朝日館の女将のてんてこ舞日記


東日本大震災で被災した小さな旅館の女将の日々
by asahikanokami
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修学旅行

昨日、テレビで昔の学校の話をしていました。

私が卒業したのは岩手県下閉伊郡岩泉町立岩泉小学校。

当時の岩泉は交通の便が悪く、山地ばかりで作物も取れず、産業は酪農だけで「日本のチベット」と蔑称されるようなところでした。

1960年代。日本はまだまだ貧しかったのです。僻地の岩泉はなおさらです。

貧しくて修学旅行にいけない子供がクラスに4分の1ぐらいいました。「全員で修学旅行に行こう」と言い出したのは先生ではなくて生徒だったような気がします。

修学旅行の1年ぐらい前から準備をしました。クラス全員で鉄くず拾い。磁石に紐をつけたものを道に引きずりながら登下校しました。放課後はリアカーを引いて空き瓶などの廃品回収もしました。

それらは売ってもわずかなお金にしかなりませんでしたが、皆で一緒にリアカーを引いて町内を廻るのは楽しかったです。

春には山菜取りをしました。中でもぜんまいは高く売れたので夢中で取りました。お母さん達も協力してくれて、とったぜんまいを茹で、筵に干し、干しあがったぜんまいは柔らかくなるように揉みこむのです。干しぜんまいは高く売れました。

そして修学旅行の費用がどうにか貯まりました。当時、私の父が国鉄バスの助役だったので、貸し切りバスの費用を安くしてくれるように本部に頼んでくれたりもしました。

また、先生達がボーナスからカンパしてくれたり、商店からも寄付が集まりました。こうして、学校始まって以来の全員が修学旅行に参加することになったのです。

しかし、一人だけ、参加できなかった子がいました。父親が
「ほかの兄弟も修学旅行にやらないのに、あの子だけやるわけには行かない」
と言ったらしいのです。先生が何度も説得に行ったのにとうとうその子は、出発の朝、学校にあわられませんでした。

修学旅行のおこづかいも、持ってこれない子供のことを考えて、本当に微々たる金額が決められました。

見送りに来た母が出発すると言う時に
「行けない○ちゃんにお土産を買って来なさい」
と言いました。
「えっ!だって○ちゃんに買ったらお金が無くなる」
と口を尖らす私に
「あんたは修学旅行に行けただけでも○ちゃんに比べたら良かったでしょ!!」
と強い口調で言うのです。

修学旅行の間中、何か安いお土産は無いか探しました。しかし、わずかなおこづかいでは、お土産が二つ買えませんでした。

シブシブ一つ買ってそれを○ちゃんのお土産にしました。

帰ってきた翌日。私は勇んで学校に行きました。○ちゃんを見つけると走っていって
「○ちゃん、これ!修学旅行のおみやげ」
と差し出しました。

しかし、○ちゃんはちらりと見ただけで、そのおみやげをつき返してよこしたのです。
「いらない」

私はムッとしました。
「どうして!せっかく、私が欲しい物は何も買わないで○ちゃんにおみやげを買ってきたのに!」

すると○ちゃんは泣きそうな顔をして
「だって・・・・それもらったら、それを見るたびに修学旅行にいけなかったことを思い出すもの・・・」
と言ったのでした。

何か言いたいと思っても言葉になりませんでした。差し出したお土産をそっとポケットにしまったら、涙がポロポロと流れました。

○ちゃんは驚いて
「ごめんね。私が貰わなかったから?ごめんね」
と謝り、クラスメートが
「どうしたの?どうしたの?」
と、ぐるりと私たちのまわりを囲みました。

泣きながら○チャンが悪いんではない。お土産を渡せなかったから泣いているのではないと説明したのですが、小学生の私は自分が何に対して憤りを感じているのか、上手に説明できませんでした。

○ちゃんでもない。自分のものも買わずに買ってきたお土産を渡せなかった悔しさでもない。もっと違う何か。

その何かに怒り、憤り、悔しがり、悲しくて泣いたのです。

お土産に何を買ってきたのか、○ちゃんは誰だったのか、すっかり忘却の彼方に行ってしまいましたが
「それをもらったら、それを見るたびに修学旅行に行けなかったことを思い出すもの」
と言う言葉だけは忘れられません。

by asahikanokami | 2007-04-04 21:16 | 私のこと
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