元朝日館の女将のてんてこ舞日記


東日本大震災で被災した小さな旅館の女将の日々
by asahikanokami
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福島県に原発ができたわけ

ずっと更新もせず、コメントのお返事も書かず、ここを覗きにもこず、無責任極まりない状態でした。
申し訳ございません。
フェイスブックに書いていると、それだけで満足してしまって、ブログはいいかなぁと思ってしまっていました。
でも今日は、やはりブログに書かなきゃと思っています。

昨日、東北学院大学と新地町教育委員会の共催で「歴史としての東日本大震災in新地」というシンポジュームが開催されました。
私もパネラーとして参加し、紙芝居も披露することができました。

その中で相馬市史を研究しておられる佐々木秀之先生の講演を聞いていて、背中が寒くなりました。
これは絶対に忘れてはいけない。多くの人に知って欲しい。
そう思ったので、ここに記録しておこうと思います。

明治38年に、それまで自由に作っていた塩が、塩専売法の公布で勝手に作れなくなりました。
塩田は政府の管理下におかれました。
しかし、太平洋戦争の勃発により、塩不足になったことで、昭和17年には自家用製塩製造許可法ができて、自由に作ることができるようになります。

それに伴い、福島県沿岸でも盛んに塩が作られることになりました。
相馬市や新地町などでも相馬塩業という会社ができて、製塩業をはじめました。

戦後、相馬塩業の社長の釘本さんが福島市長になったことで堤康次郎さんに代わります。(相馬塩業といっても、相馬市や新地町以外の人が経営していたんですね)
財閥の手に渡りました。
しかし昭和24年に日本専売公社が発足。塩は専売となりました。

相馬塩業は経営不振に陥り昭和33年に事業が打ち切られました。
同じようなことが、福島県沿岸の市町村でも起きました。

その後、塩田や製塩工場用地は、いろいろな会社の手を経て、東日本興業の所有になり、やがて相馬共同火力発電の手に渡り、火力発電所が建設されました。

新地町は、原発建設に反対したので火力発電所になりましたが、他のところには原発が建つことになったのです。

昭和38年ごろの新聞を見ると、原町市(現南相馬市)の当時の渡辺敏市長などは、原発建設に手を上げていたことがわかります。

福島第一原発の場所は、もともとは旧陸軍の飛行場だったところに、国土計画興業が塩田と製塩工場を造った場所だったそうです。

佐々木先生は最後に、こんなふうにおっしゃいました。

「今、被災した沿岸は、国や市町村が買い上げ、海浜公園になる計画が進んでいます。それはすばらしいことです。しかし、一つ落とし穴があります。もし、市町村が経済的な理由でその場所を一括して売ったなら、何が建つかわからないということです。歴史をしっかり学び、次世代に伝えていくことが大事です」

国は、自分たちの都合で法律を作り、塩を専売にして利益を得て、塩が足りなくなると法律を変えて自由にし、また、利益を得るために法律を改正して専売にして多くの会社をつぶし(会社をつぶすことが目的でなかったとしても)てきました。
お米もそうです。TPPが決まれば、農作物のみならずいろいろなものに影響が出ることでしょう。

被災地に造られる広大な公園。そして不必要なほどの高さの堤防の建設。
二度と、これらを原発建設に利用されないように、しっかりと見張っていこうと思います。

by asahikanokami | 2013-12-15 10:43 | 避難生活
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