朝日館の女将のてんてこ舞日記


東日本大震災で被災した小さな旅館の女将の日々
by asahikanokami
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カテゴリ:我が家の家族と親類( 35 )


正一の川柳碑

今日、十和田市文化協会から一通の封書が届きました。
宛名を見たら7年前に亡くなった舅の名前でした。

開封したら、舅の川柳碑の写真が出てきました。
「おじいちゃん・・・・・・・」
それを見たら、一度にあの年に戻されました。

十和田市文化協会が「光と風のアートプロムナード・野外文芸館」として、官庁通りの600メートルの歩道に、川柳と俳句と短歌の石版を埋め込み、埋設展示という新しい形の野外文学館を作ったのです。

新聞で作品の募集を知った舅は、毎日、毎日、川柳を考えて応募したのでした。しかし、その年は落選してしまい、なお一層、創作意欲を燃やしたのです。
そして、二回目の「水」という題の時、川柳部門での天位に選ばれたのです。その時の喜びは今でもはっきりと思い出せるほどの喜びようでした。

念願だった石碑が完成したと除幕式の案内が来ました。
でもその時、実は、我が家はそれどころでありませんでした。
娘が危篤状態だったのです。舅には娘の病状を詳しく教えていませんでした。いずれ、悲しむ時が来る。それまでは知らないほうがいいだろうと思ったからです。

舅は出席したいといったのですが、2月だったので寒いからということを理由に、欠席させたのです。
「おじちゃん、暖かくなったらみんなで見に行こう。それまで待ってね」

6月に娘が亡くなり、舅の落胆ぶりは大変なものでした。寝付いてしまったのです。お通夜にも出られませんでした。
しかし、そんな舅が告別式にあらわれたのです。周囲が驚く中
「自慢の孫だった・・・・。だから、今日は前代未聞のことで菜穂を見送ってやろうと思う。爺様のために孫が弔辞を読むことはあるけど、孫のために爺様が弔辞を読んだという話は聞いたことがない」
そう言って、弔辞を読んだのでした。

初孫として菜穂が生まれた時の嬉しさ、高校に一番で入学して答辞を読んだ時の誇らしさ、山形大学の大学院に進んだ時のこと、そして旭電化に就職できたときのこと。
最後に菜穂の遺影に向かって大きく手を振り
「菜穂ちゃん。まもなくじいちゃんもそこに行くから。それまでバイバイ!」
と言ったのでした。会場にいた人、全員が、舅の弔辞に泣かされました。

その後、食事も細くなり、三度の飯より好きな川柳の句会にも出て行かなくなりました。

おっとっとの妹たちと相談して、十和田市まで石碑を見に行ったのは、その年の10月のことでした。
舅は、自分の川柳が、この「駒街道」に永久に残ることをとても喜び、ちょっと元気になり、また川柳の句会に出かけるようになりました。

禍福はあざなえる縄のごとしと言いますが、良い事も悪いことも、あるのが人生。
娘のこと、舅のこと、いろいろ思い出してほろりとしました。
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by asahikanokami | 2013-12-25 15:15 | 我が家の家族と親類 | Comments(4)

仙台通い

仙台に通っています。場所は広南病院。
私が病気というわけではありません。もちろん、おっとっとも元気です。

お正月に、91歳の叔母(おっとっとの叔母です)が入所している介護施設から電話がありました。朝から右足がしびれると言っていたらしいのですが、夕方、トイレに行った帰りに足がもつれて転んだらしいのです。
その後、右足が動かないし、呂律も廻らないという連絡でした。

でも、私はそんなに心配しなかったのです。
なぜなら、20年ほど前に交通事故にあっている叔母は、寒い時期や季節の変わり目には、全身がしびれたり、呂律が回らなくなったりしていたからです。少し経つとまた元の元気な叔母に戻ることが多かったのです。

とりあえず、顔を見れば安心するだろうからと、翌日施設に出かけました。
右手がしびれると言っていましたが、顔色も良くて、施設のお医者さんも経過を観察しましょうと言っているとのことでした。安心して帰ってきました。

その翌日、どうもいつもと様子が違うからおかしいと言うので、広南病院に連れて行ってもらったらしいのです。
心臓にペースメーカーを入れているので、MRIを撮ることができず、CTだけなのではっきりしないが、脳こうそくを起こしているらしいと、緊急の入院になりました。

集中治療室に入っていると連絡をもらったので、万が一のことまで心配してしながら飛んでいきました。途中、なぜ、あの時、いつもと同じだと思ったのかしら。もっと早く気がついてあげられたのに。
もしものことがあったらと、涙が出そうでした。

幸い、命にかかわるほどではなかったとで、本当にホッとしました。
でも、どうやら右半身に麻痺が残るらしいです。

叔母には子供もなく、叔父はとうの昔にあちらに行ってしまい、兄弟も半分は亡くなり、残りも高齢。親類の少ない村上家としては、私が面倒を見るしかありません。

というわけで、毎日仙台に通っています。(運転手つきですが)
おっとっとの妹が、仙台市の隣の名取市に住んでいるので、時々、交代してくれるのがありがたいです。
昨日は、妹夫婦と病院で落ち合って、その後、4人でお茶してきました。仮設にいると、おしゃれなカフェなど無縁なので、叔母には申し訳ないのですが、ちょっと楽しかったです。2時間もおしゃべりしてきました。

今日は、雪が降ったので妹が行ってくれて、仙台通いはお休み。
たまっているお返事の手紙を書いたり、いただいた年賀状にゆっくり目を通したりしています。

さっき、妹から電話があって、どうやら一般病棟に移ったようです。ちょっと安心しました。
明日は、又仙台に行ってきます。叔母が元気になってきたら、ついでに仙台で、命の洗濯もして来ようと思っています。(デパートに行きたいと思っていることは、ナイショです)

by asahikanokami | 2013-01-09 19:14 | 我が家の家族と親類 | Comments(5)

鉄キチ

毎回、被災した話ばかりなので、今日は息子のことを書こうと思います。

私の父は国鉄マンでした。それも筋金入りの国鉄マンでした。
朝、出勤するときには、決まった時刻に玄関を出て、最初の角を曲がるのも、駅の改札を通るのも同時刻という有様です。

そんな父に可愛がられ、そんなおじいちゃんが大好きだった息子。

買ってもらうおもちゃがすべて列車ということもあり、物心つくころから鉄道キチガイ、鉄キチだったのです。

絵本も当然、乗り物の絵本以外は見ません。洋服も乗り物が書いてある服ばかり欲しがりました。

そんなわけで、誕生日やクリスマスのプレゼントはもちろん、親類などのお土産もすべてプラレールという列車のおもちゃでした。

デパートに連れて行けば
「ぼく、ここにいるからママはお買い物をしてきていいよ」
と、一日中おもちゃ売り場から離れない子でした。

そんな息子がある日、某デパートのおもちゃ売り場で恐ろしいことを言いました。
「ぼく、ここにあるもの全部持ってる!」
なんと、そこの売り場に並んでいるプラレールをすべて持っているというのです。

我が家の百畳の大広間。そこにずらりとレールが並べられ、途中にはトンネルやら鉄橋やら踏切が置かれ、たくさんの列車、特急や新幹線や貨物列車が走る様は壮観でした。

そんな息子。保育園に通う頃から読みだしたのが「鉄道ジャーナル」です。外で鬼ごっこしたり怪獣ごっこなどせず、写真を飽きずに眺めているようなおとなしい子でした。

ある日、保育園の全員で新地駅を見学に行きました。
当時は無人駅ではなく駅長さんがいました。駅長さんがいろいろ説明してくれた後
「質問ある人は?」
というと、息子が元気よく手を挙げて
「どうして同じ日本なのに交流のところと直流のところとがあるんですか?」
と聞いて、駅長さんが固まりました。

続けて
「直流と交流とでは碍子の形が違うのはなぜですか」
と聞き、ますます駅長さんは固まりました。

「ボクは何でもよく知っているねぇ。大きくなったら新地駅の駅長さんになってね」
と駅長さんに言われた息子。大きな声で
「僕は特急も止まらないような小さい駅の駅長にはなりません。新幹線が止まる仙台駅の駅長になります」
と答えて、駅長さんの顔から笑顔が消えました。

こんなに大人顔負けの知識があるのだから、大きくなったらさぞ・・・・という親の期待を裏切って、普通の息子になりました。

しかし、栴檀は双葉よりといいます。今でも鉄道が好きでNゲージという模型をコツコツと作っています。
仮設から出て、新しく家を建てるときには、壁に線路を取り付けて部屋中線路だらけにして、列車を走らせるのだとか。

息子は鉄っちゃん。父親は哲っちゃんです。

by asahikanokami | 2011-07-11 17:23 | 我が家の家族と親類 | Comments(9)

掛け軸

今から25年ぐらい昔、古くなった我が家を改築しました。その時、取り壊したお仏壇の後ろに隠し戸棚があるのを見つけました。

もしかしたら大判小判がぎっしり詰まった千両箱でも隠してあるのでは・・・・・・とちょっと浮き浮きして開けてみました。

我が家のご先祖様が残してたのは大判小判ではなくて、掛け軸数本でした。

いつ頃からそこに入れておいたのか、すっかり埃まみれになって、あちこち虫が食っており、紙は劣化して触るとポロポロと崩れます。

こんな汚い掛け軸なんて。即座にゴミ袋に放り込みました。

その時、ちょうど居あわせていた叔母が
「みほちゃん。捨てるなら頂戴。ご先祖様がしまっておいた掛け軸だから捨てたらばちがあtるよ。表具して私の家で掛けるから」
と持って帰りました。

数日して叔母が血相を変えてやってきました。
「み・み・みほちゃん!!あの掛け軸はすごい掛け軸だったよ!」

表具師さんが言うのには、五十二万石伊達家のお抱え絵師の菅井梅関という人の作だったというのです。表具師さんは
「一生に一度あるかないかの仕事です。手が震えます。出来あがったら1ヶ月貸してください。ここに掛けて眺めていたいから」
と言ったとか。

「あれはご先祖様が朝日館に残した宝物。出来あがったら返すから大事にしなさい」
と言って叔母が返してくれました。

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骨とう品など興味もなく、本物を見わける目もない不詳の嫁の私。もう少しで大事なお宝を灰にするところでした。御先祖様はきっと呆れていることでしょう。申し訳ない!

その菅井梅関の作品が仙台市博物館に収蔵されていると聞きました。
選管の研修の最終日、午後から時間があったのでみんなで博物館に行きました。

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あいにく菅井梅関の作品は展示されていませんでしたが、伊達藩の古地図に私の住んでいる「釣師」の文字を発見。

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新地町釣師は今は福島県ですが、長い間、伊達藩でした。今でも新地町では風習や言葉などは相馬藩(福島県)よりも伊達藩(宮城県)に近いです。

(蛇足)
おっとっとは掛け軸をお宝探偵団に出すと言いますが、私は反対しています。

もし、偽物って言われたらがっかりします。それよりも本物だと信じて大事にしていた方が、ずっと心豊かに暮らせると思っています。

我が家のご先祖様ありがとうございます。大事にしますね。

by asahikanokami | 2009-02-16 23:29 | 我が家の家族と親類 | Comments(3)

お昼ごはん

十一時までに入所して、いろいろな書類の手続きをする手はずでした。

途中でお天王様に寄ったり、妹夫婦を乗せて一緒に行ってもらうつもりだったので、少々早く自宅を出発しました。

そしたらなんと予定よりも一時間も早く到着してしまいました。

おんつぁんは〇〇ホテルにも寄らず、〇〇旅館にも寄らないので
「〇〇ホテルはここだ!・・・・ありゃ・・寄らねぇのが。ここでねえのが。〇〇旅館はここだ!・・・・ありゃ、ここでもねぇのが。どこさ行くんだべ」

と大騒ぎをしています。

お願いする施設は大きな建物で中は明るくてとても良いところでした。

おんつぁんのお部屋は5階。目の前におんつぁんが泊まりたかった〇〇ホテルと〇〇旅館が見えます。

「おんつぁん。ほらホテルも旅館も見えるよ。良いところだねぇ。良かったねぇ」

「あんたらもここに泊まるのか」

「ここはおんつぁんしか泊まれないんだよ」

「良いから、みんなで泊まれ。俺が金を出すから」
そう言っておんつぁんは六千円入った財布を出しました。

「六千円ではみんなは泊まれないなぁ」

「いいから、おんつぁんんだけゆっくりと泊まってございん(泊まっていらっしゃい)」
と妹が言うと
「一緒に帰る」
と言い出してしまいました。さっさと上着を着て帽子をかぶって帰り支度です。

そこにジャストタイミングでお昼ごはんになりました。

おんつぁんがお昼ごはんを食べている間に、書類にサインをして、こっそりと帰ってきました。

帰り際に食堂をのぞいてみたら若い介護士さんがつきっきりでおんつぁんのお話を聞いて下さっていました。おんつぁんは上機嫌で何か話をしていました。

良かった。

昨夜、心配になり施設に電話で様子を聞いたら、落ち着いて生活しているようで、帰ると言っていないようです。
すごく安心しました。

こうして、私の四十日に及ぶ介護生活は終了しました。

ほっとしたら、疲れが出て今日は何もしたくありません。ちょっと熱もあるみたいですが、どうしても書いておきたくてパソコンに向かいました。

どんなふうに年齢を重ねるのか、お金をどう使うのか、そして所詮、人間は一人では生きていけない。
いろいろな人にお世話になるのだから、感謝の心を忘れてはいけないことなど、ものすごくたくさんのことを学んだ40日でした。

私を陰で支えてくれた二人の妹とその旦那に感謝です。そしてもちろん一緒に頑張ってくれたおっとっとと息子と我が家のパートさんたちにも感謝です。

そして最後になりましたが、こんな愚痴めいた日記を最後まで読んでくださった皆さんに感謝します。

ありがとうございました。
解放感でいっぱいです。

by asahikanokami | 2008-09-23 12:10 | 我が家の家族と親類 | Comments(4)

お天王様

おんつぁんとお茶を飲むと、いつも小さい時の話になります。
その時出てくるのが「お天王さま」という言葉。

「子供の時になぁ、お天王様のお祭りがあっと(あると)線路歩いてお祭りに行ったのっしゃ(行ったんだよ)」

「線路歩いて危なくなかったの」

「危なくねぇ。汽車なんかそんない通らねぇんだから。線路はまっすぐだべ。線路を歩くのが一番近いんだ」

子供のころの一番楽しかった思い出のお天王様ってどこだろうと思ったら、そこはお隣町、宮城県山元町山下笠野にある八重垣神社の通称だということがわかりました。

昨日の朝
「おんつぁん出かけるよ」
と声をかけたら、眼鏡と帽子をテーブルの上に置いたまま出かけようとしました。

「おんつぁん。もうここには戻ってこないんだよ。自分のものは全部持ってね」

「いいや、戻ってくるからここに置いておく!!」
おんつぁんが怒鳴りましたがおかまいなしに、すべてのものを持って、車におんつぁんを押し込みました。

おんつぁんは乗ってしまえばご機嫌です。窓から景色を眺めては
「ここはまだ新地か。ほう、ここから山元町だな」
と喜んでいます。

おっとっとが八重垣神社の境内に車をとめました。

「おんつぁんお天王様だよ」

一瞬にして幼い時の記憶がよみがえったようです。おんつぁんは嬉しそうに神社を眺めて
「なんでここに来たの?」

「おんつぁんが来たいと思っているから連れてきたんだよ」

「なんでそんなことがわかんの」

「おんつぁんはいつもお天王様の話をするからわかったんだよ」

おんつぁんはもう二度とお天王様にも新地にもこれないと思う。

そう思うと、おんつぁんの笑顔を見るのが辛かったです。

by asahikanokami | 2008-09-23 12:09 | 我が家の家族と親類 | Comments(0)

秋保温泉

おんつぁんが入所したのは、仙台市の西、仙台の奥座敷と呼ばれる秋保温泉の一角にあります。

新しくて大きな施設でした。

前日、もしも行かないなどと言い出したら困ると思い、おんつぁんに入所することを告げました。

「おんつぁん。おんつぁんのお世話をしてきたけど、おんつぁんがあまり怒鳴るから、もうお世話できないんだよ。おんつぁんを預かってくれる施設が見つかったから、明日からそこに行くからね」

「どこにも行かねぇ!!勝手に決めるな!!」

「あのね、秋保温泉にある施設なんだよ。きっと温泉もあるよ。大きな建物みたいだし、おいしいごはんも作ってもらえるし、大勢いるからお友達もできると思うよ」

おんつぁんがニコッとしました。

「秋保温泉か。〇〇ホテルがあるなぁ。〇〇旅館にも行ったことがある。地図持って来てけろ(くれ)。仙台からどこ通って行くのか忘れたから」

おんつぁんはネットで調べてプリントした地図を見てご機嫌です。自分の立場を理解できていないのを見るとかわいそうで悲しくなってきます。

持っていく衣服や身の回りのものをそろえて、名前を書きました。大好きなコーヒーも大きな瓶を買ってきて、マグカップと一緒に入れました。

「おんつぁん。おんつぁんが大きな声で怒鳴るから叔母ちゃんが病気になったでしょ」

「ほだ(そうだ)俺が怒るからあんべが悪くなったんだべなぁ(具合が悪くなったんだ)」

「私もね。おんつぁんが大きな声で怒鳴るからもうお世話したくないんだよ」

「俺は皆に嫌われたなぁ」

「だからね、大きな声で怒鳴ったらダメなんだよ。もう誰もおんつぁんのお世話をしてくれる人がいなくなるからね」

「性分だもの仕方ねぇべ。うちのお母ちゃんも秋保に来るのか」

「叔母ちゃんは行かないんだよ。おんつぁん一人だけだよ。叔母ちゃんはおんつぁんが怒鳴るからもう一緒に生活したくないんだって」

「俺は嫌われ者だなぁ・・・・」
その時おんつぁんの目の奥に光るものがあったように見えました。

ところが、それから一時間もしないうちに
「秋保温泉の〇〇ホテルに泊まるのか?うちのお母ちゃんも来るんだね」
とニコニコ顔で地図を眺めているおんつぁん。

良かった。おんつぁんが呆けていて良かった。
もし
「そんなところに行きたくない」
と泣かれたなら、どんないか辛かったかと思いました。

by asahikanokami | 2008-09-23 12:07 | 我が家の家族と親類 | Comments(0)

施設入所

なんて静かな朝なんでしょう。心が喜んでいるのがわかります。朝の光が輝いています。風が心地良いです。

おんつぁんが朝早くから空ている部屋を開けようとしてガタガタする音がありません。何よりもあの怒鳴り声が聞こえません。

仙台に住んでいる妹が見かねて、仙台市にどこか入れてもらえる施設はないかと相談に行ってくれました。

しかし、仙台市では公的な施設に入所を待っている人は一万人以上いるのだそうです。介護認定が5(ということはなにも自分ではできない人です)の人でさえ四百人以上も待っているのだそうです。

有料の施設なら入れる所もあるのですが、入所するときの負担金やら利用料は高額です。

おんつぁん達は老後のためとコツコツと貯めたお金が結構あります。それを使ってお金がかかるかもしれないけれど、入れる施設を探してもらおうと思いました。

しかし、叔母がお金を出せないと言い出しました。おんつぁんを施設に入れて自分は自宅に戻って生活したい。そのためにお金は使いたくないというのです。

「老後のために使いたい」

えっ!!八十歳を過ぎた人の老後っていつのことなんでしょう。こういう時に使うために貯めたお金じゃないのって思いますが、叔母はお金を使うのを渋ります。

叔母の不安もわからないではありません。子供がいないのですから、これからの生活はお金だけが頼りです。

しかし、二人で有料の施設に入ったとしても、一生安心して過ごせるぐらいの預金があるのです。

お金を出してもらえないとなると入る施設がありません。支援センターの方やケアマネージャーの方が、高額でない施設を探し交渉してくださるのにだいぶご苦労だったみたいです。

「村上さんのところで商売に支障が出ているのであれば、それを一番に考えますから」
と言って下さり、とにかく三十日までは一時入所できる施設を探して下さいました。利用料金も一時入所なので一日六千円ぐらいのようです。叔母もやっと承知しました。

十月以降については、その間にどこか探して下さるそうでほっとしました。

そして昨日、おんつぁんはそこに入所しました。

by asahikanokami | 2008-09-23 12:06 | 我が家の家族と親類 | Comments(0)

もう限界・・・・

おんつぁんが我が家に慣れるにつれて営業にも影響が出てくるようになりました。

朝早くから空き室を点検して歩きます。間違ってお客様がいらっしゃるお部屋を開けたりします。

客室はもちろん、給湯室や布団部屋などすべてのお部屋の鍵を閉めました。

ところが何をするにもまず鍵をあけなければならないので、面倒なことこの上なし。

何度言ってもお風呂上りにパンツ一丁で歩き回るので、お客様から苦情がきました。

洗面所をいたずらして床一面が水浸しになったり、庭の草と一緒にお花も引っこ抜かれて庭が丸坊主になったり、ゴミ袋の中から捨てるカーテンを引っ張り出して駐車場に一面に敷き詰めたりと、困った出来事が続きました。

引き出しをひっかきまわして、あちこちに品物を移動するので、はさみ一つでも探さないとなりません。

いろいろ考えて、おっとっと相談をして、おんつぁんの世話はもうこれ以上は無理だと結論が出ました。

かわいそうだけれど、どこかの施設で預かってもらおうということになりました。

by asahikanokami | 2008-09-22 22:41 | 我が家の家族と親類 | Comments(2)

おんつぁんはDVだった

あまり交流がなかったおんつぁんと暮らしてみて、はじめておんつぁんがDVだということがわかりました。

ちょっとしたことでも怒鳴ります。

朝、起きてこないので
「おんつぁん、おはよう。起きてこないから心配で見に来たよ」
と言ったとたんに
「寝坊した!!」
って怒鳴られました。

着替えをしないので
「おんつぁん。下着を着替えてね。明日洗濯をするから」
というと
「いちいちうるさい!着替えなんかしない!!」
って怒鳴ります。仕方がないので、おんつぁんがお風呂に入っている間に、こっそりと下着を交換していました。

叔母が介護鬱になった理由がわかりました。

私も毎日怒鳴られているうちに次第に疲れてきました。

「おんつぁん。どうして怒鳴るの。私、おんつぁんに怒鳴られるたびに心臓がドキドキするんだよ」

「私だって誰にでも呶鳴るわけでないの!知らない人には怒鳴らないの!あんたとはこの頃慣れてきたから、怒鳴るのっしゃ(呶鳴るんだよ)」

「ええっ・・・なれたから怒鳴るの・・・。怒鳴られるならおんつぁんと慣れたくないなぁ。いつまでも知らない人のままのほうがいいなぁ」

「仕方ないべぇ。ずっと一緒にいるんだから」

なんだかわけのわからない理由をつけて、おんつぁんの怒鳴り声が一日中響きます。

その声の大きさにすっかり疲れてしまいました。

by asahikanokami | 2008-09-22 22:39 | 我が家の家族と親類 | Comments(0)