朝日館の女将のてんてこ舞日記


東日本大震災で被災した小さな旅館の女将の日々
by asahikanokami
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<   2006年 05月 ( 14 )   > この月の画像一覧


川越紀行(6.芸術的な昼食)

出口まで来たら可愛い赤ちゃんと若いお母さんが立っていました。

研先生の次男さんのお嫁さんと生まれたばかりのお孫さん。

「僕ね、村上君(おっとっとの苗字は村上。もちろん私も)にご馳走しようと思ってお昼のおかずを用意してきたんだよ。これから自宅までぜひ来てくれ」

ええっ!!

先生の手料理をご馳走になるなんて!思ってもいなかった展開になってしまいました。

先生のオープンカーは二人乗りなのでおっとっとが乗せてもらい、私と小山さんはお嫁さんの車に乗せてもらうことにしました。

20分ぐらい走ったでしょうか。霞ヶ関と言う所にご自宅はありました。

そしてなんと先生が自ら絵付けをされた大皿にドッカ~~~ンと盛られて出されたのは、青菜の浸し、ワラビのおひたし、絹さや、トマトという芸術的な昼食でした。

しかもトマト以外は切ってない。ワラビも青菜もそのままの長さです。これぞ男の料理です。
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炊き立てのご飯もお漬物(ご近所からのもらい物なそうです)も美味しかったです。お食事のBGMは、クラシックファンの先生には珍しい島津亜矢の『帰らんちゃよか』

「ええっ!先生が演歌とは驚いたわ。どういう風の吹き回しですか」

「あのね、たまたまラジオから流れてきてね、すごく気に入ったんだよ。親が子どもに『じぶん達は何とか生活しているから、親のことなど心配せずに、おまえはおまえの人生を歩け』という、すばらしい詩なんだよ。

歌詞が九州弁だから、九州出身のひとに訳してもらったらすごく良い歌詞なんだよ。帰らんちゃよかっていうのは、帰らなくてもいいよって言う意味なんだ」

先生が嬉しそうに訥々とお話になる。

お食事の後、食べたお皿を洗うために台所に行ったら、台所の壁に奥様の写真が数枚、虫ピンで貼られてありました。

ここでもグッと胸にこみ上げてくるものがありました。

さていっぱいおしゃべりして時計を見たら13時30分。
友人の柏崎さんと15時に東京駅で待ち合わせをしています。そろそろ帰りましょう。

日記の載せるからと写真を撮って先生とお別れしました。
私、先生、小山さんです。
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「先生。7月に新地にいらっしゃったら電話くださいね。ご馳走様でした」

               (つづく)

by asahikanokami | 2006-05-29 23:26 | うちのおっとっと | Comments(0)

川越紀行(5.もっと小さな声で話してよ)

感傷に浸りながら絵を鑑賞していると(気がつきましたか?感傷と鑑賞。そしてこういう注意書きを干渉と言います。笑)入り口がうるさくなりました。

ほらね、だから私は一足先に入場したのです。

会場の真ん中にいたのに、入り口付近で話している会話が手に取るように聞こえます。

「先生。この絵は新地で見た絵だべ。新地で見るのとここで見るのとでは感じが違うなぁ。なしてだべ(どうしてだろう)。ああ、照明が違うんだなぁ。光線の違いかなぁ。なに?ああ、そうかぁ。天井が高いのかぁ」

うるさい!もっと小さな声で話してよ!

ここは美術館よ!今は他に鑑賞している人がいないから良いようなものの、ほら、職員の人があからさまに嫌な顔しているでしょ!

小山さんは川越市内の蔵のある通りを歩いて美術館まで来たので遅れたのでした。ちょうど研先生も美術館に到着して、おっとっとと三人で入ってきたのでした。

なんと贅沢なことに我々三人は、画家の先生が自ら絵を解説して下さる中での、絵画鑑賞となりました。すごい!!

しかし、困ったのは、おっとっとの地声が大きくで、何度も
「小さい声でね」
と注意をしなければならないことでした。

先生は新地のアトリエで作品が出来あ上がるといつも一番に我が家に運んできてくださいます。そして玄関に架けていってくださるのです。

我が家はさながらアトリエ。ご近所の方達も研先生の新しい絵がかけられるのを楽しみにしているのです。もちろん、我が家のお客様も。

ですからここに展示されている絵の中の何点かは、我が家の玄関を飾った作品でした。
しかし、我が家で見たのとここで見るのとでは、絵の雰囲気が全然違うのです。まったく別な作品に見えるから不思議です。

先生の作品はどれもエネルギーにあふれていて見ごたえがありました。すばらしい展覧会でした。

       (つづく)

by asahikanokami | 2006-05-29 23:22 | うちのおっとっと | Comments(0)

川越紀行(4・じゃあ、てっちゃん またね!)

おっとっとを入り口に残して一人で美術館に入りました。

一人で先に入った理由はただ一つ。ゆっくりと静かに絵を鑑賞したかったから。

会場の入り口に木で作った椅子がありました。これも先生のオブジェです。背もたれの所に奥様の顔が乗っています。

それを見ただけで、まだ一つの絵を見ないうちから、涙がこみ上げてきました。

おととしの10月。新地のアトリエに来ていた研先生ご夫婦を訪ねて、アトリエにおっとっとと遊びに行きました。

奥様と楽しくおしゃべりをして、翌日の午後
「じゃあ、暮に又帰ってきますから。てっちゃん(おっとっとの本名は哲夫)美味しいお魚ご馳走様。じゃあ、てっちゃん またね!」
と奥様は笑顔で、先生が運転する車で、川越のご自宅にお帰りになったのでした。

いつもなら
「てっちゃん、新地に帰ってきたから」
と奥様から電話があるのに、その年の暮れには電話が来ませんでした。年が明けても電話が来ませんでした。

「研先生、新地に来なかったね。どうしたんだろう」
と、おっとっとと訝しく思っておりました。

奥様の訃報を聞いたのは3月になってからでした。癌とわかった時には手遅れだったと・・・・・・。新地から帰ってすぐに入院して2月に亡くなったと・・・・。

1998年に新地にアトリエを作られてから、研先生ご夫妻とは、とても仲良くしていただいていました。新地にいらっしゃると、いつもアトリエにお邪魔して、出来上がったばかりの絵を見せていただきました。

明るくてお元気で人の面倒見が良い素敵な奥様でした。
先生がお留守の時に一緒にいわき市までシャガール展を見に行ったこともあります。いわき市までの道中、ずっと
「家の齋藤がね・・・」
「家の齋藤がね・・・」
と研先生の話をいっぱい聞かされました。

シャガールを見た後
「シャガールはすばらしいけど、私はやっぱり齋藤の絵が好き」
とおっしゃったときの笑顔が忘れられません。

奥様が亡くなった後の研先生は一回り小さくなったような気がしました。
「我々夫婦は二人で一人前だったから・・・・・すべて何をするにも半人前で・・・・・」
ってぽつりとおっしゃった言葉など思い出されます。

絵は45点も展示されていました。

奥様がモデルの絵もあります。
一つ一つ見ていると、すぐそばに奥様を感じられて
「あ、これは先生の今までの作品の集大成ではなくて、奥様の追悼の為の展覧会なんだ・・・・・」
と改めて研先生の奥様に対する愛情と感謝の気持ちを感じました。

「じゃあ、てっちゃん またね!」
最後のお別れのときの奥様の声がまだ耳の底に残っていて、絵を見ながらあふれる涙を抑えることが出来ませんでした。

           (つづく)

by asahikanokami | 2006-05-29 23:18 | うちのおっとっと | Comments(0)

川越紀行(3.何で降りるんだ)

新幹線は大宮に着きました。

「降りますよ」
「何で降りるんだ」

何でって。乗り換えに決まっているじゃありませんか。

いつもこうなんです。
出かけるときに、計画を立てるのは私。手配するのも私。いろいろ用意をするも私。

何もしないで文句を言うのがおっとっとの役目。

計画も一応、事前に説明するのですが
「わかった、わかった」
と耳を素通りなのです。何も聞いていません。

とにかく私の後から降りてきて乗換えをしました。

川越まではのんびりとした風景が続きます。東北では連休あたりに田植えをしましたが、このあたりは今頃田植えのようです。

藤の花が咲いています。さつきもきれいです。

川越に着きました。ここで友人の小山さんと待ち合わせをしていました。しかし、どこをみてもそれらしき姿がありません。電話をしたら本川越駅にいると・・・。

私たちがいるのは川越駅。そしてもう一つ川越市駅もあります。なんと言うややこしさ。それなら美術館の前で逢いましょうということになりました。

美術館に到着。

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大きなポスターが掲げてありました。
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ところが、待てども待てども小山さんが来ません。齋藤研先生と10時半に待ち合わせていたので、おっとっとを入り口に残して、私一人で中に入りました。

            (つづく)

by asahikanokami | 2006-05-27 23:44 | うちのおっとっと | Comments(0)

川越紀行(2.もう待ってられない)

仙台駅では30分の待ち合わせ時間があります。

そこでおっとっとはそのまま新幹線のホームへやり、私は改札を出て朝ご飯を買いに行くことにしました。

「何がいいの?」
「何でもいい。おまえに任せる」

でも、この『何でもいい』が曲者なのです。
何でも良いといったからといって、おむすびとお茶など買おうものなら
「おむすびとお茶かぁ・・・・。俺はいらない。おまえが食え」
と言うに決まってます。

おっとっとの『何でも良い。おまえに任せる』は『何でも良いわけではない。俺の好物を買って来い』ということです。

おっとっとが絶対に文句を言わないで食べるお弁当は・・・・やっぱり『牛タン弁当』でしょうね。朝からお肉!なんて驚かないでください。そういう人なんです。

私は押し寿司にしました。そしてお茶ではなくてコーヒーショップでホットコーヒーを買いました。

さて牛タン弁当を見たおっとっと。にやりとしました。
まだ発車前だというのにお弁当の包み紙をほどいています。

「発車してからにしたら」
「そうか・・・・」

牛タン弁当の底には紐がついています。それを引っ張ると発熱体に水分がかかって水蒸気を出し、待っていると熱々の牛タン弁当になるという仕組みです。

嬉しそうに紐を引っ張って水蒸気がシュワ~~ッと上がるのを眺めているおっとっと。

「もう良いかな」
「まだじゃないの。7,8分後にお食べくださいって書いてあるよ」

「まだかな」
「まだじゃないの。やっと5分ぐらいたったところだよ」

「まだかな」
「もう少し待ったら」

「もう待ってられない」
子どものようなおっとっと。
たった2,3分が待てない。

「大丈夫。充分熱いよ」
嬉しそうに牛タン弁当をかき込むおっとっとなのでした。

         (つづく)

by asahikanokami | 2006-05-27 23:40 | うちのおっとっと | Comments(0)

川越紀行(1.間に合わないべぇ)

大人の休日倶楽部の一周年を記念して、JR東日本管内一日乗り放題で6000円というトクトクキップが発売になりました。

ただし、期間限定で5月15日から25日までの10日間。
その間は4回座席指定も取れます。それで6000円とは安すぎる。これを使わない手はありません。

というわけで、23日におっとっとと二人で川越まで、『齋藤研の軌跡展』を見に行くことにしました。
http://asahikanok.exblog.jp/m2006-04-01/#1658988

おっとっとと二人で上京するのは数年ぶりです。

前の日から、例によってテンションが高いおっとっと。
「あれを持ったか」
「これを用意したか」
とうるさい。

自分では何一つ用意しないくせに、やたらうるさいのです。
「明日は早いんだぞ。持っていく荷物は玄関に置いておけ」
「雨が降るという予報だぞ」
「新幹線の中は冷房が強いから寒いぞ」
「おまえは早起きが苦手だから、起きれないときはおまえを置いて俺一人でいくからな」

はい、はい。
あなたのパンツから靴下まですべて用意しましたよ。鍵も家中かけました。ガスの元栓も止めました。

23日の朝。いつも寝坊の私も何とか早起きをして、もう一度戸締り。自分の着替えと化粧。

「ねえ、今何時?」
「6時20分だ」

ぎゃっ!!そんな時間!!
「急がなきゃ。6時30分発の電車だよ。後10分しかないよ。出かけるよ」

「なにっ!後10分!間に合わないべぇ

おっとっとの悲鳴のような声に驚いて振り向くと、そのに立っていたのは、パンツ一丁の裸のおっとっとでした。

「どうしたの!どうして出かける準備してなかったの」
「俺は4時半から起きているんだ!」
「4時半から起きているのに、どうしてそんな格好なの」
「俺は4時半から起きてたんだ」

パニックになったおっとっと。
訳のわからないことを何度も叫んでいます。

「とにかくズボンだけ履いて。上は持って。上は列車の中で着ればいいから」

大急ぎで車に乗ったら
「あっ!大型バスの鍵を持ってきてしまった」

こんな時に!
ベルトを左手に、右手でずり落ちるズボンを押さえておっとっとは又家に入って行きました。間に合わないかもしれない・・・・。常磐線は一時間に一本しかありません。

いざとなったら、福島まで車を飛ばして福島から乗ろうかな・・・。それともこの後の電車にしようかな・・・。

いろいろと考えているとおっとっとが鍵を持って戻ってきました。やっと車を発進。
我が家と駅の間には踏切があります。もし遮断機が下りていたら電車にはもう間に合いません。

ドキドキしながら踏み切りを通過。駅までの道を曲がってもまだ遮断機は下りません。ほっ。どうやら間に合ったみたいです。

駅の駐車場からこれ以上早く走れないと言う速さでダッシュ。息切れしながらも、なんとか列車に乗り込むことができました。

隣の席でゼ~ゼ~言っているおっとっとに聞きました。
「どうして服を着ないで裸でいたのよ」
「俺は気を揉んで4時半に起きたんだ。早すぎると思って朝風呂に入り、それからパソコンをして遊んでたんだ。夢中で遊んでたら遅くなった・・・・・。ほんでも俺は4時半には起きてたんだぞ」

はい、はい。あんたが4時半から起きていたのはわかりました。

でも、わたしでなくて良かったです。

これがあんたでなくて私の準備が遅かったら・・・・きっとこの旅行の間中ずっと、いいえ、この先数年間は
「まったくおまえは・・・」
と言われ続けることでしょう。

あ~~~、遅いのがあんたで良かったわ!!


           (つづく)

by asahikanokami | 2006-05-27 23:38 | うちのおっとっと | Comments(2)

メキキ百福自然農法実験会(発芽と初収穫)

毎日、毎日、何度となく覗き込むプランター。
それなのに芽が出る気配もありませんでした。

そっと竹パウダーを除けて豆を観察してみました。
いくらか大きくなっているけど、発芽まではほど遠い感じでした。

そこにメールが届きました。
「赤玉土は保水力が弱いので乾燥しすぎます。水分は霧吹きではなくじょうろであげて下さい」

そこでなるべく少量の水を竹パウダーが湿る程度にじょうろでかけました。すると3日ほどでお豆が大きく膨らんできました。

そして、今朝、枝豆のプランターを覗いたら竹パウダーの下から緑色のものが出ています。
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やったー!!ついに待望の発芽!!

謎の種も発芽しました。
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産毛がいっぱい生えているのは、水分を少ししか上げないので、空気中の水分を取り込むためなそうです。すごい!!

そしておおもとの節分のお豆は双葉の間から本葉も出てます。
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それにしてもいっせいに芽が出るのが不思議です。中にはのんびりしたお豆や、せっかちなお豆があってもよさそうなのに、一度に芽が出ました。
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そしてサラダミックスは、肥料もお水も与えた方は大きく育ちました。発芽率もいいです。しかし、自然農法のほうは生育が遅いです。
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種を少し多く蒔きすぎてしまったので、今日は間引きをしました。カイワレです。間引きをして気がついたことがあります。

間引く時に、普通栽培の方はスルっと簡単に抜けるのに、自然農法のほうは、ちょっと抵抗を感じます。中には根元で切れてしまう物もあります。

抜き取ったものを比べてみたら、ひげ根が普通栽培のものは下のほうに多く、自然農法のものは上の方にびっしりとはえていました。写真を撮ったのですが写真ではわかりにくかったです。
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収穫したカイワレは、夕食のサラダと味噌汁になりました。
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我が家のスターの現在の様子です。
パプリカが一番元気
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唐辛子
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小さな花をつけたミニトマト
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ゴーヤとサンチュ
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庭のゴーヤのほうが大きい
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オクラが一番元気がない
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by asahikanokami | 2006-05-21 21:50 | メキキ百福自然農法実験会 | Comments(0)

舌切り雀その2

おっとっとが飼っている(?)スズメは、今繁殖の時期です。

子スズメが巣立ちの時期なのです。
小さな玩具のようなスズメが、庭先で飛ぶ練習中です。

6羽の子スズメ。一生懸命に羽ばたくけれど、一度に高い枝まで飛ぶことができません。
途中の枝で休みながら、少しづつ高い枝までたどりつきます。松の木のてっぺんまで行くと、サァーっと飛び降りてきて、又地面から高い枝まで飛ぶ練習です。

4羽のスズメはなんとか高い枝まで飛んでいきました。しかし2羽は飛ぼうとしません。地面に丸くなってじっとしているだけ。お母さんスズメが降りてきてなにかお小言を言っています。

しかし、動きません。お母さんスズメがものすごい早口でお小言です。

そのうちに一羽が飛びました。よろけたものの近くの枝になんとかつかまりました。良かった。もう少しで落ちる所でした。そして、自信がついたのか次の枝に飛び移りました。

しかし、残された一羽は身動きさえしません。お母さんスズメが必死に囀っています。どうしたのでしょう。よく見ると羽もやっと生えたばかりです。飛べないのかな。どうしたんだろう。

仕事の合間にちょこちょこと覗きに行くと、少し動いてはいるものの元気がありません。体をまん丸く膨らませてじっとしています。

夕方になったら兄弟スズメもお母さんスズメもお家に帰ってしまい、独りぼっちになってしまいました。眠っているのでしょうか。頭を背中に埋めています。

かわいそうでご飯粒をそばに置きました。私が近づいても逃げないのです。大丈夫かな。

今朝、子スズメがいた場所を見たら姿がありませんでした。お母さんスズメが迎えに来て一緒に帰ったのでしょうか。それなら安心です。

ところが・・・・・・ちょっと離れた場所で冷たくなっている子スズメを見つけました。
あのままお母さんスズメは子スズメのところに戻ってこなかったのでしょうか。

生と死は隣り合わせ。命に期限があるとは思っていても、日々の生活では忘れています。

時々、こんな風に命の現実を突きつけられると、はたして自分が納得できる生き方をしているかどうか反省させられます。

「おまえもいつかは死ぬのだから、それまでしっかり生きろ」
と背中をぴしゃりと叩かれたような。

この世に生を受けたもの。そのすべてに死んでもいいものと悪いものの区別などあろうはずがありません。

秋田で起きた痛ましい事件のことなど思いながら、スズメのなきがらを庭の隅に埋葬しました。

by asahikanokami | 2006-05-20 20:50 | 我が家の日常 | Comments(0)

舌切り雀

二階から何気なく下を覗いたら、愛車の屋根にぽつぽつと白い点が無数にありました。

まさか愛車の賞味期限が切れて、カビが発生したわけでもないだろうと、降りてきてしげしげと見てみました。

なんとその白いぽつぽつはすずめの糞でした。屋根の上のみならずミラーまで白いもので汚されていました。

う~~~む!!憎っくきすずめども。そしてすずめに餌付けをしているおっとっと。

さっそくおっとっとに文句を言いました。

「ねえ!!あんたがすずめにエサをやるからすずめがたくさん集まってきて、車の屋根が糞だらけなんだよ!!もうぜったいに残りご飯をすずめにやらないでね」

「馬鹿だなあ。エサをやっているとそのうちすずめからツヅラをもらえるんだぞ。貰ったら大きいツヅラはあんたにプレゼントするからな。俺は小さい方で良いから」

「大きいほうはいらない!!」

「遠慮するなよ。あんたには日頃お世話になっているから大きいほうをやるから。俺は小さい方でがまんするから」

舌切りじいさんはきょうもせっせとエサをすずめにあげるのでした。意地悪ばあさんは愛車の屋根に糞をされるので、すずめを見つけると追い払うのでした。

めでたし、めでたし・・・・って言う事にはならないのだ!!
エサはやらないでくれ~~!!

by asahikanokami | 2006-05-20 20:18 | うちのおっとっと | Comments(0)

母の日に寄せて

両親に愛されなかった人は子どもを愛せないって本当でしょうか。母を見ているとそんなことはないように思います。子どもの時に愛されなくても、子どもを愛することは出来る。

子どもを愛せないのは、自分が愛してもらえなかったからと言う人がいますが、それは、その人がその事を手抜きの子育ての言い訳にしているように思えます。

私は愛情いっぱいもらって育ったのでこんなことを言う資格はないかもしれませんが、母を見ているとそう思えるのです。

私の母は、お腹にいるときに父を亡くし、その後、祖母が3回も結婚したので、母親からもあまり愛情をもらえないで育ちました。

しかし、私も弟も母の愛情いっぱいに育ちました。いつも母がそばにいると思うだけで安心でした。母に
「あんたは何でもできる。何でもやってごらん。おかあさんがいつだって応援してあげる」
と言われて育ちました。

母の子育ては全身全霊でした。自分のすべてを子育てに使うことを厭いませんでした。きっと自分のためとか、自分の時間とか言う考えは母にはなかったと思います。

母が末期癌だとわかった時のショックは大きかったです。母が入院して看護に通うのは辛かった・・・・日に日にやせ衰えていく母を見るのは。

最後は苦痛を取るためにモルヒネを投与されて、幻覚と幻想の中で生きるしかなく、普通の会話は出来ないと言われました。

そんな状態なのに、ある日突然
「朝日館ではあんたのことをどう思っているのかしら」
と聞きました。とっさに私は
「三国一の良い嫁だと思っているに決まっているでしょ」
と言ったら
「そう。それなら安心したわ」
とほほ笑みました。

また、終電車で帰る私に
「何かあったらお母さんを呼びなさい。飛んでいって助けてあげるから」
と言いました。

ベットから動くことも出来ないくせに、何言っているのよ・・・。

私はこんな状態でもまだ娘のことを心配している母の気持ちに、涙があふれて振り向くことも出来ず、そのまま
「じゃあ、又明日来るからね」
と部屋を出ようとしました。

その背中に向かって、どこにそんな力が残っているのか驚くほどの大きな声で
「必ず、呼びなさい。助けに行くから」
と言う声が追いかけてきました。

「わかった」
と言って廊下に出て病室のドアを閉めたとたんに、こみ上げてきてその場にしゃがみこんで声を殺して泣きました。

祖母がいて、母がいて、私がいます。そして、亡くなった娘が生まれてきてくれました。

わが人生。いろんなことを経験させてもらい、いっぱい愛情をもらったな。すべてに感謝です。

天国のおかあさん、ありがとう。

by asahikanokami | 2006-05-14 18:58 | 我が家の家族と親類 | Comments(7)