、観光客は海に流れてきて、潮干狩りや海水浴を楽しむのが例年のことでした。

しかし、震災後は海で遊べなくなりました。

そこで、出陣式の後、何かイベントはできないかと、相馬と新地の若者たちが立ち上がりました。
新地町は、その昔、相馬藩と伊達藩が、陣地を巡って争ったところ。
現代でも、綱引きをして友好的な戦いをしようじゃないか!!

綱引きだけではなく、合戦に参加する人全員が合戦に参加できるようにと、いろいろな趣向が凝らされました。

まず、受付で伊達藩(イメージカラーは黒)の応援か、相馬藩(イメージカラーは赤)の応援か決めます。
イメージカラーの鉢巻きを締めて、合戦の参加券をもらいます。これで準備はオーケー。

いよいよ合戦が始まりました。

まずは、各藩の応援団長にまつわる紙芝居合戦。
伊達藩は、新地町に伝わる昔話から、応援団長は「鹿狼山の手長明神」です。
一方、相馬藩は丹下左膳です。小説の中では丹下左膳は、相馬藩の武士だったんですね。町おこしにと、相馬市磯辺に「丹下左膳の碑」が建てられました。
ギネスに登録されるようにと、大きな碑を用意したら、建設予定地が県立公園だったので高さ制限がありました。
そこで、しかたなく深く埋めて、高さ制限をクリアしました。
それが幸いして、今回の津波にもびくともしませんでした。
その紙芝居を、碑の建立に尽力なさった佐久間さんが読みました。
新地町の「鹿狼山の手長明神」は私が読みました。
合戦の結果は9対1で伊達藩の勝ちでした。やったね!(私は紙芝居を読んでいたので写真はなしです)

メインは、やはり綱引きです。
小さいお子さんたちはかわいかったです。

伊達と相馬の戦い_f0061402_1250657.jpg


圧倒的に強かったのは、相馬消防署のメンバーです。合戦というので、ヘルメットを兜にして参加してくれました。

伊達と相馬の戦い_f0061402_12511175.jpg


相馬藩のボランティアグループが対戦した時に、人数を2名増やしたのに、負けてしまいました。

伊達と相馬の戦い_f0061402_12514669.jpg


そして何と言っても、一番盛り上がったのは、伊達武将隊のみなさんです。
朝早くから相馬市内でチラシを配ってくださったり、一日中笑顔で参加者との写真撮影におうじてくださいました。
さすが、自らを「おもてなし武将隊」と名乗るだけのことはあります。正宗様も必死に綱を引きます。

伊達と相馬の戦い_f0061402_12521787.jpg


さて、綱引き以外の合戦はというと、まず射的合戦。
お互いに、敵陣の武将めがけて鉄砲を撃ちます。

伊達と相馬の戦い_f0061402_1254924.jpg


それから、ちびっこに大人気だったのはスーパーボールすくい合戦。
スーパーボールの大きさや色で点数が入ります。

伊達と相馬の戦い_f0061402_12543439.jpg


巨大だるま落としもありました。
こちらは、なかなか難しかったようで、成功した人は少ないようでした。

伊達と相馬の戦い_f0061402_12545233.jpg


そしてフィンガーフード合戦。
相馬と新地のおいしいものが、一口づつ乗っている紙皿を、おいしい藩のほうに入れます。

伊達と相馬の戦い_f0061402_12552199.jpg


さて、すべての合戦が終了して、僅差で相馬藩が勝ちました。

私は、室内でエコたわしの並べて、毛糸代の支援をお願いいしていました。(わくわくランド内では物品販売ができないのです)
ご寄附200円に対して、お好きなエコたわしを一つお礼にさし上げました。
室内にいたので、外で歓声が聞こえるたびに飛び出して、写真を撮りました。
時々しか見ることができませんでしたが、参加してくださった人たちは思いっきり楽しんでいるように見えました。

この日の入場者は、500人ぐらいだったそうです。
何よりも、相馬市と新地町の若者が、力を合わせて大きなイベントをしたということが、一番有意義でした。

by asahikanokami | 2013-08-01 12:55 | 避難生活
<< 仮設の迎え火、送り火 あらまぁ!7月も終わりだわ!! >>