朝日館の女将のてんてこ舞日記


東日本大震災で被災した小さな旅館の女将の日々
by asahikanokami
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カテゴリ:友人のこと( 10 )


今年の雪

高校時代の同級生から電話がかかってきました。私の母校は秋田県立横手高校です。

「今年は雪が多くて大変だってニュースで言っていたけど、どうなの?」

「屋根の上に二メートルあるよ。雪下ろししないと家がつぶれるから、雪下ろしするんだけど、下ろしているうちにまた降って来て積もる。腹立つよ。今年に入ってからだけでも二回下ろしたのよ」

「うわぁ!大変だね」

「横手の駅に降りた観光客が『まぁ!真っ白!!ロマンチックだわ』なんていうのを聞いた時には、ぶっ飛ばしてやろうかと思ったわ」

「あはははは」

「来月はかまくら祭があるけど、もうすでに町中がかまくら状態になってるよ。雪下ろしの時に落ちて亡くなる人も多いし、雪で家がつぶされたとか、雪下ろしができない一人暮らしの高齢者がいっぱいいるとか、毎日雪のニュースばかり。今年はお彼岸のお墓参りはできないかも」

そうなんです。雪が多い年には、お彼岸でもお墓の上にはまだ雪が残っていて、お墓を雪の中から掘り起こさないとお参りもできません。今年は掘り起こすこともできないぐらい積もっているんですって。

観光で雪を見に行く観光客にとっては素敵な雪景色も、半年間、雪に埋もれて住んでいる地元の人間にとってははなはだ迷惑な大雪です。

高校時代に夜中に除雪車が何度も通る音などを思い出しました。朝起きると玄関口に除雪された雪の山ができていて、それを片づけないと家から出られませんでした。

秋田では車や列車や飛行機などが通ることを「走る」とか「飛ぶ」とか言わないで「歩く」って言うんですよ。

「今日は除雪車が頻繁に歩く晩だな」
「この雪では列車は歩かないべな」
などと言います。

最初聞いたときは、除雪車はゆっくり走るから歩くと言うのかと思ったのですが、速いスピードの車も列車も飛行機も「歩く」と言うことを知った時には、驚くやら、おかしいやらでした。

今の子供たちは方言を使わないから、きっと「歩く」とは言わないでしょうね。

今日も一日中、除雪車が歩いていることでしょう。
早く春が来てほしいです。

「は~~るよ来い!!」

by asahikanokami | 2011-01-24 14:25 | 友人のこと

フー太郎の森基金のこと

我が家のホームドクター今田かおるさんが
「今夜新妻さんを朝日館に連れて行くからお話を聞いて」
と電話をよこしたのは5月4日。超多忙のゴールデンウィーク中。

新妻香織さんのことやフー太郎の森基金のことはテレビや新聞などで少し知っていましたので、是非お話を聞いてみたいと思いました。

新妻さんはスレンダーな美人。「NPОフー太郎の森基金」という活動をしています。

旅行雑誌の記者だた新妻さんは、なぜか自分の人生は短いと思っていて、それなら思い通りに生きたいと、会社を辞めて単身でアフリカを旅行しました。

その途中、子供たちがボールの代わりにフクロウの子供を蹴って遊んでいるところに遭遇し、まるで浦島太郎と亀のように、お金でそのフクロウの子を買い取って一緒に旅行したのだそうです。何ヶ月か後、元気になったフクロウのフー太郎を森に帰してあげました。

その場所がエチオピアのラリベラの教会でした。

新妻さんがラリベラの教会の写真を見せて下さったとき
「あっ!ここ!!知っている!!行きたい教会だ!」
と叫んでしまいました。

そこは世界遺産の岩窟教会。大きな岩を十字にくりぬいて作った教会。
いつか行ってみたいなと憧れていた教会だったのです。

帰国後、新妻さんが一番に危惧したのは、そのうちエチオピアの緑は全滅するだろうということでした。そしたらもう人間も動物も住めない。一つの国が滅びる。

国土の60パーセントが森林だったエチオピア。戦争や内紛が続き、森林が燃料として伐採され続けました。戦災で焼けました。また人々は仕事が見つからないので炭を焼いて売って生計を立てたてていました。しかし伐採する人はいても、植林する人はいませんでした。

その結果、森林は国土の8パーセントまで減り、山は赤茶けた岩肌がむき出しになり、川は干上がってしまいました。干ばつによるひどい飢饉。伝染病の蔓延。そしてますます緑が切り倒されていくことになったそうです。

フー太郎が住む森が無くなる。旅行中に出会ったあの笑顔の子供たちの未来はどうなる。危機感を持った新妻さんは、とにかくラリベラに木を植えようと立ち上がりました。たったひとりで。

しかし一人の力など知れたものです。資金も集まりません。それでもなんとか、街頭での募金やマスコミや講演会を使っての宣伝など、がんばって資金を集めてラリベラに行ったのだそうです。

それなのに植林の許可は下りませんでした。許可を得るのに7年かかると言われたそうです。失意の日々。

その時奇跡が起きました。ラリベラ高校で植林の手伝いをしてくれるというのです。学校行事ということで種を蒔き、苗を育てて、木を育て、森があった場所に植林が開始されました。その後、小学校や教会などを巻き込んで、実に3万本もの木がラリベラに植えられたのだそうです。

植林と同時に教育も始めました。なせ植林が必要なのか、小さい子供から大人にまで説いて歩きました。

新妻さんの活動は次第に認められ、10年以上の活動で、日本の中でも支援者が増え、現在、ため池を8つ掘り、学校を4つ建て、3万本の植林を終えました。

そしてこれからもっと大きなプロジェクトを開始しているのだそうです。

炭を売らなくても済むように、ドライフルーツの工場を建てること。15万本の植林をすること。

感動しながらお話を聞きました。世の中にはすごい人がいるんだなぁ。私は自分の心配で精いっぱいなのに、私財をなげうち、困難をエネルギーに代えて頑張っている人がいる。

体が震える思いでお話をお聞きしました。

http://futaro.org/index2.php

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(今田かおるさん、私、新妻香織さん)

by asahikanokami | 2010-05-14 22:15 | 友人のこと

50年前のお味噌とたくあん

流水さんから50年前のお味噌とたくあんをいただきました。

お味噌はちょっと色が黒くなりましたが、塩が枯れて甘さも感じられるおいしいお味噌です。

たくあんは、酸味が感じられますが、これもちゃんとした(?)たくあん。歯ごたえも残っています。

この宝物が発見されたお家は、直木賞(第101回)作家笹倉明さんの 古民家のご生家です。

流水さんが始めた「グリーンオーナーズプロジェクト」が、住む人がいないこの古民家を(中はオール電化らしい。すごい!)畑や田圃ごと借りて、誰でも自由に使えるようにしました。

お家の中や蔵を整理した時、蔵の中に眠っていたのを発見したのだそうです。

実は以前、我が家でも20年ぐらい前のたくあんを見つけたことがあります。臭くもなく、色は悪くなっていましたが、しっかりとしたたくあんがカメの中に50本以上入っていました。

私は何の考えもなく、そのたくあんを捨ててしまいました。そのことをブログに書いたら、多くの方から
「もったいない。欲しかったのに」
とメールをいただき驚きました。

ええっ!食べられるの???????

発酵食品ですから、発酵が進んでいるだけで腐敗しているわけじゃないんですって。だから食べられるんですって。知らなかった・・・・・。全部捨てちゃったよぉ・・・・・。

恐るべし!微生物の力!!

お味噌は50年もたつと薬効がすごいらしい。なにせ50年間、発酵熟成を続けていたのですから当前かもしれません。

それで流水さんのブログを拝読したときに
「食べてみたい」
と書きこみました。

そしたら忘れずに持ってきて下さったんですよ、50年前のたくあんとお味噌。

そこで、朗読会に参加したみんなで大試食会となりました。

たくあんは切って、お味噌は、ちょうどその日の朝に掘りあげたばかりのエシャレットをいただいていたのを思い出し、それにつけていただきました。

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おいしかった!!

たくあんもお味噌も。特にお味噌は、エシャレットに負けない存在感があり、大豆と麹の甘みと塩加減が絶妙に熟成されて、お酒のつまみに最高でした。

by asahikanokami | 2010-05-09 08:18 | 友人のこと

なおちゃんの息子君のこと

なおちゃんの息子君。なぜかとても身近。会ったこともないのに、なおちゃんのブログで、幼稚園の時からずっと成長を見ているからかもしれません。

実はずっと息子君の隠れファンでした。息子君のファンは私のほかにもたくさんいるらしいです。その証拠に、なおちゃんが息子君のことをブログに書くと
「おおきくなったわね」
とか
「かわいいね」
というたくさんの書き込みが連なります。

「みほりんさん!」
初めて会った息子君。朗読会の準備をしている私のそばに来て小さな声で言いました。

「僕ね、みほりんさんって若い人だとばかり思っていた」
思わず吹き出しそうになった私。年甲斐もなく「みほりん」なんていう可愛いハンドルネームを使っているから誰でも勘違いするよね。

「あら、ごめんね。私は息子君のおばあちゃんよりも年上なのよ」
「僕ね、みほりんさんて30歳ぐらいの人かと思ってた。若い人かと思ってた」
「あははは。外れちゃったね」

その言い方がとてもかわいくて、思わず抱きしめたくなった私。
もっと小さい子だったらすぐに抱きしめたのですが、なにせ小学校4年生の男の子。
会ったばかりのおばさん(彼から見たらお婆さんかも)に、突然抱きしめられたら驚くと思い、本当は頬ずりしたいぐらい可愛かったのにやめました。

大人たちが朗読会をしている間、我が家の大広間に、たくさんのゲームカード(っていうのかな?)を広げていました。

せっかく広げたたくさんのカード。でも大人たちは朗読会に夢中で、誰もそのカードを見に行ってくれません。

「みほりんさん。みほりんさん。ちょっと来て。カード広げたのを見て」
私はこっそりと朗読会の会場を抜け出し、たくさんのカードがきれいに並んでいるのを息子ちゃんと一緒に見たのでした。

「すごいね」
「お家にはもっとあるんだよ」
そう言った彼の得意げな顔!ちょっと鼻の穴がふくらんでいる。わぁ!かわいいな!かわいいな!

詩の朗読もとても上手でした。

そして翌日、福島市の花見山に一緒にった時
「お母さん大好き」
って言って、お母さんと手をつないで歩いていた息子くん。

ふっと、ここになおちゃんの亡くなった御主人も一緒に来ているんだなと思いました。息子くんの体を借りて
「大好きだよ」
となおちゃんに伝えているのかな。親子3人一緒に手をつないで歩いているのかな。そう思ったらちょっと胸が熱くなりました。

今年の花見山の桜は、色もいま一つ鮮やかさにかけていましたが、それでもはらはらと散る桜の花びらの下で、大好きな人と手をつないで歩く幸せを息子君に教えてもらった気がします。

by asahikanokami | 2010-05-09 08:08 | 友人のこと

流水さんのこと

そよ風のような人。
流水さんを一言で表すならそよ風のような人です。

ふうっとやさしさに包まれて、なんともいえず安心した気持になります。今までいろいろと思い悩んでいたことが、なんでもないことのように思えて
「な~~んだ、あんなことで悩むなんて」
と思ったりします。

流水さんの相談したわけでもなく、ましてや流水さんが一言も助言してくださったわけではないのに、なぜか自分の中で解決がつきます。本当に不思議な人です。

流水さんはご自分で手広く事業をしているだけでなく、船井塾の理事やそのほかの役員などで御活躍、そして作家でもあり、詩人でもあります。数多くの本を書いていらっしゃいます。

ご自身が超多忙にもかかわらず、寸暇を惜しんで多くの人の応援のために全国を駆け廻っています。食育をもっと大事にしようという「お弁当の日を広めるプロジェクト」や食糧危機を解消するための「グリーンオーナーズプロジェクト」などなど。

リーダーとして多くの人をひっぱて下さるというよりも、背中をそっと押してくださる方です。

流水さんの前に立つと見栄を張ったり、必要以上に自分を飾ったりしても、すべて見とおされているような気がしてなりません。だから自然体でいるしかないのです。

取り繕わなくても良い。自然のままで良いということは何と居心地の良いことでしょう。

でも時々、すごく不思議なことや難しいことをおっしゃいます。
本当は理解できないくせに理解しているような顔をしてうなずいても、きっとお見通しに決まっています。だから知らないことは知らないと、わからないことはわからないと正直に言うしかありません。

背伸びしなくても良いということはとても楽しくてとても幸せなことです。

今回はなおちゃんが流水さんを誘ってくださいました。お忙しい流水さんのこと。お顔を見るまでいらしていただけるかどうかわかりませんでした。

友人の便利屋和尚が急に仕事で来れなくなったのを知らなかった流水さん。和尚からもらったという「和尚ネット」のТシャツを着て朗読会に参加されました。このТシャツで和尚と再会したら和尚が喜ぶとの心遣い。

「えぇ・・・和尚は来ないの?それは残念だなぁ。でもТシャツが和尚の代わりに参加したから良いよね」

なんてやさしいのでしょう。その言葉にほろりとしました。和尚に聞かせたかったなぁ。

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また秋に朝日館においで下さると約束しました。今からその日が楽しみです。

ただ、流水さんが謎の一言を残して行かれたんですよ。
「福島県にムー大陸が存在する」

ええっ???????ム、ム、ム、ムー大陸???????

その謎の解明は秋まで待つことにします。

by asahikanokami | 2010-05-07 22:27 | 友人のこと

なおちゃんのこと

書きたいこと、書かなければならないことがあるのに、なかなかゆっくりとパソコンに向かう時間が持てずにいました。

今夜から少しずつ書いていきたいと思っています。

まずはなおちゃんのこと。

なおちゃんこと、山内尚子さんは「きれい・ねっと」という編集・印刷工房の代表をされています。

「紙とこころをきれいにつなぐ」という熱い思いを抱いて、 出版を通じて人と人のこころをきれいにつなぐ仕事をしています。 

そしてさらにそのことから発展して、詩の朗読会「こころの宝物」、句会「俳句の杜」をはじめ さまざまな講演会、コンサートなどを企画しています。

きれい・ねっとホームページ
http://kilei.net/

なおちゃんと知りあったのは、ミクシーでのこと。
御主人をなくされたなおちゃんと娘を亡くした私に共通する思いがあり、共振し、共鳴し、親子ほど年が離れているのに(もちろん私が倍近く年上)心から尊敬できる方だと思いました。

いつか会ってお話したいと願っていましたが、なにせ関西に住んでいるなおちゃんと福島県の私では遠すぎます。いつかいつかと思っていました。

念願かなって、なおちゃんが御両親と息子さんを連れて我が家にやってきました。

それならと、いつもなおちゃんが主催している「心の宝物」という朗読会を新地語ってみっ会のメンバーにしていただきました。

なおちゃんは「やさしい魔法 ホ・オポノポノ」という本を書いています。自分の体験を通して、彼女なりのホ・オポノポノについてやさしくわかりやすく書いているこの本は、読後になんともいえずやさしい気持ちになるのです。

なおちゃんが自分の体験を通して感じた「ごめんなさい」「ありがとう」「愛してます」の物語。

御主人を一瞬のうちに亡くされ、幼い子供を抱えた一人の女性が、まっすぐに前を向いてしっかりと歩いてきたことに胸がいっぱいになります。

誰でもこんなにやさしさをもっていて、こんないも強く歩いて行けるとしたら、人間ってすごいなぁ、人間って素晴らしいなぁと思います。

なおちゃんのお話を聞いているうちに、自分の中の空っぽな部分にどんどん不思議な力というか、エネルギーというか、何か熱いものが充填されていくのを感じました。とても元気になれました。

それからみんなで「ごめんなさい」「ありがとう」「あいしています」という手紙を書きました。自分の心の底に埋もれていた思い。気がつかなかった思い。気がつかないふりをしていた思い。

それが少しずつ姿を現し、ペンの先からこぼれて行きます。同時になぜか涙もこぼれます。

本当はそのあとにそれぞれ書いたものを朗読してもらうはずだったのですが、時間がなかったので各自が自宅に帰って朗読することになりました。

なおちゃんのむすこさんが金子みすずさんの詩をとても上手に暗唱してくれ、本当に心に残る朗読会になりました。

ひととひとのつながりは不思議です。

長い年月、お付き合いしても心が通じない人もいます。
しかし会った瞬間に一瞬で心が通じる人もいます。

なおちゃんと会って
「なおちゃ~~~ん!」
「みほりんさん!(ミクシーでの私のハンドルネーム)」
とハグした瞬間に、やっと会えたという思いと同時に、なぜか久しぶりに会ったと思いました。

もう少しで
「久しぶりだね~~~」
って言うところでした。何も言わなくてもお互いの気持ちがぴたりと合った、そんな心地よさを感じたのです。

人と人のつながりは、回数も年月も年齢も地理も、そんなことはなにも関係ないのだということを知りました。

by asahikanokami | 2010-05-06 21:57 | 友人のこと

天国への請求書

友人のなおさんは山形県の住人でした。生まれも育ちも山形。
この三月にかわいい坊やと美人の奥様を残して急逝してしまいました。

なおさんは今頃になるといつも
「女将さん、ちょっと遅い誕生日のプレゼントにさくらんぼを送ります」
って、さくらんぼを送ってくれるのでした。

なおさんから届くさくらんぼは、特別美味しくて甘くて、そこの農園のさくらんぼを食べたら他のさくらんぼは食べられませんでした。

その農園はなおさんのお友達なそうです。

それでいつもなおさんに、知人へさくらんぼの発送をお願いしていました。

ところが・・・・・実は・・・・・農園から届く請求書には、我が家に届いた分までのさくらんぼ代が入っていました。

なおさんに言うのもはばかられ、ちょっと遠慮して、自分で美味しく食べたんだからいいかぁ~と、お代を支払っていました。

おととしも、去年も。

請求書よりもさくらんぼが先に届くので、その時に御礼のメールをするから、なおさんはきっと自分がさくらんぼ代を支払っていたと勘違いしていたと思います。

「なおさん、プレゼントのさくらんぼの請求が私のところに来たよ」
って今年こそ言おうと思っていました。

それを察したのか、なおさんはさっさと私の苦情が届かない遠い所に引っ越してしまいました。

とうとう言えないまま・・・・になってしまったなぁ・・・。

今年は農園から直接、注文書が届きました。今年はなんだか悲しくて、さくらんぼを食べることが出来そうにありません。
知人にだけ送ろうと思ってます。

なおさん、そちらにも美味しいさくらんぼがありますか?なんなら、山形の美味しいさくらんぼをお送りしましょうか?そのかわり・・・・請求書も送りますよ。

by asahikanokami | 2007-05-15 09:27 | 友人のこと

友逝けり

親しい友人のなおさんの突然の訃報が2日に届きました。

1月16日の朝に脳幹出血で倒れてから45日。自分でそろそろ旅立ってもいいかなと思ったのかなぁ。
友人一同、毎日元気になることを信じて祈っていたのですが、その願いは届きませんでした。

4日、告別式が行われるというのでおっとっとの車で山形まで出かけました。

ちょっと早めに着いたので、お昼でも食べようと角を曲がったら大きなホールがあって、そこの看板になおさんのお名前が書いてありました。

なおさん、私が方向音痴なことを知ってて、ここまで案内してくれたのかと思ったら、胸がいっぱいになりました。 そういえば、お客様で最後にお帰りになったのは、なおさんと同じ苗字のお客様だった・・・・。 その方をお見送りして、後片付けもせずに出てきたのです。

斎場の入り口で奥様と一人息子の翔ちゃんが立っていました。駆け寄って奥さんを抱きしめたら、あの細い奥さんが、いっそう細くなっていました。長い看病とそれに続く別れは辛かったよね・・・・。がんばったね。

翔ちゃんの頭をなでて
「今度はお父さんの代わりに翔ちゃんがお母さんを守らなきゃね」
って言ったらコクリとうなずく・・・。大きな目にはいっぱいの涙。必死になって泣くまいと歯を食いしばっているあどけない顔に泣かされました。

告別式は大勢の参列者で、会場はすすり泣きで満ちていました。笑顔で祭壇の上からなおさんが見ています。あの大きななおさんが、小さな壷に収まって箱に入れられて祭壇の中央にいます。

ここに来るまでなおさんがいなくなったなんて信じられませんでした。しかし、祭壇を見ると信じないわけにはいきません。

告別式は本当に辛く悲しいものでした。商工会青年部長の方や同級生の方が読み上げる弔辞には、生前のなおさんの優しさや行動力や指導力のすばらしさが紹介されて、私たちが知らないなおさんの一面を知りました。

そしてなおさらに、若くして亡くなられたなおさんが惜しい。悔しい。悲しい。

告別式終了後にロビーに出てきたら、メキキのメンバー、元メキキのメンバーが12名もいました。喫茶店で皆で思い出話をしてなおさんを偲びました。

4日は満月だったので、帰り道、大きな、大きな満月が昇ってくるのが見えました。

そして昨日は奥さんから電話が来て、長電話しました。
泣いたのは私のほうで、奥さんはちょっと声が詰まるときもあったけど、とても凛としていて、しっかりしていて安心しました。

なおさんが倒れてから、彼女なりに覚悟をし、将来を見つめ、これからの人生を決定したのかな。そして彼女のそんな決心を知って安心してなおさんは旅たって行ったのかな。

翔ちゃんと、生きているってすごいことだねっていう話をしたそうです。翔ちゃんが、動かないお父さんを見舞って、話せること、見えること、聞こえること、そんな当たり前のことが本当はすごい奇跡なんだって気がついたと話してくれたそうです。

それは、なおさんから翔ちゃんへの最後のプレゼント、親としての大事な最後の教えだったと思い、すごく感動しました。

心配していたけど奥さんは思ったよりずっとしっかりしていて安心しました。翔ちゃんがいるからこれからの人生をがんばれる、翔ちゃんを生んで良かったって。 話しながらも涙をとめることが出来ませんでした。

告別式に参列して、なおさんが亡くなった事を実感したはずなのに、どこかでまたなおさんが翔ちゃんを連れて朝日館に遊びに来るようなきがしています

なおさん、ありがとう。そして安らかに。

「献句」

 *訃報来る 弥生の空は 青ばかり

 *春光に 包まれて君 召されしか
 
 *友逝けり 海から登る 春の月

 *白鳥の 北に向かうごとく 友逝けり

 *葬儀の日 雪解けの川 満々と

 *春風の ごとき笑顔の 遺影見る

 *風ぐるま 真一文字に 遺児の口

 *遺影抱く 児(こ)に千の風 春の風

 *葬儀より 帰りて遅き 雛納め

by asahikanokami | 2007-03-07 13:29 | 友人のこと

白鳥を見に

友人の小山さんが遊びに来ました。
昨年川越で齋藤研画伯の個展があった時に、一緒に見に行って以来の再会です。

いつも思うのですが、仲の良い友人に会った瞬間に、会えなかった時間が消滅して、以前に会った時の続きのように時間が流れるのが不思議です。

最初の晩は夜中の2時までおしゃべり。女どうしってどうしてこうも、次々と話すことが出てくるのでしょうか。話し足りなかったのですが、まずは美容のために寝ることに。

翌日は、川越で見た齋藤先生の絵を又見に、齋藤先生のアトリエに行くことになりました。齋藤先生がちょうど新地に帰ってきていらっしゃいましたので。

齋藤先生の家の門扉には自作の表札が掲げてあります。
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そして蔵を移築したギャラリー。この中に作品があります。時々個展もします。
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自宅とアトリエは並んで建っています。このアトリエでは、川越の自宅のアトリエでは描くことが出来ない大きな作品を描いているのだそうです。
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お昼ごはんを持っていった手料理と先生が炊いたご飯で一緒に食べました。

翌日、白鳥を見に小山さんを連れて行こうと思ったら、なんと
「僕も一緒に白鳥を取材に行くよ。明日、家まで迎えに来てくれ」
と齋藤先生。ひゃあ~~!!困った・・・・(汗)

だって、私の免許は自宅から半径30キロの限定免許。私って運転が下手。そして、スーパーと自宅の往復ぐらいしか運転しない。だからいつまでも下手・・。

ま、うじうじと御託を並べていても仕方がありません。仕方なく、翌日はレーサー並みに運転がお上手な二人を乗せて、いつものようにノロノロと運転しながら出かけました。

白鳥は相馬市の国道六号線から左に3分ほど入った『手ノ沢沼』に飛来しています。
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古米を持っていってあげたら、白鳥よりも鴨が寄ってきました。何百羽いるのでしょうか?ものすごい勢いで古米を食べています。子供連れの家族も多くきていて、パンやお米をあげていました。
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鳥と鴨はお腹がいっぱいになった様子ですが、私たちのお腹はグ~となりました。

最初の予定では、小山さんと二人きりだったので、相馬のお蕎麦屋さんで食事して、伊佐須美神社(いさすみじんじゃ)に行くつもりでした。

でも、齋藤先生はきっと神社なんて興味がないだろうなぁ・・と思い直し、下手な運転でドライブしながら山越えをして、飯館村の喫茶店に行こうと思い直しました。

そこで、まず、相馬市のお隣、鹿島でおそばを食べました。それから、国道を横切って飯館を目指すことにしました。国道から鹿島の駅方面に向かった瞬間に頭の中をよぎったものがありました。

「先生!奥様は鹿島出身じゃなかったですか?」
「そうだよ」
あぁ・・・・・・・・。

先生の奥様は2年前にすい臓癌であっという間に亡くなられて、2月6日が三回忌なのです。
http://asahikanok.exblog.jp/m2006-05-01/#2341162
ちょっと動揺しながら運転したからでもないでしょうが、もともとすごい方向音痴の私は左に曲がる所を右に曲がってしまいました。

ドンドン道が細くなって車が一台やっと通れるような山道です。ドンドン山を上って行きます。どうしよう・・・・ここはどこだろう・・・・・。

「大丈夫。道はどこかに繋がっているんだからどこかに出るわよ」
と小山さんは涼しい顔ですが、あなたは知らないのです。田舎には行き止まりの山道があるのです。

そのうち大倉ダムと言う案内標識を発見。ほっとしました。大倉ダムからなら飯館に行く道を知っているからです。

そして、なんと3倍もの時間をかけて飯館の喫茶店に着いたのでした。ふぅ~~、コーヒー一杯飲むのも容易じゃないわい。

先生が
「大倉ダムの景色はきれいだなぁ。こんな所があるとは知らなかったよ。こんど改めてここに取材に来るよ。絵になる」
とおっしゃってくださったのが、怪我の功名でした。

小山さんを駅まで送り、先生を自宅に送って帰ってきました。

そして思いました。

どうして、相馬の蕎麦屋さんから鹿島のお蕎麦屋さんに急遽変更したんだろう。そしてあの山中の迷走はなんだったんだろう。

亡き奥様が、私たちを連れて行ったような気がしました。そして自分が育ったふるさとの山の景色を私たちに、特に先生に見せたかったのかも。

先生の自宅のふすまに、今年のお正月に先生が、般若心経と長艮歌を一面に書いていらっしゃいました。それは奥様の供養のためなのでしょう。

奥様の笑顔、そして先生の思い。そんなことを考えた一日でした。

by asahikanokami | 2007-02-02 23:08 | 友人のこと

がんばれ!なおさん!!

昨日は大勢のお客様の大宴会でした。

その最中に東京の友人から電話が。

「山形のなおさんが倒れて病院に運ばれたらいしいよ。脳幹出血で意識が無いらしい。今、集中治療室に入っているが、すごく難しい状態みたいだ」

電話を聞きながら足が震えました。頭が真っ白。放心状態。

なおさんこと、井上直人さんは、仲良しのお友達。我が家で何度も他の友人達と泊まってくれて、一緒に一晩中語り合った仲間なのです。

何年前になるでしょうか・・・。たしか、2001年の秋だったと思います。我が家で「メキキの会」の講演会がありました。その時に奥さんとまだ小さかった息子さんと一緒に参加したのが、なおさんが我が家に来た最初です。

その時に、実家の事業をお父様から引き継いだこと。その時はすでに自分の会社が経営不振だったこと。そして倒産。今は無職で自分にふさわしい仕事を探している最中だと言う話をしてくれました。

その後、紆余曲折があったけれど、勉強して資格を取り、商工会の経営指導員になりました。

「僕が自分の会社の倒産を経験したことで、きっと、他の方の力になってあげることが出来る」
と、いつも話していました。そして、その通りに、面倒見の良いなおさんは、中小企業の経営者にとって、頼りになる指導員なのです。

まだお子さんも小学生になったばかり。結婚以来、倒産やらなにやらの最中でも、なおさんを信じてずっと一緒に歩いてきた美人の奥さん。

ハンサムななおさんと美人の奥さんとかわいい坊やが一緒にいると、まるで絵に描いたような素敵なご家族でした。

そのなおさんが倒れた・・・・・。

昨日から全国の仲間が一心に快復を祈っています。

なおさん!がんばれ!まけるな!!
今までだって、いろいろな事があっても奥さんと二人で手を取り合って乗り越えてきたなおさんじゃないですか!
今が正念場。なおさんならきっと病気を克服できる!

なおさ~~ん!目を開けて!何か話をして!
がんばれ~~!!がんばれ~~~!!

なおさんの底力を信じているよ。ずっとずっと快復を祈っているからね。

by asahikanokami | 2007-01-18 17:14 | 友人のこと