朝日館の女将のてんてこ舞日記


東日本大震災で被災した小さな旅館の女将の日々
by asahikanokami
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<   2006年 07月 ( 15 )   > この月の画像一覧


神様がお連れ下さったお客様

7月12日のことです。

その日は本当は仲良しグループで日帰りで温泉に行く予定でした。

しかし、前日に大勢のお客様があって、その後片付けがありました。温泉から帰ってきてからお掃除するからと言ったのに、おっとっとから温泉行きの許可は下りませんでした。

楽しみにしてたのにぃ・・・。

ちょっとふくれっつらでお掃除を開始。
するとお昼近くに一人のお客様がお出でになりました。自転車旅行のお年寄り。雨に降られて難儀をしていると言います。

宿泊の場合は15時からチェックインできます。時計を見たらまだお昼前。でも、なんだかお気の毒な気がしてお部屋を用意しました。

大きな荷物を自転車から降ろし、ビニールの雨合羽を脱いだらTシャツの胸の所に大きな文字。

『鎮魂』

そしてその下に
『日本一周自転車旅行 原野亀三郎 80歳』(お名前を掲載することはご本人了承済みです)

なんでも昨年は2ヶ月かけてドイツを自転車で廻ってきたそうです。それで自信がついたので今年は日本一周の計画を立てたそうです。

4月30日に長野を出発。日本海沿いを走って北海道に渡って北海道を一周。太平洋沿いに本州を南下して来たのだとか。

ずっと雨降りで、本当はもっと走る予定だったのに、なんだか急に走るのが嫌になり朝日館にはいってこられたそうです。

すごいことに、ただ海岸沿いを走っているだけでなく、島も一回りしているのだとか。佐渡とか、北海道沿岸の小さな島も走ってこられたそうです。

これから南下して沖縄まで行き、その先の島々も廻り、長野に帰る予定は来年の6月30日!!

80歳と言う年齢にも驚きます。

「私は戦争のせいで青春がありませんでした。多くの友人が戦死しました。彼らの青春は永久にありません。残された私が青春を楽しまなかったら、あの世に行ったときに彼らにあわせる顔がないんです。だから、今、青春をしてます。彼らが私と一緒に日本一周旅行を楽しんでいるのを感じながら走ってます」

「でもねぇ、やはり辛いですよ。走るのは・・・。走りおわったっときに、楽しかったって思うんでしょうねぇ。走っているときはちっとも楽しくなんてありません。人生も旅と同じですね。その時は必死に生きているから楽しくなんてないけど、後で思い返すと『あの時は楽しかったなぁ』なんて思いますから」

次の日の朝
「帰りたくないなあ。このままここにいたいなあ。もう一泊しようかな」
とおっしゃったけれど、曇り空を見上げて
「やっぱり雨が降らないうちに出かけることにしましょう」
と出発していかれました。(写真も掲載許可をいただいて撮らせていただいたのにピンボケでした・・・残念)

時々、神さまがお連れ下さったお客様ではないかと思う方がおります。その方のお話を聞いていっぱいエネルギーをいただく時があります。お話をお聞きして心が震えるときがあります。

そんなお客様はたいてい
「朝日館に泊まるつもりはなかったのに、なぜか泊まってしまった」
っておっしゃいます。それはきっと神様がお連れしたからだと思います。

温泉に行かないでよかった。もし行っていたら原野さんをお泊めすることはなかったと思います。そしたら原野さんの素敵なお話も聞くことが出来ませんでした。

原野さんは今頃どこを走っていらっしゃるのでしょうか。
雨に当たって難儀をしているのではと心配しています。梅雨明けがこころから待たれます。

by asahikanokami | 2006-07-28 21:47 | 我が家のお客様 | Comments(31)

遠野むかしばなし紀行14(終わり)

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                                       (新地町 観海堂)
楽しかった旅行も終わりです。
天気予報は雨だったのに、朝、出発の時に降っていた雨は遠野が近づくにつれて止み、薄日が差し、やがて青空になりました。日頃の行いがよいメンバーだからこそです。

旅行の成功の条件は二つ。一つは天候。もう一つはメンバー。
今回は参加者が全員町内の人ということもあり、お互いが顔見知りなので気心が知れていて、とても楽しく旅行ができました。又目的が昔話を聞くという一つのことだったので、過密スケジュールでの旅に不平不満を言う人もなく、なごやかで楽しい旅になりました。

平均年齢が高かったので途中で体調を崩す人が出ないかちょっと心配でしたが、皆さん健脚で、何も心配することなどありませんでした。

本物の語り部さんのお話を聞いたことが、今後の昔話教室での勉強にいっそうの励みになることと思います。イセさんやワキさんのようなすばらしい語り部さんを目標に、ますます語りの勉強に熱が入ることでしょう。

新地には観海堂という福島県で一番古い公立の学校が残されています。
その観海堂で、毎月第4土曜日の14時から、昔語りの会が開催されています。

新地町の語り部の第一人者の小野トメヨさんが、新地に残るお話をしてくれています。私達もいつか、イセさんやワキさんやトメヨさんのような語り部になりたいなと思います。

途中の前沢SAで夕食を食べ、新地町に20時30分に到着、楽しいたびは無事に終了したのでした。

by asahikanokami | 2006-07-17 18:42 | 新地町の人々 | Comments(8)

遠野むかしばなし紀行13(めがね橋)

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さあ。これ帰りましょう。

バスは16時30分に遠野を離れました。
途中立ち寄ったのは宮守のめがね橋です。ここは宮沢賢治が『銀河鉄道の夜』を構想した橋だといわれています。

確かに夜、闇の中でこの橋の上を列車が通ったら、夜空を飛んでいるように見えるはずです。

今年は宮沢賢治生誕110年の記念の年。
賢治さんはこの橋の上を通る列車を見て、ジョバンニやカンパネルラやザネリの物語を書いたのでしょうか。

ごとごとごとごと、その小さなきれいな列車は、空のすすきの風にひるがえる中を、天の川の水や、三角点の青白い微光の中を、どこまでもどこまでもと、走って行くのでした。(宮沢賢治 銀河鉄道の夜)

トイレ休憩を兼ねて宮守の道の駅「めがね橋直売所」からめがね橋を写真撮影しました。
カメラを向けたらちょうど下校中の中学生が通っていきました。
  

by asahikanokami | 2006-07-17 18:37 | 新地町の人々 | Comments(0)

遠野むかしばなし紀行12(千葉家)

ここ千葉家は映画『遠野物語』の撮影場所です。
駐車場から見上げると重厚な豪農の館が我々を見下ろしています。
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わらぶき屋根の家など見慣れている新地のメンバーもその大きさに目をまん丸にして驚いています。

左側の坂から登っていきました。

坂の脇には山桜、松、ケヤキなどの大木がうっそうと繁っています。
ドンドン登っていくと千葉家の入り口が見えてきました。
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下で見たときよりも迫力があります。千葉さんのご家族は今もここにお住まいです。
ですから見学できるのは入り口付近だけ。奥は自宅で非公開なんです。

でも・・・毎日この急な坂を上り下りして生活なさっているのでしょうか。いやはや、足腰が強化されるでしょうねぇ。ご苦労様です。

中庭も氏神様もなかなか立派なお家でした。
  
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by asahikanokami | 2006-07-17 18:34 | 新地町の人々 | Comments(2)

遠野むかしばなし紀行11(二回目のオシラ様)

次にワキさんが
「何をお話しましょうか?リクエストはありますか?オシラ様のお話は聞いたことがありますか?」
と言いました。

オシラ様のお話は午前中に佐々木イセさんから聞いたばかりです。よほど
「午前中に聞きました」
と言う言葉が喉まで出掛かったのですが、同じお話をワキさんはどのようにお話しするのだろうという興味がわきました。

どうやら他のメンバーも同じ考えのようで
「黙って同じお話を聞きましょう」
という思いがテレパシーを通じて(?)感じられました。お互いに目配せをして、ワキさんには申し訳なかったのですが、初めて聞くフリをしました。

おかげで私達は同じお話を二人の語り部さんに聞かせていただくと言う貴重な体験をしたのです。これが大正解!

イセさんのお話はほのぼのしていて素朴な語りでした。ワキさんのお話はダイナミックで生き生きしていました。
どちらも甲乙つけ難く、どちらもすばらしい語りでした。そして同じお話でも個性が出てとても面白かったです。とても良い勉強をさせていただきました。

昔話の語りは個性的で良いのだと言う確信を得ました。お話の筋をきちんと踏まえていれば、それぞれが自分の言葉で自由に語ればいいのだと思いました。これから昔話を勉強する上で、何よりの収穫だったと思います。

昔話を聞いて物産館を出てきたのは14時半でした。15時まで自由時間。久しぶりに遠野の町を歩いて見ました。たしかにこのあたりに同級生が居たはず。しかし町並みはすっかり変わり、同級生のお家も見つかりませんでした。40年の歳月の長さを改めて感じました。
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さて、残すはショッピングだけです。おみやげ。
道の駅風の丘の寄ることにしました。遠野は風は強いので風力発電をしています。山の上に風力発電の大きな風車がたくさん立っています。
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風の丘で皆さんいっぱいお買い物をしました。中には花の苗まで買った人もあり、バスはお土産でいっぱいになりました。

これで一応計画してきた予定は終了。

しかし・・・私はもう一箇所皆さんをお連れしたい場所がありました。でも時間の関係で廻れるかどうかわからなかったのです。おっとっとには
「もし時間があったらぜひ皆を千葉家に連れて行ってね」
と頼んではありましたが、廻れなかった時の落胆を考えて、誰にも内緒にしていました。

昔話村で二回お話を聞いたのに100円しか取られなかったことと、駐車料を無料にしてもらったので、予算も残っています。時間もあります。これはもう行くしかないでしょう!

こうして予定外の重要無形文化財千葉家へバスは向かったのでした。

by asahikanokami | 2006-07-17 18:26 | 新地町の人々 | Comments(0)

遠野むかしばなし紀行10(ワキさんのお話)

14時になり二回目のワキさんのお話を聞くことになりました。

お袋のまなぐ(目玉)
昔、とても仲のよい夫婦があったと。ある時、嫁っこは風邪が元でぽっくり死に、男は三度の飯も喉さ通らなくなったずもな。

ある晩、若い女が宿を求めてきたので、気の毒に思って泊めだんだと。女はそのまま居ついて、いつの間にか女の腹コ大きくなったずもな。

「一週間だけ絶対に覗かないでおくれんせ(ください)」
て言って、女はお産部屋に入ったと。

男は心配で心配で、覗くなっていうのに隙間っこ見つけて覗くと、大きな蛇がとぐろを巻いて子どもを抱いてあやしていたったんだど。

正体を見られた蛇は
「俺は正体を見られたからにはここには居られない。わらし(子ども)の坊太郎が泣いたらこれをしゃぶらせてけろ」
って言って、自分の右目をくりぬいて、山奥の沼に行ってしまったずもな。

男は坊太郎が泣くとまなぐ(目)をしゃぶらせていたが、とうとうそのまなぐも無くなったので山の沼に行ったと。
「坊太郎のおかぁ!」
って呼んだれば、片目の蛇が出てきたのでそのことを伝えると、残っていた左目も取ってよこしたと。

男はメクラになった蛇の嫁っこがむじょやな(かわいそう)と思い、メクラになっても昼と夜がわかるように、沼のほとりに鐘楼を建てて時刻を知らせたずもな。

そのうち、子どもが大きくなると、母親のことを尋ねるようになったずもな。
「獣でも蛇でもいいからおっかぁがほしい」
って言うので、男はありのままのことを教えたと。

子どもは喜んで山奥の沼に一人でおかぁに会いに行ったと。
「坊太郎のおっかぁ~~~!!」
と叫び、出てきたメクラの蛇に取りすがって
「おかぁ~!坊太郎のおかぁ~、戻って一緒に暮らすべし(暮らそう)」
って泣いたずもな。その涙が蛇の目に入ったら、蛇の目がぱっちりと開き、同時に蛇から母親の姿に変わったずもな。

山の神様の呪いが我が子の情けの涙で解けて、元の人間の姿に戻ったずもな。それからと言うものは、親子三人で仲良く暮らしたんだと。
どんどはれ。

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by asahikanokami | 2006-07-17 18:21 | 新地町の人々 | Comments(8)

遠野むかしばなし紀行9(一隅を照らす人)

私の父は国鉄マンでした。
国鉄でも電車ではなくバスの仕事をしていました。今から40年も前のことです。父は国鉄バス遠野営業所の助役をしていました。

当時の遠野は観光地ではありませんでした。「遠野物語」は有名でしたので、民俗学に興味のある人がたまに訪れるだけでした。その昔は馬の産地だったので、大きな市が立ち、おおいに賑わったそうです。釜石からの海産物を運ぶ宿場町でもありました。また鍋倉城の城下町でもありました。

しかし、私が住んでいた頃は落ち着いた静かな、言い換えれば活気の無い所でした。

ある日、父が数名のバスガイドさんを家に連れてきました。その当時は観光バスのガイドは名所の案内をするときに民謡などを披露していました。父は民謡だけでなく民話も披露したらどうかと考えたのです。

今のように昔話の語り部さんなど存在していなくて、父が遠野物語や他の文献から、民話をわかりやすく文章に起こし、ガイドさんに練習をさせていたのです。
「昔話なんて子どもに聞かせる話だべ。大の大人に昔話なんて・・・・」
とずいぶんと反対されたと聞きました。

 しかし、頑固親父の我父。一度決めたらやり通す人だったのです。ガイドさんを集めて。民話の特訓が始まりました。何日か、入れ替わり立ち代わり、ガイドさんが練習しに来ました。中学生だった私は、狭い官舎の中で練習するのでガイドさんよりも早く昔話を覚えてしまいました。

今思うと、私の民話好きはあの頃の影響があるのかもしれません。

遠野には5年住んで仙台に転勤になりました。それから10年ぐらいしてからでしょうか。
 突然、遠野が昔話で脚光を浴びるようになり、語り部さんが登場し、観光施設が作られました。

もしかしたら・・・・・あの時、父が民謡の変わりに民話を観光ガイドに取り入れたことが何かしらの影響をしているのでは・・・・・と娘の私は密かに思っています。

もし、父の業績が現在の遠野の民話での町おこしの一助になっているとするならこんな嬉しいことはありません。もしかしたら、父の小さな業績など無関係かもしれません。でも、娘としては、ちょっとは・・・・と思いたいのです。

  「径寸十枚 国宝にあらず  一隅を照らす人 これ国宝なり   伝教大使 最澄」
  
天国のお父さん。娘はあなたのことを誇りに思ってますよ。


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 (遠野 蔵の道  親子が絵本を読んでました)

by asahikanokami | 2006-07-16 00:04 | 新地町の人々 | Comments(0)

遠野むかしばなし紀行8(山の神様)

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ワキさんの次のお話は山の神様というお話でした。

  むかしむかしあったずもな。
  山仕事をするお父とお母と男わらし(男の子)がいたずもな。
  お父は山仕事をさせれば村一番の技量を持っていたずもな。

  ある日、何が悪かったのか、お父が腹痛みしてぽっくりと死んだずもな。残されたお母は無い日泣いでだったずもな。そしたれば、男わらし、その時はぺぇっこ(少し)大きくなって兄っこになっていたのが
  「おかぁ、これがらは俺がおとうの代わりに山仕事をしておかぁを助けるから」
  って言ったずもな。
 
  兄っこは本気になって山仕事を覚えて一人前の男になったと。
 (柳翁宿の神棚)

  ある日、長者殿の耳に兄っこ仕事振りのことが耳に届いて
  「なんぼでも金払うから、俺の山の木を切ってもらいたい」
  って頼まれだど。

  兄っこ、毎日一生懸命に仕事をしていたと。旧暦の12月12日の朝。
  「今日は山の神の年取りだから山仕事はやめたほうがいい。今日は山の神様が山の木を一本残らず数える日だっていうから、木を切るな」
  というおかぁの言葉を振り切って兄っこは山仕事をしたずもな。

  ところが山仕事を始めたら急に天候が変わり荒れてきたものだから、兄っこは山下りてきたど。
  家に帰ってきてみたらおかぁが倒れていたずもな。

  兄っこは悔やんだと。悔やんでも悔やんでもおかぁは生き返ってこなかったど。毎日、毎日、泣いて暮らしていたずもな。

  長者殿があのような仕事をする者が泣き暮らして仕事をしないのは惜しいと、兄っこを引き取ったずもな。兄っこは山に入ると立派な仕事をするようになり、嫁ももらい、子供も生まれて幸せに暮らしたずもな。

  山の神様は子授けの神様、安産の神様、山で働くものを守ってくれる神様、春三月には里に降りてきて豊作を授ける神様なんだと。
 
  毎年12月12日は山の神様の年取り、2月12日は初山の神様のお祭りだから、どんなに忙しい山仕事があっても、誰も山には入らないで神様にお供えをして山の神様に感謝をするんだと。
  どんどはれ。

by asahikanokami | 2006-07-15 23:56 | 新地町の人々 | Comments(0)

遠野むかしばなし紀行7(鈴木ワキさんの話『種売り』)

さていよいよ昔話村で語り部さんのお話を聞きます。

ここ昔話村の入場料は310円。その他に100円払うと物産館の二階で昔話を聞くことが出来ます。聞くことが出来る時間は季節でも変わるようですが、11時と13時と14時から20分間です。
 
 私達は13時からと14時からの二回、お話しを聞くことにしました。語り部は鈴木ワキさん。
大正10年生まれには見えない若々しいおばあちゃんでした。
この方のすばらしいことは声がとてもいいのです。今はその地域にしか残っていない謡曲の『まがき節』の第一人者なそうです。
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  種売り  
  ワキさんの最初のお話は『種売り』というお話でした。
 
  むかしむかし、美しい娘がいたずもな。その評判を聞いた殿様がお城に呼んだずもな。殿様はいっぺんで気にいって側さ置いたずもな。

ところが娘っこ間違って殿様の前で屁をたってしまったずもな。怒った殿様は娘っこをお城から追い出したずもな。

  その時、娘っ子の腹の中には殿様の子供居たたんだと。それでも娘っこは誰にも言わないで子供を産んで育てたずもな。
   
 子どもが大きくなると
「なして(どうして)皆にはとど様(お父さん)いるのに俺には居ねんだべ」
って言うようになってしかたなく教えたずもな。そしたらわらし(子ども)はとど様探してお城に行ったと。

そしてお城ののまわりで大きな声で
「金のナスの種はいらながんすか(いりませんか)」
とふれ歩いたと。

そしたらその声が殿様の耳に届いたど。
「金のナスがなるのか」
と聞かれたわらしが
「はい、なります。ただし、屁をたれない娘が蒔かないとなりません」
と答えたずもな。

そしたら殿様が笑って
「世の中に屁をたれない者などいるか」
ってしゃべったずもな。


「屁をたれない者が居ないのなら、なにして(どうして)おれのおがちゃをお城から追い出した」
っていうわらしの言葉に殿様は自分のおろかさを恥じて、その親子をお城に引き取って親子仲良く暮らしなんだと。どんどはれ。

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by asahikanokami | 2006-07-14 13:24 | 新地町の人々 | Comments(2)

遠野むかしばなし紀行6(昔話村)

昼食も無事に終了。いよいよ昔話村です。
バスは遠野市郊外(伝承園は遠野市土淵というところ)から市内に入ります。

中学生時代をすごした遠野ですが、道路も広くなりお店もすっかり変わってしまってずいぶんと様子が違います。花も恥らう乙女の頃(誰ですか!そんな頃があったなんて信じられないなんて言うのは!!)塾に通うのにこの道を通ったものです。

転校生のくせにその日から級友を仕切ってました、私。
今でもその気質は変わりません。今ならきっといじめの対象でしょうね。でも・・たぶん・・・いじめられても負けなかったかも・・・。なにしろ男子生徒からも一目置かれてましたからね。
あいつに逆らうなって。(でもいじめっ子でも番長でも無かったですよ。今と同じように真面目でした。笑)

いろいろな思い出が蘇ります。
そうこうしているうちに昔話村に到着しました。

川向こうは昔は小学校でした。今は市民センターとホテルになってます。図書館も中学時代に良く通いましたが、木造の古い建物だったのが新しくなってました。さらに坂を登った所には博物館も出来てました。昔は城跡でうっそうと木が繁っていたものです。城跡はデートの場所でしたよ。おほほほほ。甘酸っぱい思い出です。

ここ昔話村は、柳田國男が宿泊して遠野のことを調べたという高善旅館を移築した『柳翁宿』があります。ここに宿泊して柳田國男は佐々木喜善から遠野に伝わる民話などを採集して『遠野物語』を書いたんですね。佐々木喜善が居なかったら『遠野物語』も存在しませんでした。

遠野の人たちは遠野を紹介してくれた柳田國男に感謝していますが、それ以上に佐々木喜善を誇りに思っています。


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(写真は昔話村の柳翁宿)

by asahikanokami | 2006-07-14 13:16 | 新地町の人々 | Comments(0)