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今日の福島民報に菜穂子の桜の記事が載りました。私たち二人が桜を見上げている写真も一緒に。
おっとっとが涙ぐみながら記事を読んでいました。 「早逝の娘 しのぶ春 ゆかりの桜 今年も咲く」 新地町の旅館朝日館の村上さん方で、癌のために早逝した長女菜穂子さんゆかりの桜が五分咲きになった。村上哲夫さんは妻の美保子さんと共に、面影を思い出すと共に、娘に負けず前向きに生きることを誓っている。 山形大学農学部大学院を卒業し、会社の研究室に勤めていた菜穂子さんが病を知ったのは23歳の時。癌の中でも女性には珍しい部位の癌で、約二年半の闘病生活だった。 桜を植樹したのは長女が亡くなった平成12年の6月から一年後。インターネットでさまざまな職業の人が交流する「メキキの会」のメンバーである美保子さんが、角膜をアイバンクに登録していた長女の話をつづった。 病の床で臓器移植カードを準備していた菜穂子さん。死後、美保子さんはこれ以上娘を苦しめたくないと反対したが、最後は哲夫さんの「娘の遺志」との言葉に納得した。 ブログには菜穂子さんの瞳がどこかで役に立ち、今もこの春、どこかで桜を見ているかもしれないと記した。 この話に感動した「メキキの会」の会員である東京の社長が苗木を新地まで送ってくれた。か細い幼木だったが、村上さん夫妻は慈しみ平成14年、ようやく二輪ほどの花をつけた。 闘病中、菜穂子さんは一言も弱音を吐かず、両親を反対に励まし続けたという。美保子さんは「病魔に冒されながらも最後まで一生懸命に生きた娘の思いを大切にしていきたい」と、哲夫さんともに桜を見上げている。 (以上、福島民報記事から) この桜の名前は「乙女桜」といって山桜の一種なそうです。 花は小さくてほんのりと桃色がかった白です。 どこか風情が娘に似ているような気がします。菜穂子はどちらかというと現代的な娘というよりも、ちょっと古風な所がありました。おっとりとした優しい子でしたが、芯はしっかりしていて明治の女性のようでした。 仕事が忙しい私に代わって、姑が育ててくれましたので、私よりも姑に似た娘に育ちました。姑に感謝です。 ああ、そういえばいつも桜の季節には、姑と二人でお団子を二本買って、お茶を持参で 「私たちって日本一安上がりのお花見だね」 って笑いあいながら、あちらこちらの桜を見て歩いたものです。 今頃、お空の上で姑と娘も菜穂桜のお花見をしていることでしょう。
by asahikanokami
| 2007-03-29 18:52
| 亡くなった娘の話
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