娘には友人が多かったです。
その多くの友人の中で、娘から最後まで病室に入室許可が下りていたがAちゃん。
首のリンパ節を取り去ってしまった娘の顔は、病状が進むにつれて顔がむくんで、別人のような顔になってしまいました。
「皆に、元気な時の顔だけを覚えていて欲しいから、病気の顔は見せたくないの。だから病室には誰も入れないで」
というので、面会謝絶の札がかけてありました。そんな状態でも
「Aちゃんは看護婦さんだから、私の病状が勉強になるはず。最後までしっかりと観察して欲しい」
と、Aちゃんだけは、入室を許可されていました。
娘が亡くなってからも、Aちゃんと私の交流は途絶えることなく、結婚、長女出産と、喜びのたびに報告がありました。
そのAちゃん。
今日、久しぶりに電話があり、無事に長男が生まれたとの報告。そしてその後にちょっと口ごもりながら
「菜穂ママ(私は娘の友人達のこう呼ばれています)。言おうか言うまいか、ずっと迷っていたんだけど・・・・。私ね、ちょっとだけ大学病院に手伝いに行ったことがあるの・・・・その時ね・・・」
出産を控えて産休に入る彼女の最後の仕事に、古いカルテの整理を頼まれたのだそうです。
そして持ち込まれたカルテ。その一番上に娘のカルテが乗っていました。
「菜穂・・・」
と絶句して、カルテを抱きしめて号泣したらしい。
私はこんな時いつも、娘の意思を感じます。娘の姿は見えなくても私達といつも共にいるのだと思います。
きっと出産を控えたAちゃんのことを心配して、そしてきっとかわいい赤ちゃんが生まれるよと激励するために、娘がカルテを一番上に置いて、ここにいるよと教えてくれたのでしょう。
娘のカルテが一番上にあったことは偶然だったかもしれません。でもやはり、私には千の風が吹いていると思えてなりません。