朝日館の女将のてんてこ舞日記


東日本大震災で被災した小さな旅館の女将の日々
by asahikanokami
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カテゴリ:昔話( 18 )


しんちまち生涯学習フェスティバル

1月29日、30日の二日間、新地町農村改善センターと新地町保健センターでしんちまち生涯学習フェスティバルが開催されました。

新地町の公民館活動のグループと地域で活動しているグループやサークルが60団体集まって、年一回の交流と発表の場です。

人口がわずか8500人ほどの小さな町に、60ものグループが活動しているのは驚きです。

舞台では、民謡、よさこい、社交ダンス、3B体操、太極拳、日舞、カラオケ、大正琴、コーラス、手話、詩吟、マジック、ハーモニカ、アルプホルン、フラダンスなどのグループと一緒に、新地語ってみっ会も昔語りをしました。

毎年開催されるこのフェスティバル。出演団体が多いので語ってみっ会が貰った時間はわずか10分です。今年は私が出演する番でした。

毎年、三人が当番で語っているので、一人3分の持ち時間です。私は新地町福田に伝わる悲恋の話をしたいと思いましたが、実はこの話は長いのです。普通に語ると6分かかります。

さてどうしたものか。他の話をしようかとも思ったのですがどうしてもこの話を語りたかったのです。この話には、福田に住んでいる人達の優しさがあふれているのです。

あちこちを削除。ストーリーの部分だけを残し、会話や説明の部分はすべて削除しました。それでも早口で語って4分かかります。どうしたものか・・・。

まぁ、何とかなるだろうと高をくくって舞台のそでに行きました。そしたら、司会の方が
「村上さん、少しゆっくりと話をしてください。プログラムが予定よりも早く進んでいるんです」
と言うではありませんか。

しめた!!

おかげで、会話の部分を復活させ、思う存分に間をとることもでき、思いを込めて語ってきました。

私が語っている写真。出来上がってきたら・・・・ぎゃぁ~~!!なんという猫背!!自分でもがっかりしてしまいました。まるで昔話を語るお婆さんです。若いつもりしてたのになぁ・・・・・。それなりに写ってしまった・・・。

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それはさておき、他の会場でも作品が所せましと並んでいて、新地町には趣味人が多いことを誇らしく思いました。

絵手紙、川柳、短歌、俳句、フラワーガーデン、絵画、書道、アクセサリー、エコクラフト、パッチワーク、いけばな、押し花、吊るし雛などのサークルのすばらしい作品が並んでいました。

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なにはともあれ、無事に語り終えてほっとしました。

by asahikanokami | 2011-01-31 21:40 | 昔話

越中山(新地の昔話)

昔々
冬の寒い日のことだったと。

ちらちらと雪が舞う中を、一人の薬売りの娘がやってきたと。
はるばる越中富山から、薬箱背負って、薬を売り売り歩って来たんだべな。一軒の家が快く娘を泊めてくれたと。

ところがそこ家のひとり息子、ひと眼で娘のことを好きになってしまった。娘を帰したくない息子は、次の日も、その次の日も
「この大雪の中、急いで帰っこともないべ。そのうち雪もやむべからもう一晩、泊ったらいいべ」
と引き留めたと。娘も息子のことがまんざらでなかったんだべな。引き止められるままに三日ばかり厄介になったと。

ほだどもいつまでも、こうして厄介になっているわけにはいかねぇ。雪がやんだのを潮どきに、娘はその家を発つことにしたと。
「また来てけろな」
「はい。来年の冬にまた来るがら」
「必ず来てけろよ。待ってがらな。必ずだど。その時は・・・・・・・・その時は、おれの嫁になってけろ」
「・・・・・・はい・・・・・・」
娘は消え入るような声で、嬉しそうに返事をしたと。

春が来て、夏が来て秋が来て、やっとこ冬になって、娘は飛ぶように山を下ってきたと。もはや離れることができなくなった二人は、息子の親たちに結婚させてくれと頼んだと。ほだども父親は
「どこの馬の骨だかわからねぇ流れ者を、大事な一人息子の嫁に迎えるわけにはいかねぇ。出て行ってけろ。すぐに出て行ってけろ」
と、かんかんになって、娘を追い出してやったと。

娘は、泣き泣き出て行くしかなかったと。
「月日がたてば、いつか親たちの気持ちも鎮まっぺ。それまで待っているしかないべな」
娘は山の中腹で、息子の家を眺めながら泣いたと。

残された息子は、飯も食わなくなって笑らわなくなったと。ふさぎ込む日が多くなり、やがて重い病気になって寝込んじまったと。

父親は娘を恨んだと。
「あの娘のせいで、大事な息子が寝込むようになってしまった。あの娘さえ来なければ・・・・・・。あの娘さえ泊めなければ・・・」
父親は、すべての不運を娘の責任になすりつけて、薬売りの娘を恨んでいたと。

次の冬も薬売りの娘はやってきたと。
ほだども父親は
「よくも、どの面下げて来られるもんだ。お前のせいで、おら家の息子は重い病気になってしまって、明日をも知れぬ命だ。息子にもしものことがあったら、一生お前のことを恨むからな。おぼえていろよ」
と、カンカンにごしゃいだと。

息子が病気だと聞いて、娘は一目でいいから会わせてくれと頼んだど。ほだども、父親に蹴飛ばされるように追い返されてしまったと。

息子が死にそうだと知って、娘は心配で、心配で、気が狂いそうだったと。そばで看病してやりたくてもそれもできねぇ。どうすることもできねぇ。
娘は泣きながら、山を這い登り、息子の家が見える所まできたと。

ちらちらと降り始めた雪は、あたりが夕やみに包まれる頃から、やがて大きな牡丹雪に変わったと。

のんのんと雪は音もなく一晩じゅう降り積もったと。

翌朝、里の人が山道を通ったら、まるで祈るような格好で、薬売りの娘が雪にすっぽりと包まれて死んでいったっけど。息子も後を追うように亡くなったと。

里の人たちは、もごいと思ったんだべな。娘の亡骸を、懇ろに葬ってくれたと。そしてその山を、越中富山の薬売りの娘にちなんで、今でも『越中山』って呼んでいるんだと。

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(1月29日、新地町農業環境改善センターで行われる生涯学習フェスティバルで、この話を昔語りします。猛練習中です←うそです。さぼってます。練習しなきゃ)

注:もごい→かわいそうとかあわれだとか言う意味です。

by asahikanokami | 2011-01-21 20:37 | 昔話

やっと脱稿

昨年の夏から始めた新地の昔話集の原稿が、やっと脱稿しました。

ずいぶん力作のように思われると思いますけど・・・・・、実は・・・・・、それはほら、私のことですから・・・・気が向いたときにぽつぽつと書いていたので、こんなにも時間がかかってしまいました。

お話は30話。原稿自体は10月には出来上がっていたのですが、昔話の舞台になった場所の写真を撮ったり、誤字脱字やら新地弁のおかしい所を直したり、昔話を教えていただいている川辺先生や新地語ってみっ会のメンバーに、あちこちを添削してもらったりしていたので、こんなにも時間がかかってしまいました。

今日は天気も良かったので、最後の写真を撮りに水神神社(安波神社)と大槻神社に行ってきました。

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(水神神社)

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(大槻神社)

水神神社は我が家から歩いて10分ぐらいなのに、いつでも行けると思ってなかなか腰が上がらなかったというのも、いかにも私らしいです。

大槻神社は、秋に一度カメラを持って出かけたのですが、一本道を間違って違う所に出てしまいすごすごと帰ってきてしまいました。

我が家からは鹿狼山のふもとに通じる一本道の途中にある大槻神社。間違うはずがないのに、方向音痴の私は、自分が住んでいる町内でさえ迷ってしまいます。自分でもあきれてしまいます。

そして
「あ、今日はお参りに来なくていいよという事なんだわ」
と、方向音痴を棚に上げて、自分勝手に解釈してさっさと帰ってきてしまいます。まったくねぇ!!

明日は語ってみっ会の練習があるので(30日の生涯学習フェスティバルに出ます)会員の皆さんに最終確認をしてもらって、いよいよ冊子に仕上げたいと思っています。

楽しみです!!

by asahikanokami | 2011-01-12 23:24 | 昔話

白幡の大銀杏

友人が遊びに来たので、一緒に白幡の大銀杏を見に行ってきました。

実は今、新地町の昔話を冊子にしようと執筆中です。その中に、昔話の舞台になった場所の写真を入れたいと思っているのです。

10月に二回、11月に入ってからも二回見に行きましたが、他の銀杏の木は黄色なのに大銀杏は緑のままでした。

どうやら銀杏は大木になるほど黄色になるのが遅いようです。大人が5,6人で囲まなければ一回りできないほど幹の太い、大きな大きな銀杏の木。まだ少し緑も残っていてそのグラデーションは、言葉も出ないほどの美しさです。

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むかしむかし
白幡の大イチョウの近くに美しい娘が住んでいたったと。

毎晩、娘の部屋から楽しそうな話し声が聞こえてくるようになったもんだから、親達は心配になってきたと。

そこで、ある晩に母親が障子の穴からこっそりと娘の部屋を覗いてみたらば、娘が話をしている男の袴の裾から蛇のしっぽが見えたと。

娘のところに通ってきていたのは大蛇だった。

驚いた母親は、娘に言い聞かせたと。
「今夜、男が来たら、着物の裾に長い麻糸つけた針を三針縫い付けておけ」
娘は男の袴に、麻糸のついた針を三針縫いつけてておいたと。
翌朝、母親が麻糸を手繰っていくと、逆さ銀杏の根元まで続いていたと。

銀杏の木の洞の中から
「苦しい・・・・・苦しい・・・」
とうめき声が聞こえてくるんだと。

そしてその脇で蛇の母親が
「だがらあれほど人間には近づくなって言ったべ。人間を迷わせたからその罰が当たったんだべ。そのうちみろ、おめぇは針の毒が体中に廻って死んじまうがら。まったくバカなことしたもんだ」
と息子を責めている声がしたと。

すると蛇の息子は
「なぁに、俺はあの娘の腹に子を残してきたから大丈夫だ。蛇の子が生まれるときに、娘の腹を食い破って出てくるから、その時娘も死ぬべがら」
って泣き泣き言ったと。

そしたら母親の蛇が
「人間は利口だからなぁ。五月の節句に菖蒲と蓬を入れた風呂に入ったら、蛇の子がみんな落ちて娘の命は助かることぐらい知っている」
と言ったと。

立ち聞きしていた母親は、恐ろしくなって体が震えたと。すぐに家に飛んで帰っって節句になるのを指折り数えて待ったと。

節句の日、菖蒲と蓬を入れた風呂に娘を入れたら、ゾロゾロと蛇の子がみんな腹から落ちて流れて死んでしまったと。娘の命は助かったと。

大銀杏の洞には大蛇が死んでいたったと。

それからというもの、五月の節句には健康に生活できるように願って、お風呂に菖蒲や蓬を入れるようになったんだと。

おしまい。

by asahikanokami | 2010-11-28 23:27 | 昔話

カラスの話

明日は新地小学校の4年生に昔語りをしてきます。何を話そうか考えて、カラスの話をしようと思っています。これは新地に伝わる昔話です。


「カラスの話」

昔々の話だと。
昔からカラスは嫌われものだったと。

なにせ百姓がせっせと種を蒔いても、その後からやってきては、片っ端からほじくって食ってしまう。秋になって柿などが実って、喰い頃になったからもぐかと思って来てみると、カラスが先取りして、うまい所をつついて喰ってしまう。
百姓たちは、ほとほと困ってしまって、お釈迦様のところに頼みに行ったと。

「お釈迦様、お者様。俺達が一生懸命にまいた種。カラスがやってきてすっかりほじくてしまって困っているんだが、カラスの野郎をどうにかしてもらわれねぇべか」

お釈迦様は早速カラスを呼びだしたと。

「お前は百姓が一生懸命に蒔いた種を、片っ端からほじくって喰ってしまうそうだな。百姓たちが困っているからこれからほじくっては駄目だぞ」

だけれども、カラスにはカラスの言い分があるんだど。

「お釈迦様。そう言われでも、おれたちカラスだって、何が喰わないではいられねぇ。なにも喰わなきゃ死んじまうべ」

カラスにそう言われるとお釈迦さまも困ってしまった。腕組みしてしばらく考えて言ったっけど。

「カラス、カラス。お前たちの言う事も良くわかった。それでは、これからこういうことにする。お前たちカラスは畑のものを食わない代わりに、お寺さんに上がったものは全部喰っても良いことにする。お墓のお供え物は全部喰っても良い。ただし、亡くなった人の冥福を祈って、お経を上げてから喰うんだぞ」
と、言って聞かせたと。

それからというものは、カラスはお墓に何かお供え物があるのを見つけると
「かぁ~かぁ~かぁ~」
とお経をあげてから、食べるようになったと。

そうしているうちに、だんだんに、カラスは
「誰か死ぬ人いないべか。お墓にお供えが上がらないべが」
と言って、、死ぬ人を探して歩くようになったと。

鼻をひくひくさせで、そこら中を嗅ぎまわっているうちに、だんだん鼻が効くようになってきて、今では
「この人は間もなく死ぬなぁ。そしたらお供えを食うごとができる」
と判るようになったと。

それで死にそうな人がいると、早々と
「かぁ~かぁ~かぁ~」
とお経を上げて死ぬのを待っているんだと。

そんなもんだがら、今でもカラスが集まって
「かぁ~かぁ~かぁ~」
って鳴いてると
「カラス鳴ぎ悪いこと。誰か死ぬんでないべが」
って言うんだと。

おしまい

(注:カラス鳴ぎというのはカラスの鳴き声の方言です)

by asahikanokami | 2010-09-14 22:26 | 昔話

豆名月

新地に伝わる昔話を本にしようとまとめています。
その中から一つをご紹介します。この話を今月の小学校でのお話会の時に語ろうと思っています。

「豆名月」

昔々
新地に貧しいけれども正直者の夫婦が住んでいたったと。

二人で朝早くから暗くなるまで一生懸命に働いて子供を育てていたったと。
それでも、なんぼ働いても働いても、喰うのがやっとだったと。

ある年の春のこと。働きすぎたんだべが、おとっつぁま、ぽっくりと亡くなってしまったと。

残されたおっかさまと幼い子供たち。最初のうちは
「これから先どうすっぺ。どうしたらいいべ」
って泣いてばかりいたったども、喰わなくてはなんねぇ。
泣いでばかりいられねぇ。親子で一生懸命に力をあわせて田畑を耕して暮らしていたっけど。

おっとつぁまが生きていてさえ、食うや食わずの生活。そのおとつぁまが居なくなったんだもの、ますます生活は大変になっていったっけど。

田の作付け、田の草刈り、田の仕事で精一杯で、畑までは手が回らなかったと。
だがら、秋になって豆名月になっても、供える小豆も大豆もなかったと。

「お月様にお供えする豆がねぇ。どうしたらいいべなぁ・・・・・・・」
困ってしまったおっかぁさま。お寺の和尚様に相談に行ったと。

「和尚様。名月様にお供えする豆がなくて困っているが、どうしたらいいべ」
すると和尚様、ニコニコ笑って
「何にも心配することねぇ。お月様に豆を供えたければ、他の家の畑に行ってもらって来い」
って教えてくれたど。

「だって・・・・・・黙って他人の畑から取ってきたら泥棒だべ・・・・・・」

「いや、黙って取ってくるんではねぇ。苦労して作った畑の持ち主に『貰っていぐがらな』って畑で一言断ってからもらうんだぞ。そして橋を渡ってはなんねぇ。橋を渡らないで家さ帰って、名月様にお供えをしろよ」
と教えてくれたと。

それで、今でも、新地では名月様にお供えする豆は、どこの畑からでも貰っても良いことになっているんだと。

だども、黙ってもらってきてはなんねぇよ。必ず畑で
「ありがたく貰っていくからな」
って、豆を作った人にお礼を言わなくてはなんねぇんだよ。

おしまい。

このお話を知った時に、どうして橋を渡ってはいけないんだろうと疑問でした。
きっと橋を渡ると、隣村だったりして、後々、争いなる心配があるからでしょう。

同じ町内ならお互いさまと言って許される。
そんな人情のある町。新地が大好きです。

by asahikanokami | 2010-09-08 00:40 | 昔話

第一回観海堂昔語りの会

21日のテレビ・・・・スイッチを入れたらすでに私の出番が終了していて見ることができなかった・・・・という間抜けな私。

それはそれとして22日に第一回観海堂昔語りの会が行われました。

せっかく多額の費用をかけてかやぶき屋根を葺き替えしたのだから、観海堂を利用して昔話をしようということになりました。

普段は月一回、老人会の人たちがお掃除といろりの火入れをしています。いろりに火を入れて、その煙で屋根のカヤの虫をいぶすのです。またいぶすことにより、建物の木材が長持ちするのだそうです。

準備のためにちょっと早めに観海堂に着くと、すでに管理人さんがいろりに大きな木を燃やしていてくれていました。風の向きで大量の煙が来てけむいことけむいこと。

久しぶりに煙のにおいをかぎました。

観海堂の中はこんな感じです。

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奥の部屋には勉強をしている先生と生徒の人形があります。このお人形を子供たちが怖がるんですよね。薄暗い所に、薄汚れた人形が飾ってあるので大人が見ても不気味です。

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片づけてほしいと教育委員会にお願いしたら、県の指定遺跡になっているのと、このお人形を展示するときに県から補助金をもらった関係で片づけられないんですって。

開始時間になっても聞きに来てくれたのは6人。語り手は9人。町の教育委員会にこの話を持って行った時には、ポスターも作ってあげるし、町の広報でも宣伝しますっていう約束だったのに、ポスターは作ってもらえなかったし、広報にもほんとに小さく載っただけだものなぁ。

まぁ第一回だから、次回から少しづつ増えていければいいか。

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新地語ってみっ会の会員がそれぞれ一話ずつ自分の好きな話を語りました。

わたしは「婿のあいさつ」というバカ婿話をしました。私はのんびりとした口調なので、こういう笑い話向きではありません。川辺先生から
「笑い話はリズムよく少し早口で話した方がいいですよ」
とアドバイスをいただいていたので、リズムよく話すことを心掛けました。

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みんなに笑ってもらえてホッとしました。

最後は川辺洋子先生が「カッコウの話」ちょっとホロリとするお話でした。

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そして新地町の語り部の第一人者の小野トメヨさんの「山鳩の話」これから山鳩の声が聞こえる季節になります。声が聞こえたらきっとこの話を思い出すことでしょう。

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聞きに来て下さった教育長さんにも一つお話をしていただきました。

来月も第三土曜日の午後一時半から昔語りをします。多くの方に参加していただきたいものです。
それにはまず宣伝だなぁ。

by asahikanokami | 2010-05-24 22:58 | 昔話

観海堂昔語りの会

観海堂というのは案内板によると
学校領布に先立ち、明治5年5月設立された共立小学校。宇多郡・亘理郡長助役であった目黒重真が、明治の新しい時代を迎え
「これからは教育が最も大事」
という考えにたち、新地方部11カ村の村長や有志に学校設立を呼びかけて建設されました。

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仙台藩校養賢堂の教授であった氏家晋(号 閑存)を招き、民家を利用して学校を設立しました。

建物の外見は木造平屋、寄棟、茅葺の亘理伊達氏の家臣旧臣宅で屋根上部には煙出しが入母屋状になっています。観海堂は昭和41年に福島県指定史跡となっています。

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せっかくこのような文化財があるのに、なにも利用しないのはもったいないと、このたび新地語ってみっ会の仲間たちが新地町教育委員会に働きかけて、昔話の会を開催することになりました。

例年なら6月に昔語り発表会をするのですが、今年は毎月第三土曜日の13時半から、観海堂で昔語りをすることで発表会に代えようということになりました。

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さっそく今月は、5月22日13時30分から昔語りの会をします。まずは第一回ということで、私たちの先生川辺洋子さんと、新地町の語り部小野トメヨさんをゲストとしてお呼びし、語ってみっ会のメンバー全員が語ります。

興味のある方、お近くの方はぜひおいで下さい。お茶の用意をしてお待ちしています。

ちなみに6月は私が語りの当番です。3名が当番ですが一人で30分も語ることになります。ひゃぁ~~~!練習しなきゃ!!

(写真は今年の観海堂の桜。長雨の後だったので足首まで泥に埋まりながら撮影してきました。靴と靴下が悲惨な状態になりました・・・・・)

by asahikanokami | 2010-05-12 14:09 | 昔話

ひころの里へ

宮城県南三陸町志津川にある「ひころの里」という所に、昔話を聞きに行ってきました。

一緒に出かけたのは新地語ってみっ会の仲間たち。

普段は国道六号線と農道の半径30キロぐらいしか運転しない私。おっとっとが運転してくれることになっていたのに、うっかりと前日の宿泊客の予約を入れてしまいました。

まさかお客様に朝8時に出かけるからそれまでに出てくれとは言えず・・・・結局、おっとっとが家に残って、私の運転で出かけることになってしまいました。

我が家から15分のところに山元インターができたので出発点から終点の登米までの高速道路の運転。一直線だから私にでも運転できそうです。

なんとか高速も無事に降りて(運転する私も緊張したけど乗っている皆はもっと緊張したかも)ひころの里には予定よりも50分も早く10時10分に着いてしまいました。

昔話の語りの予約は11時。

そこはおばちゃんたちのこと。なんと駐車場でコーヒータイムです。駐車しているのは私たちだけなのを幸いに、持ってきたお菓子やコーヒー、お漬物や果物などを広げてお茶をしました。

雨の予報だったのに、晴れ女の私の運転ですもの、晴れるに決まっています。良いお天気になり風も気持ち良く、紅葉も始まっていてなんと良い日なんでしょう!!

今日はどんなお話を聞くことができるのでしょう。楽しい期待で皆にこにこわくわくです。

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            (つづく)

by asahikanokami | 2009-10-27 22:50 | 昔話

豆っこ話の続き

もともと私はお調子者なんです。
すぐに調子に乗って、言わなくてもよいことまでしゃべって、時には顰蹙を買い、時には人を傷つけてしまい、後で自己嫌悪で落ち込みます。

その後、しばらくは失敗を肝に銘じていて慎重に行動しますが、喉元過ぎればなんとやらで、またまた元の黙阿弥と失敗してしまいます。

この繰り返しで、少しは学習能力があればいいのに、持って生まれた気性といいますか、性分といいますか、懲りもせずに同じような失敗をしてしまうのです。

この時も、お嬢ちゃんがあまりにも大喜びしたものだから、ついつい調子に乗ってしまいました。

お嬢ちゃんが5歳だということもあって気を許してしまったのです。ご両親に向かって話を続けました。
「ここまではお子様向けのお話です。実はこの後大人向けの続きがあるのです。

バフラっと飛んだ黄粉は、なんとお婆さんの大事なところに皆くっついてしまったと。お爺さんは
『いだましぃ、いだましぃ(もったいない、もったいない)』
とペロペロとなめたと。
おしまい」

そしたら後日、じゃらんに書き込みがありました。
『先日はお世話になりました。5歳の娘に奥様が方言を交えた昔話をしてくださり、ありがとうございました。やさしく丁寧にお話してくださったので、娘も理解していたようです。翌日、幼稚園が参観日だったんですが、友達に昔話を教えていました(しかも、きな粉がおばあさんにくっついたというくだりまで話していました) 』

ぎゃぁ!!

子供だからわからないだろうと思って調子に乗りすぎました・・・・。

申し訳なくて穴があったら入りたいと思いました。
これからは品の良い昔語りをするように心がけます。
ごめんなさい・・・・・・・。

by asahikanokami | 2009-09-12 09:09 | 昔話