朝日館の女将のてんてこ舞日記


東日本大震災で被災した小さな旅館の女将の日々
by asahikanokami
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あなたがいたから

私が朝日館に嫁いで来た頃、パートさんだったFさん。
パーキンソン病で寝たきりになっています。

以前は時々顔を見に行っていましたが、現在はもう誰が誰か識別できない・・・。お話も出来ない・・・。お見舞いに行くと、介護しているご主人が、お茶を出してくれたりして余計な手間を取らせてしまいます。ついつい疎遠になってました。

Fさんの家の前に車椅子を発見。Fさんが座っていました。
ディサービースの迎えの車を待っている所でした。

「Fちゃ~~~ん!!」
名前を呼んで見ましたが何の反応もありません。

そばに行って
「Fちゃん!元気だった?朝日館のみほちゃんだよ。わかる?」

すると首がコクリとしました。

そばにいたご主人が笑って
「ばあちゃん、ほんとうにわかるのか?この頃は俺のこともわからなくなってきたんだ」
と言ったら、反応なし。遠くを見つめる目。

嫁に来た頃、Fさんがパートさんとして我が家を仕切っていました。子供達が中学校ぐらいまで手伝ってくれていました。

姑は優しい人で、私が何も出来なくても
「そのうちできるようになるから。大丈夫」
と言う人でした。

しかし、Fさんは
「そんなことも出来ないんだべが。まったく、今の嫁さんは!学校で何を習ってきたんだべ」
と言いました。

若かった私は
「なんて意地悪な人なんだろう」
と、時にはその辛らつな言葉に泣きました。

でも、意地っ張りの私は
「子どもの浴衣ぐらいは母親が縫ってやるもんだべ」
と言う言葉に
「そうね。では縫って着せますから」
と、和裁の本と首っ引きで子供達に浴衣を縫って着せるような、可愛くない嫁でした。

お料理も
「こんな味付けでよく料理作ったって言えるね」
と容赦なくだめ出しをされました。本気でお料理の本やテレビの料理番組を見ては、ノートに書き写して、勉強しました。

着物の着付け、梅干の漬け方、障子張りなどなど。若かった私は彼女への対抗心だけで必死におぼえました。

おかげで大体のことを何とかできるようになったのです。

そんな彼女も、我が家の子供達を自分の孫のように可愛がってくれました。娘が死んだときには、もうすでにパーキンソン病で痴呆が始まっていたのに、写真を指差して
「菜穂ちゃん・・・死んだ・・・かわいそう・・・」
って言ってくれたっけ。

ご主人が喘息で闘病生活が長かったから、朝から晩まで良く働いて子ども4人を立派に育てたんだよね。

お日様よりも早く起きて、田んぼと畑の仕事をし、子供達に朝ご飯を食べさせて、洗濯物を干して、朝日館に来る。暇を見つけては家に帰り、洗濯物を取り込んだり、夕ご飯の支度をして又朝日館で働く。

時々お箸を持ったまま居眠りしていることもあったよね。
あなたぐらい働いた人は新地町にはいないでしょう。

あんなに働いた手は、もう小刻みに痙攣するだけで動かない。
その動かない手をさすって
「Fちゃん、あんたがいたから、今、私は朝日館の女将をしてられるんだよ。いろいろなことをいっぱい教えてくれてありがとう」
と言ったら、涙が止まらなくなりました。

私の泣き顔を不思議そうに見ているFちゃん。

泣きながらもう一度
「Fちゃん。私のこと忘れないよね。朝日館のみほちゃんだよ」
と言ったら、また、コクリと首が動きました。

by asahikanokami | 2006-09-07 13:06 | 私のこと
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