朝日館の女将のてんてこ舞日記


東日本大震災で被災した小さな旅館の女将の日々
by asahikanokami
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カテゴリ:私のこと( 152 )


あなたがいたから

私が朝日館に嫁いで来た頃、パートさんだったFさん。
パーキンソン病で寝たきりになっています。

以前は時々顔を見に行っていましたが、現在はもう誰が誰か識別できない・・・。お話も出来ない・・・。お見舞いに行くと、介護しているご主人が、お茶を出してくれたりして余計な手間を取らせてしまいます。ついつい疎遠になってました。

Fさんの家の前に車椅子を発見。Fさんが座っていました。
ディサービースの迎えの車を待っている所でした。

「Fちゃ~~~ん!!」
名前を呼んで見ましたが何の反応もありません。

そばに行って
「Fちゃん!元気だった?朝日館のみほちゃんだよ。わかる?」

すると首がコクリとしました。

そばにいたご主人が笑って
「ばあちゃん、ほんとうにわかるのか?この頃は俺のこともわからなくなってきたんだ」
と言ったら、反応なし。遠くを見つめる目。

嫁に来た頃、Fさんがパートさんとして我が家を仕切っていました。子供達が中学校ぐらいまで手伝ってくれていました。

姑は優しい人で、私が何も出来なくても
「そのうちできるようになるから。大丈夫」
と言う人でした。

しかし、Fさんは
「そんなことも出来ないんだべが。まったく、今の嫁さんは!学校で何を習ってきたんだべ」
と言いました。

若かった私は
「なんて意地悪な人なんだろう」
と、時にはその辛らつな言葉に泣きました。

でも、意地っ張りの私は
「子どもの浴衣ぐらいは母親が縫ってやるもんだべ」
と言う言葉に
「そうね。では縫って着せますから」
と、和裁の本と首っ引きで子供達に浴衣を縫って着せるような、可愛くない嫁でした。

お料理も
「こんな味付けでよく料理作ったって言えるね」
と容赦なくだめ出しをされました。本気でお料理の本やテレビの料理番組を見ては、ノートに書き写して、勉強しました。

着物の着付け、梅干の漬け方、障子張りなどなど。若かった私は彼女への対抗心だけで必死におぼえました。

おかげで大体のことを何とかできるようになったのです。

そんな彼女も、我が家の子供達を自分の孫のように可愛がってくれました。娘が死んだときには、もうすでにパーキンソン病で痴呆が始まっていたのに、写真を指差して
「菜穂ちゃん・・・死んだ・・・かわいそう・・・」
って言ってくれたっけ。

ご主人が喘息で闘病生活が長かったから、朝から晩まで良く働いて子ども4人を立派に育てたんだよね。

お日様よりも早く起きて、田んぼと畑の仕事をし、子供達に朝ご飯を食べさせて、洗濯物を干して、朝日館に来る。暇を見つけては家に帰り、洗濯物を取り込んだり、夕ご飯の支度をして又朝日館で働く。

時々お箸を持ったまま居眠りしていることもあったよね。
あなたぐらい働いた人は新地町にはいないでしょう。

あんなに働いた手は、もう小刻みに痙攣するだけで動かない。
その動かない手をさすって
「Fちゃん、あんたがいたから、今、私は朝日館の女将をしてられるんだよ。いろいろなことをいっぱい教えてくれてありがとう」
と言ったら、涙が止まらなくなりました。

私の泣き顔を不思議そうに見ているFちゃん。

泣きながらもう一度
「Fちゃん。私のこと忘れないよね。朝日館のみほちゃんだよ」
と言ったら、また、コクリと首が動きました。

by asahikanokami | 2006-09-07 13:06 | 私のこと | Comments(4)

ゆだねる 手放す 力を抜く

おっとっとのサイマティック治療の後で、私もサイマティック治療を初体験しました。

ベットにうつ伏せになって、腰の疲労を取ってもらいました。

ブ~~~~ンとかすかな振動が伝わってきます。

「体の力を抜いてください」
と言われましたが、体の力ってどういう風にして抜くんだろうか。

「出来ません。どうやったら良いのかしら」
という私の質問に、先生が困惑顔。

どうやら、私はゆだねることが苦手のようです。
こだわりが強すぎる・・・らしい。
こだわりを手放すことが出来ない・・・らしい。
自分以外を信じていない・・・・らしい。


朝日館に嫁に来た時に姑に一番先に言われたのは
「めん鳥が時を告げると国が滅ぶと言うけど、朝日館は代々めん鳥が時を告げてきたんだよ。朝日館の男どもはしっかりしてないから、あんたがしっかりしないと朝日館はつぶれます。今日からあんたが時を告げなさい」
と言うことでした。

そして姑は続けてこう言いました。
「お金を男どもに見せてはだめ。家の男どもは、お金があるとあるだけ、将来のことも考えないで使ってしまうから。お金はすべて隠しておいて、いざと言う時にだけ出しなさい。普段はお金がない、お金がないといって生活しなさい。けっして通帳の残高など教えないように」

私はその言いつけを守って今日まできました。

なぜ姑がそう言ったのか、時と共に理解できました。

舅、夫、息子、いずれもお坊ちゃま。苦労知らず。お金は無尽蔵にあると思っている。欲しい物は即買う。いらなくなるとすぐに他人に呉れてやる。仕事もとりあえず目の前の仕事だけをする。将来など考えない。行き当たりばったり。

自然に私がしっかりしなくちゃと思いながら生活するようになりました。

旅館はお客様が夜中でもいらっしゃいます。いつも神経を張り巡らしていないとなりません。そして、気がついたらいつも体に力が入ったまま生活している私になってしまいました。

力が入っている状態が普通なので力を抜くと言うことが出来ないのです。

どうやら、私はリラックスしているつもりでも、神経は常に使っているらしい。では、どうしたら神経もリラックスできるのでしょうか。長年の習慣は恐ろしいもので、力を抜くことをすっかり忘れてしまったようです。

言い換えれば、誰か心から信頼してすべてをゆだねることが出来ないらしいのです。自分ではしているつもりだったのですが、自分のこだわりを掴んでいて手放せないようです。欲張りな私。強情な私。

そうなったら、きっと、出来ない自分を許せることでしょう。出来ない自分を責めることもなくなることでしょう。出来ない自分を認めて抱きしめてあげることでしょう。

そうなったら・・・素敵だなぁ・・・でも・・・すごく難しいな・・・・。

ゆだねる。手放す。力を抜く。
これからの私の人生の目標になりました。

by asahikanokami | 2006-08-30 22:28 | 私のこと | Comments(8)