朝日館の女将のてんてこ舞日記


東日本大震災で被災した小さな旅館の女将の日々
by asahikanokami
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息子や~~い!!

指定避難所の農村環境改善センターまで行く途中、ラジオから津波が来ているというアナウンサーの悲鳴のような声が聞こえます。

息子の携帯も、会社の電話も繋がりません。

だんだん不安になってきて、頭に浮かんだのは我が家に向かって車を走らせている息子の車が、津波に飲み込まれて行くシ-ン。

「電話が繋がらないから、会社まで行こう!」

こんなときだからまずは食料と水と、案外冷静な所もある自分にホッとします。

飛び込んだコンビニで床に散乱しているおむすびをすべて買い占めて、息子の会社に向かったのでした。そしてこのおむすびが後で大活躍をしたのです。

息子の会社に向かったのですが、避難する車で渋滞し、道路はズタズタで亀裂が走り、あちこちが隆起したり沈下したりして段差が出来ています。

途中で行くのを諦めて新地町役場まで帰って来ました。

役場の駐車場に入れようとするおっとっとに、高台にある商工会の駐車場に入れさせ、車を降りた途端に
「津波だぁ~」
と大声が聞こえました。

つづく

by asahikanokami | 2011-03-31 20:26 | 避難生活

息子や~~い!!

指定避難所の農村環境改善センターまで行く途中、ラジオから津波が来ているというアナウンサーの悲鳴のような声が聞こえます。

息子の携帯も、会社の電話も繋がりません。

だんだん不安になってきて、頭に浮かんだのは我が家に向かって車を走らせている息子の車が、津波に飲み込まれて行くシ-ン。

「電話が繋がらないから、会社まで行こう!」

こんなときだからまずは食料と水と、案外冷静な所もある自分にホッとします。

飛び込んだコンビニで床に散乱しているおむすびをすべて買い占めて、息子の会社に向かったのでした。そしてこのおむすびが後で大活躍をしたのです。

息子の会社に向かったのですが、避難する車で渋滞し、道路はズタズタで亀裂が走り、あちこちが隆起したり沈下したりして段差が出来ています。

途中で行くのを諦めて新地町役場まで帰って来ました。

役場の駐車場に入れようとするおっとっとに、高台にある商工会の駐車場に入れさせ、車を降りた途端に
「津波だぁ~」
と大声が聞こえました。

つづく

by asahikanokami | 2011-03-31 17:57 | 避難生活

踏み切りで

我が家から避難所に指定されている農村環境改善センターに行くには、常磐線の踏み切りを越えなければなりません。

踏み切りまで来たら、新地駅に列車が止まっているのが見えて、遮断機が下りていて、カンカンと赤い警報器が点滅をしていました。

人間はこんな時でも、無意識に交通法規を守ろうとするんですね。
おっとっとは停車してじっと列車が通り過ぎるのを待っています。

よくみると遮断機は車一台が通れるだけの隙間が開いています。
「早く遮断機をくぐって!」
私の声におっとっとは我に帰って踏み切りを通ったのでした。

後ろを見たら避難する車がズラリと続いています。

後でわかったことですが、その中にダンプカーがいたらしいのです。

ダンプカーは遮断機を潜れなかったのか、あるいは列車が通り過ぎるのを待っていたのか、動かなかったそうです。

そしてその後に避難する車がズラリと並び、さらにもう一台ダンプカーが並びました。

後尾のダンプカーの後に並んだ車は、タ-ンできたので、違う道を通り無事に逃げることができました。

けれどもダンプカーに挟まれた車は逃げることができず、ほとんどの方が津波の犠牲になりました。もちろんダンプカーの運転手さんも。

ダンプカーの前に踏み切りを通った私たち。
後尾のダンプカーの後に並んだので、逃げることができた人たち。

そして逃げられなかった人たち。

その差を、運不運だけで片付けていいのでしょうか。

今こうして生きていることを考えてしまいます。

訂正

10月22日
このブログの訂正です。

その後の聞いた話では、消防団の方が踏切の遮断機を壊して車を通したので犠牲になった方はいなかった模様です。

そのことも未確認ではありますが、本当に犠牲の方がいなかったら良いなあと願っています。
踏切のそばで川にダンプカーがひっくり返っていたので、そんなうわさが出たのかしらと推察しています。

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by asahikanokami | 2011-03-31 14:57 | 避難生活

津波なんて来ねぇ

家に戻ってみると、自宅部分の玄関は下駄箱が倒れて入れません。
ぐるりと回ってお客さんの玄関から入ると、室内は惨憺たる有り様です。
足の踏み場がないとはまさにこう言うことを言うのでしょう。

「あ~あぁ、明日から二ヶ月営業休むからな」
というおっとっとに
「何いってるの!一週間あれば片付くでしょ!」
と怒鳴った途端にさっきよりも大きな揺れが来ました。

「早く新館ににげて!!」
二人で建物の奥に逃げたのでした。

建物が音をたててきしんでいるのがわかります。
あちこちで何かが落下する凄まじい音が聞こえます。

足元を見たら床の割れ目からどす黒い泥が吹き出しています。
液状化だ!!

32年前の宮城沖地震の時でさえこんなことはありませんでした。

胸騒ぎがしました。
いつもと違う!おかしい!

頭に浮かんだのは子供の頃、何度も聞かされた三陸大津波の話でした。

「津波が来る。逃げるよ!」

「なぁに大丈夫だぁ。ここには津波なんて来たことねぇ」

のんきなおっとっとっを引っ張るようにして、床に転がっている物を乗り越えて玄関まで出ました。
寒いから上着でもと思ったのですが、タンスが倒れていて開けることが出来ません。

「菜穂」
散乱している物を踏みつけて、必死に手を伸ばして娘や先祖の位牌を広い集め、それだけを持って車に乗りました。

つづく

by asahikanokami | 2011-03-31 09:24 | 避難生活

地震だ!!

スマートフォンにもだいぶ慣れてきましたが、 まだまだ文字を打つのに時間がかかるので、コメントのお返事は出来ません。全部を繰り返し何度も読み返しては、嬉し涙を流して元気をいただいています。
ありがとうございます。

さて、今日からは少しずつ11日から今日までのことを書きたいと思います。

写真もあるのですが、ここにどうやって張り付けたらいいか解りません。
あちこち触っているうちに、せっかく30分もかけて書いた文章を消しちゃって、涙がポロリなどということに。

まあ、ぼちぼちと行きましょうね。

さて、11日はお昼を食べてネットでもしようかと思ったら、ゴォ-っという地鳴り。
途端にゆっさゆっさと大きな揺れが来ました。

「あっ、地震だ!」
と思った瞬間、今度は下から突き上げるような大きな揺れが来ました。

おっとっとと外に飛び出したら、ご近所も全員飛び出していました。どれぐらい揺れたでしょう。一旦揺れが収まったので、家に戻りました。

つづく 
 

by asahikanokami | 2011-03-31 08:48 | 避難生活

ここ掘れワンワン

朝ごはんの後、自宅に行って来ました。

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中は危険なので入れません。
外をぐるりと回ってみたら、見覚えのある品々の残骸が砂に埋もれて散乱していました。

「あ、テレビ... 買ったばかりなのに.....あ、パソコン.....もう使えないよね....」
おびただしい数の残骸。

栓が抜けていないビールビンが点々とあって、津波がどの方向に抜けていったかわかります。

食器が砂の中に埋もれているのを掘り出しました。

我が家には数十種の食器がだいたい百人分揃えてありました。
私一人で揃えたわけではありません。先祖代々の女将が自分好みの食器を揃えて来たからたくさんの食器があったのです。

それは朝日館百二十年の歴史でもありました

砂の中から掘り出した食器は割れているかひびが入っているのがほとんどで、まともな食器は少なかったです。

それでもどの食器にも愛着があって、必死になって砂と格闘して来ました。
欲が深い私、一枚でも多くと頑張ったかいがあり、30枚ほど持ち帰って来ました。

妹が洗ってくれるそうなので、仮設住宅に引っ越したら、皆で分けたいと思います。

それにしても、高いお皿は割れたりひびが入っているのに、安いお皿は無傷なのはどうしたことでしょうか??

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by asahikanokami | 2011-03-30 17:27 | 避難生活

涙の数だけ

避難所に自衛隊の東北音楽隊の方が、慰問に来てくださいました。

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こんなにも心にしみるトモロ-(小さいうがうてない)を聞いたのは生まれてはじめてです。

聞いている人はもちろん演奏する人も泣いていました。

泣きながらも心からなにか湧き上がるものがあります。

負げらんねえ!

がんばっぺ、新地町!

がんばっぺ、福島県!

がんばっぺ、日本!

by asahikanokami | 2011-03-26 13:34 | 避難生活

元気です

皆さん、ご心配をおかけいたしました。

私達は元気です。

おっとっとの携帯が流されたので、強引にスマートフォンを買わせました。

それをぶんどって久しぶりにここに書き込みしています。

まだ使い方が良く解らず、しかも指にが太いのでなかなか狙った文字が打てません。

イライラしながらブログを更新しています。
お返事もできずごめんなさい。

全て流されて無くなってしまいましたが、一番大事なものは無事でした。

それは絆です。

多くの方から暖かい励ましをいただきどんなにか心強く、ありがたかったことか。心からお礼申し上げます。

朝日館も私達も皆さんに支えていただいてここまで来ることが出来たと思うと、有り難くて涙が出ます。

朝日館の再建は難しいですが、どこにいても、どんな状態でも私らしく生きていきます。

ありがとうございました。

by asahikanokami | 2011-03-25 14:40 | 避難生活

冬の桜

日曜日21時から始まるドラマ「冬の桜」

昨夜も見た後、いろいろな思いが頭の中を駆け巡って、とうとう夜中の二時頃まで眠ることができませんでした。

普段は、本を開いて数行読んだか読まないかのうちに眠ってしまうほど寝つきが良い私。眠れないなどと言うのは年に1回あるか無いかなのです。

脳腫瘍で、自分に残された時間が少ないと知った主人公は、雪原に立つ一本の桜が満開になる日を夢見ます。この桜が咲くのをこの目でい見たいと願います。

そのストーリーがどうしても娘と重なってしまい、あの辛かった日々のことばかり思い出されて眠ることができませんでした。

ちょうど11年前の今頃。お医者さんに呼ばれました。
「今日、菜穂子さんに桜が咲いたらお花見がしたいから退院させてほしいと言われたのですが、言いにくいのですが・・・・」
と先生はちょっと口ごもってから
「桜が咲くころまで持たないと思うんです・・・」

私は何も言えずただ頭を下げて先生の部屋を出ました。涙があふれて、そのまま廊下でしゃがみこんで泣きました。

その日の夕方、娘の病室に大きな花瓶が運び込まれ、太い桜の枝が二本活けられました。

驚く私に、もうすでにその頃は気管切開をしていたので、話すことができない娘が、ノートに
「先生が桜の枝を折って来なさいと看護婦さんに言ったんだって。見つからないように夕方になるのを待って、病院の庭の桜の枝を折って来てくれたの。看護婦さんたちが大騒ぎで活けて行ってくれたの」

嬉しそうにそう書くと、最後にこう付け加えてウインクしました。
「桜にも処方箋が出たのかな」

病室は暖かいので、活けられた桜はたちまち蕾をほどき、あっという間に満開になりました。娘はよほどうれしかったらしく、毎日写真を撮り
「相馬で一番早いお花見だね」
とノートに書きました。

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桜の花は、娘の命の最後のエネルギーになりました。3月いっぱい持つかどうかと言われて娘は、ちょっと元気になり、4月に病院の庭の桜が満開になった時には、車いすで庭まで下りて、お花見をしたのです。

治療や薬は病気を治癒する力がありますが、桜の花も同じように生きる力になるのです。桜の枝を折って来なさいとおっしゃって下さった先生に、今でも感謝しています。

桜が好きと言った娘。桜を見てちょっと頑張れた娘。
そのことがACのアイバンクのCMになりました。

桜が咲くたび、先生を思い出し、感謝の気持ちでいっぱいになります。

さて、ドラマは来週が最終回。
主人公は満開の桜を見ることができるのでしょうか。

by asahikanokami | 2011-03-07 21:24 | 亡くなった娘の話