朝日館の女将のてんてこ舞日記


東日本大震災で被災した小さな旅館の女将の日々
by asahikanokami
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カテゴリ:亡くなった娘の話( 26 )


冬の桜

日曜日21時から始まるドラマ「冬の桜」

昨夜も見た後、いろいろな思いが頭の中を駆け巡って、とうとう夜中の二時頃まで眠ることができませんでした。

普段は、本を開いて数行読んだか読まないかのうちに眠ってしまうほど寝つきが良い私。眠れないなどと言うのは年に1回あるか無いかなのです。

脳腫瘍で、自分に残された時間が少ないと知った主人公は、雪原に立つ一本の桜が満開になる日を夢見ます。この桜が咲くのをこの目でい見たいと願います。

そのストーリーがどうしても娘と重なってしまい、あの辛かった日々のことばかり思い出されて眠ることができませんでした。

ちょうど11年前の今頃。お医者さんに呼ばれました。
「今日、菜穂子さんに桜が咲いたらお花見がしたいから退院させてほしいと言われたのですが、言いにくいのですが・・・・」
と先生はちょっと口ごもってから
「桜が咲くころまで持たないと思うんです・・・」

私は何も言えずただ頭を下げて先生の部屋を出ました。涙があふれて、そのまま廊下でしゃがみこんで泣きました。

その日の夕方、娘の病室に大きな花瓶が運び込まれ、太い桜の枝が二本活けられました。

驚く私に、もうすでにその頃は気管切開をしていたので、話すことができない娘が、ノートに
「先生が桜の枝を折って来なさいと看護婦さんに言ったんだって。見つからないように夕方になるのを待って、病院の庭の桜の枝を折って来てくれたの。看護婦さんたちが大騒ぎで活けて行ってくれたの」

嬉しそうにそう書くと、最後にこう付け加えてウインクしました。
「桜にも処方箋が出たのかな」

病室は暖かいので、活けられた桜はたちまち蕾をほどき、あっという間に満開になりました。娘はよほどうれしかったらしく、毎日写真を撮り
「相馬で一番早いお花見だね」
とノートに書きました。

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桜の花は、娘の命の最後のエネルギーになりました。3月いっぱい持つかどうかと言われて娘は、ちょっと元気になり、4月に病院の庭の桜が満開になった時には、車いすで庭まで下りて、お花見をしたのです。

治療や薬は病気を治癒する力がありますが、桜の花も同じように生きる力になるのです。桜の枝を折って来なさいとおっしゃって下さった先生に、今でも感謝しています。

桜が好きと言った娘。桜を見てちょっと頑張れた娘。
そのことがACのアイバンクのCMになりました。

桜が咲くたび、先生を思い出し、感謝の気持ちでいっぱいになります。

さて、ドラマは来週が最終回。
主人公は満開の桜を見ることができるのでしょうか。

by asahikanokami | 2011-03-07 21:24 | 亡くなった娘の話 | Comments(60)

アイバンクのCM

6月いっぱいで私たちが出演していたアイバンクのCMが終了しました。

昨年、思いがけずお電話をいただき、CM出演することになりました。

少しでも多くの方が光を取り戻してほしい。そのために応援したいと出演を即決しました。そのことに間違いはなかったと思っています。

CMが流れると、出演料が欲しかったのかとか、そこまでして有名になりたかったのかとか、亡くなった娘のことをよくもまぁさらしものにできるものだという声も聞かれました。

出演料はボランテァ程度でしたし、名前も「福島県の村上さん」としか出てないので、私たち夫婦を知っている人しかわからなかったと思います(ブログにはずいぶんと書きましたが)

娘のことをさらしものにする気など毛頭なく、もし天国の娘に出演のことを相談したら、二つ返事で承知したと確信してます。家の娘はそういう子でした。これは私が母親だから断言できます。

とても素敵なCMが出来上がりました。多くの方に
「感動しました」
と言ってもらいました。出演した私でさえ、最初に見た時には感動して涙が止まりませんでした。

CM出演がきっかけで、私たち夫婦はもちろんのこと、友人や親類など、多くの方がアイバンクに登録してくれました。とてもうれしかったです。

さて、新しいアイバンクのCM。土曜日の新聞で初めて見ました。
角膜を移植して光を取り戻した4人のお子さんが、自分の描いた絵を持って微笑んでいます。
「ずっと、ずっと、見たかったものに会えました」

家の娘の角膜も、このようなかわいい子の目の中に移植されたかもしれません。なんて嬉しいことでしょう。

新聞広告を見ながら涙が流れて仕方ありませんでした。

この広告は、私たちが出演したCMを作った会社と同じ会社が作ったそうです。ぜひにと名指しで制作依頼が来たとか。それもまた嬉しいことです。

素敵なCMにバトンタッチ出来て、自分たちの責任を果たしたような安ど感を覚えます。

CM出演という貴重な体験をさせていただき、そして多くの方に応援していただきましたこと、改めてお礼申し上げます。

ありがとうございました。

by asahikanokami | 2010-07-12 19:30 | 亡くなった娘の話 | Comments(9)

菜穂の桜が咲きました

娘の一周忌の時に、彼女の友人たちの手で植えられた桜。

今朝、咲きました。

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相馬の桜はまだ蕾なのに、娘の桜はいつも相馬一番に花開きます。
そこがいかにもあの子らしい。

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ここのところ、ブログ仲間の若い友人、そして子どもたちのピアノの先生のお姑さんと訃報が続き、ちょっと心が沈んでいました。

人はいつか空に帰って行きます。それは仕方がないこと。
その日までいかに自分らしく楽しんで生きていくのか。

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桜が咲きました。
青空に小さな花びらを震わせています。

by asahikanokami | 2009-03-27 23:19 | 亡くなった娘の話 | Comments(9)

ぽかぽか陽気に誘われて

昨日とは打って変わった今日のお天気。

ぽかぽか陽気に誘われて、庭の桜が咲きました。

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この桜は、娘の一周忌の時に友人たちが記念にと植えてくれたものです。
小さな桜の苗が、7年の歳月で二階まで届くほど大きく育ちました。

相馬の開花予想は4月10日ごろです。
なんと2週間も早く開花しました。

こんなところがなんとも娘の桜らしいところです。何でも一番が好きな子でした。

成績は勿論、ピアノのバイエルの進み方も一番でないと気が済まず、どんな時でも2時間のレッスンを欠かしませんでした。

宿題は出された授業が終了した後の休み時間に、一番に済ませる。夏休みの絵や感想文などの宿題は必ず二枚か三枚提出する。

だから、作文、感想文、絵画、お習字、作曲などのコンクールの入賞は常連でした。得意げに賞状をひらひらさせて帰ってきました。

だけど人一倍遊ぶこともして、自分が努力しているところを他人に見せるのが嫌い。いつも涼しい顔をしていました。友達も多かった。


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「私は人の二倍遊んだし、人の二倍勉強したし、人の二倍仕事をしたんだから、人の二倍生きたのとおなじ。だからお母さん、泣かないでね」

「人生は長さじゃないよ。深さだよ。私は手抜きしないで生きたんだからね」

自分がいなくなった後でも、私が悲しまないように、強く生きていくようにとあの子が私に言い残した言葉を、桜の花を見ながらかみしめています。

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私は元気で今年も桜を見ることができました。感謝。

by asahikanokami | 2008-03-25 17:38 | 亡くなった娘の話 | Comments(9)

今日は娘の誕生日

今日は娘の誕生日です。

生きていたらいくつになるのかな?
私の中ではずっと27歳のままです。死んだ子の年を数えると言いますが、なぜか数えたこともなく、いつも27歳の娘のままです。

以前は闘病中のつらい思い出ばかりが浮かんで、涙が止まらなかったのですが、7回忌を過ぎたあたりから、時々、元気なころの娘の笑顔も思い出すようになりました。

そしてなんと!偶然にもおっとっとの妹が二人、お互いに相談したわけでもないのに遊びにきて、我が家で鉢合わせになりました。

二人とも、娘が生まれた時はまだ結婚前だったので家にいて、すごくかわいがってもらいました。

闘病中は、まるで自分の娘のように心配し、看病してくれました。ありがたかったです。

「今日は菜穂の誕生日なんだよ」

「えっ!じゃあ私たち菜穂ちゃんに呼ばれたんだぁ」

「そんなこと知らないのに、なぜかケーキを買いたくなって、菜穂ちゃんが大好きだったお店までわざわざ行って買ってきたのよ」

私は娘が亡くなった当座は
「あれほど毎日必死になってお願いしたのに聞き入れてもらえなかった。この世に神も仏もあるものか!!」
と、世の中すべてを恨んで暮らしていました。

しかし徐々に、神様も仏様も確かにそばにいて、ずっと私を見守っていてくださったんだと思えるようになりました。

そしてさらに最近は、娘の姿は目に見えないけれど、ずっと私のそばにいると確信して生活しています。

今日も、娘は大好きなおばちゃんたちを、自分の誕生会にご招待したようです。

by asahikanokami | 2008-02-28 20:56 | 亡くなった娘の話 | Comments(4)

娘のカルテ

娘には友人が多かったです。
その多くの友人の中で、娘から最後まで病室に入室許可が下りていたがAちゃん。

首のリンパ節を取り去ってしまった娘の顔は、病状が進むにつれて顔がむくんで、別人のような顔になってしまいました。

「皆に、元気な時の顔だけを覚えていて欲しいから、病気の顔は見せたくないの。だから病室には誰も入れないで」
というので、面会謝絶の札がかけてありました。そんな状態でも
「Aちゃんは看護婦さんだから、私の病状が勉強になるはず。最後までしっかりと観察して欲しい」
と、Aちゃんだけは、入室を許可されていました。

娘が亡くなってからも、Aちゃんと私の交流は途絶えることなく、結婚、長女出産と、喜びのたびに報告がありました。

そのAちゃん。

今日、久しぶりに電話があり、無事に長男が生まれたとの報告。そしてその後にちょっと口ごもりながら
「菜穂ママ(私は娘の友人達のこう呼ばれています)。言おうか言うまいか、ずっと迷っていたんだけど・・・・。私ね、ちょっとだけ大学病院に手伝いに行ったことがあるの・・・・その時ね・・・」

出産を控えて産休に入る彼女の最後の仕事に、古いカルテの整理を頼まれたのだそうです。

そして持ち込まれたカルテ。その一番上に娘のカルテが乗っていました。

「菜穂・・・」
と絶句して、カルテを抱きしめて号泣したらしい。

私はこんな時いつも、娘の意思を感じます。娘の姿は見えなくても私達といつも共にいるのだと思います。

きっと出産を控えたAちゃんのことを心配して、そしてきっとかわいい赤ちゃんが生まれるよと激励するために、娘がカルテを一番上に置いて、ここにいるよと教えてくれたのでしょう。

娘のカルテが一番上にあったことは偶然だったかもしれません。でもやはり、私には千の風が吹いていると思えてなりません。

by asahikanokami | 2007-07-04 20:32 | 亡くなった娘の話 | Comments(12)

覚悟

福島中央テレビで放送になったゴジてれシャトルの「さくらぶみ 天国の娘への手紙」を見たという人から声をかけられます。

「見ましたよ」

想像以上に多くの方が見てくださったことが嬉しい。
そして何人かの人から
「娘さんは死ぬ覚悟をしていたんですね。すごいですね」
と言われました。

私を励まそうと暖かいお気持ちで言ってくださっているのが理解できるから、あえて反論などせず
「ええ・・・まあ・・・・。ありがとうございます」
とあいまいにお礼を言っています。

でも、娘よ!お母さんはちゃんと知っています。
あなたがしていたのは『死ぬ覚悟』ではなくて『生きる覚悟』だったと言うことを。

だから、最後はなんの治療もできなくて、痛み止めのモルヒネを使うしかなかったのに、あなたはモルヒネの使用よりも激痛に耐えることのほうを選んだ。

「モルヒネを使うと意識が混濁するから嫌。最後まで私でいたい。意識をはっきりと持っていたい」

2度目の手術の時も自分の能力や機能を失うことよりも、たとえ癌を取りきれなくても今のままでいることを選びました。

そして、最後まで自分の人生だから自分の思い通りにすると、一日、一日を投げ出さず、やけにもならず、一生懸命に生き抜きました。

おかあさんは、もし自分があなただったら、はたしてそのように覚悟が出来るだろうか、そのように生き抜いていけるだろうかと考えるととても自信がありません。

あなたの話が出るたびに、とても誇らしくそしてちょっとだけ悲しくなります。

いつも母の日にはお花を贈ってくれましたね。もう、あなたからお花は届くことはありませんが、おかあさんの胸の中には、いつも散らない桜が満開に咲いていますよ。

by asahikanokami | 2007-05-13 23:35 | 亡くなった娘の話 | Comments(2)

コブシ物語

小学校の卒業の記念に、娘が庭に植えたのは、自分の背丈と同じ大きさのこぶしの苗でした。

ひょろひょろのコブシはお隣との庭の境に植えられました。
細くて弱弱しかった苗も年ごとに大きく育ちましたが、花をつけることはありませんでした。

中学校、高校と進学し、どうしても行きたいと山形大の農学部を受験した娘は、希望が叶って山形に巣立っていきました。

子供は簡単に親離れできるのに、親のほうはと言えば、毎日どうしているか案じて、なかなか子離れできませんでした。

寂しさを慰めてくれるように、娘がいなくなったとたんにコブシが花をつけました。

手紙でそのことを娘に知らせたら
「私がいなくなったとたんに咲くなんて。でもきっと私の代わりに淋しくないようにと咲いたのかもね」
と返事が来ました。

それからは毎年大きくなり、花を咲かせるようになりました。
木は一抱えするぐらい太くなり、お隣の二階の屋根を越えるほど大きくなったのです。
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大学、大学院と進んで、希望の会社に入社した娘は、喜び勇んで東京へ行ってしまいました。

そして、5ヶ月もしないうちに癌が発見され、3回も手術をしたのに、2年半の闘病も空しく2000年の4月には娘は危篤になってしまいました。

私は毎日、病院と家をなん往復もして、看病と仕事と家事をしました。毎日、今日が何日で何曜日かも、昼か夜かさえわからないような日々でした。

いつ春が来て、桜が咲いて散ったかわかりませんでした。

ある日、二階の廊下から庭を眺めたら、今まで見たことも無いほど多くのコブシが咲いていました。
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まるで無数の白い鳥が羽根を休めているかのように見えました。今までこんなにも多く花が咲いたことはありませんでした。

それはまるで娘と私に
「がんばれ!がんばれ!」
と言っているかに見えました。

思わず私は下まで走り下り、そのまま裸足で木の所まで駆け寄りました。そしてコブシの木を抱きしめて泣きました。
「お願い。助けて!あの子を助けて!!」

しかし、私の願いは天に届きませんでした。

あの子はあの子らしく最後までがんばったけれど、とうとう天に帰って行ってしましました。

娘を亡くした私は
「神も仏もあるものか」
とすべてを怨み何も信じることが出来ませんでした。

どんなに悲しんでも季節は確実にめぐり、そしてまた春がやってきました。

けれど、不思議なことに翌年にはコブシは咲きませんでした。
根元に見たことも無いほど大きな花が一つ咲いて、それっきり、後はひとつも花は咲きませんでした。
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私はまた、コブシの木を抱いて泣きました。
「あなたも悲しんでくれるのね。あの子がいなくなったことを私と一緒に悲しんでくれるのね・・・」

抱きしめるとコブシが私と一緒に悲しんでいてくれるのを、はっきりと感じることが出来ました。

あれから7年の月日が過ぎました。

神も仏も無いとすべてを怨んでいた私も、じつはあれから今日まで、多くの人やいろいろなものが私を見守り、励まし、包んでいてくださったのだと気がつきました。

悲しみから立ち上がるための支えの手を、多くの友人が差し伸べてくださいました。ほんとうにありがたかったと感謝しています。

今年もコブシの花がいっぱい咲きました。でもやはり、あのときのようには多く花をつけることはありません。

人には人の気持ちがあるように、木にも木の気持ちがあると信じています。
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by asahikanokami | 2007-04-12 23:36 | 亡くなった娘の話 | Comments(4)

テレビ放映

今日、福島中央テレビで「天国の娘へ母からの手紙」と言うタイトルで放送されました。

どんな風になるのかドキドキしながらテレビの前で緊張していました。
・・・・・泣きました・・・・。自分のことなのに・・・。

おっとっとも泣いてました。

テレビ局の方がとても上手に内容をまとめてくださっていたので、とてもよい番組になったと、手前味噌ながら思いました。福島中央テレビのみなさんに感謝いたします。

終わったとたんに、二つの電話と私の携帯がいっせいに鳴りました。
見てくださった方からの感想のお電話でした。町長さんにまで涙声でお電話をいただき恐縮いたしました。

電話は9時ごろまで続きました。多くの方に見ていただき、感動していただいて嬉しいです。
ありがとうございました。
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by asahikanokami | 2007-04-12 23:32 | 亡くなった娘の話 | Comments(0)

テレビ取材

先日の新聞記事と富岡町の「桜文」に5年前に応募した私の文章が載ったことが縁で、福島中央テレビの取材を受けることになりました。

そして朝から始まりました。テレビ撮影。
いつもスッピンでいるのですが、今日はフルメイク。何ヶ月ぶりかでマスカラなどもしてみました(笑
ちょっとでも若く見えるように赤いジャケットなども着てみました(笑
おっとっとにも新しいセーターを着せてました(笑

いつもセーターにエプロン、スッピンで髪振り乱して走り回っている私の姿が嘘のようです。馬子にも衣装です。

廊下をスタッフがウロウロして準備をしています。
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桜と娘とアイバンクのお話を中心にインタビュー。
しかし、撮影中は逆取材は無理。本当は写真を撮りたかったのですが我慢しました。

おっとっとにカメラを頼んだのですが、ちょうどお昼に某新聞社の社長が
「何かうまいものが食べたいから、朝日館に来たよ」
と来館。そう言われたら断れない。

「今、テレビ局の取材中で・・・」
「かまわないよ。待っているから」
というので、おっとっとは撮影どころではなく、一生懸命にお料理作りでした。

その間、私一人でインタビューを受け、詩も朗読しました。涙が出て途中からしどろもどろになったけど、とりあえずはオーケーでした。

おっとっとのお料理が一段落して台所に移動しての撮影。
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お皿を洗っている所も撮りたいというので、汚れてもいないお皿を洗ってます。
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そしてお仏壇の前で遺影の話。
すっかり終了するまでに4時間かかりました。(途中で某新聞社社長にお料理を運んだので、その間は待っていただいた)
終わってほっとしたカメラマンと私の顔です。
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放映されるのは12日の福島中央テレビ「ゴジてれシャトル」 という番組なそうです。福島県在住の方はどうぞご覧ください。

私はその日は出かける予定なので・・・予約録画しておかなきゃ。

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菜穂子が遺影として自分で用意していった写真です。見るたびに・・・・涙がにじみます・・・。だから普段は見えないところにおいてあります

by asahikanokami | 2007-04-08 23:10 | 亡くなった娘の話 | Comments(4)