朝日館の女将のてんてこ舞日記


東日本大震災で被災した小さな旅館の女将の日々
by asahikanokami
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<   2007年 05月 ( 3 )   > この月の画像一覧


天国への請求書

友人のなおさんは山形県の住人でした。生まれも育ちも山形。
この三月にかわいい坊やと美人の奥様を残して急逝してしまいました。

なおさんは今頃になるといつも
「女将さん、ちょっと遅い誕生日のプレゼントにさくらんぼを送ります」
って、さくらんぼを送ってくれるのでした。

なおさんから届くさくらんぼは、特別美味しくて甘くて、そこの農園のさくらんぼを食べたら他のさくらんぼは食べられませんでした。

その農園はなおさんのお友達なそうです。

それでいつもなおさんに、知人へさくらんぼの発送をお願いしていました。

ところが・・・・・実は・・・・・農園から届く請求書には、我が家に届いた分までのさくらんぼ代が入っていました。

なおさんに言うのもはばかられ、ちょっと遠慮して、自分で美味しく食べたんだからいいかぁ~と、お代を支払っていました。

おととしも、去年も。

請求書よりもさくらんぼが先に届くので、その時に御礼のメールをするから、なおさんはきっと自分がさくらんぼ代を支払っていたと勘違いしていたと思います。

「なおさん、プレゼントのさくらんぼの請求が私のところに来たよ」
って今年こそ言おうと思っていました。

それを察したのか、なおさんはさっさと私の苦情が届かない遠い所に引っ越してしまいました。

とうとう言えないまま・・・・になってしまったなぁ・・・。

今年は農園から直接、注文書が届きました。今年はなんだか悲しくて、さくらんぼを食べることが出来そうにありません。
知人にだけ送ろうと思ってます。

なおさん、そちらにも美味しいさくらんぼがありますか?なんなら、山形の美味しいさくらんぼをお送りしましょうか?そのかわり・・・・請求書も送りますよ。

by asahikanokami | 2007-05-15 09:27 | 友人のこと

覚悟

福島中央テレビで放送になったゴジてれシャトルの「さくらぶみ 天国の娘への手紙」を見たという人から声をかけられます。

「見ましたよ」

想像以上に多くの方が見てくださったことが嬉しい。
そして何人かの人から
「娘さんは死ぬ覚悟をしていたんですね。すごいですね」
と言われました。

私を励まそうと暖かいお気持ちで言ってくださっているのが理解できるから、あえて反論などせず
「ええ・・・まあ・・・・。ありがとうございます」
とあいまいにお礼を言っています。

でも、娘よ!お母さんはちゃんと知っています。
あなたがしていたのは『死ぬ覚悟』ではなくて『生きる覚悟』だったと言うことを。

だから、最後はなんの治療もできなくて、痛み止めのモルヒネを使うしかなかったのに、あなたはモルヒネの使用よりも激痛に耐えることのほうを選んだ。

「モルヒネを使うと意識が混濁するから嫌。最後まで私でいたい。意識をはっきりと持っていたい」

2度目の手術の時も自分の能力や機能を失うことよりも、たとえ癌を取りきれなくても今のままでいることを選びました。

そして、最後まで自分の人生だから自分の思い通りにすると、一日、一日を投げ出さず、やけにもならず、一生懸命に生き抜きました。

おかあさんは、もし自分があなただったら、はたしてそのように覚悟が出来るだろうか、そのように生き抜いていけるだろうかと考えるととても自信がありません。

あなたの話が出るたびに、とても誇らしくそしてちょっとだけ悲しくなります。

いつも母の日にはお花を贈ってくれましたね。もう、あなたからお花は届くことはありませんが、おかあさんの胸の中には、いつも散らない桜が満開に咲いていますよ。

by asahikanokami | 2007-05-13 23:35 | 亡くなった娘の話

北村和夫さん

俳優の北村和夫さんの訃報をテレビで知りました。

舅 村上正一の親友は北村高嗣さんと言う方でした。日大工学部の同級生でした。

田舎から出て行った舅。都会育ちの北村さん。一緒に撮った写真は対照的です。

高嗣さんはハンサムで長身で、勉強はもちろん、スポーツも万能だったそうです。
しかし、若くして亡くなられたそうです。

舅は我が家に生まれた孫に自分の名前の「正」と高嗣さんの名前の「嗣」を一字ずつとって「正嗣」と名づけました。それが息子です。

そしてその高嗣さんの弟さんが和夫さんです。

お兄さんと仲良くなった舅は弟の和夫さんとも仲良くなりました。終戦後、和夫さんが俳優としてなかなか芽が出なかった時代に、我が家に逗留していました。

俳優を続けるべきか悩んでいた和夫さんに、舅は石にかじりついても続けるように勧めたそうです。

その後の和夫さんのご活躍は皆さんがご存知のとおりです。

毎年年賀状が届き、それには
「いつか懐かしい釣師浜に行ってみたいです」
と書いてきましたが、残念ながらその思いはとうとう実現しませんでした。

北村和夫さんのご冥福を心からお祈りいたします。

by asahikanokami | 2007-05-06 21:32 | 我が家の日常