朝日館の女将のてんてこ舞日記


東日本大震災で被災した小さな旅館の女将の日々
by asahikanokami
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<   2011年 05月 ( 6 )   > この月の画像一覧


朝顔の帰国種子

まだ避難所に居るときに、国際小包が届きました。それはニューヨークの浅野さんが送ってくださった小包でした。

中にはたくさんのお菓子や缶詰めと一緒に封筒が入っていて、お手紙と一緒に種がポロリと飛び出しました。

手紙を読まないうちに、私の目からはポロリと涙がこぼれました。

娘が東京から最後に帰ってきたとき、大事に抱えてきたのは一鉢の朝顔でした。
浅草の朝顔市で買い求めて大事に育てていたのだそうです。

入退院を繰り返しながら、確実に、少しずつ衰弱していく娘。一方朝顔はどんどん大きくなって、夏の間たくさんの花を咲かせました。

秋になって、きっと一時退院したときに種子を採取していたのでしょう。翌春、危篤状態にもかかわらず
「あ..さ..が..お」
と文字板を指差しました。

気管切開していたので話すことはできませんでした。ちょっと前まで筆談だったのですが、その頃はもう鉛筆を持つ力もなかったので、文字板を使って会話をしていたのです。

「あさがお」
その四文字で私には娘の言いたいことがすべてわかりました。急いでうちに帰って娘の机の引き出しを開けると、かわいいケースに朝顔の種が入っていて、ケースには
『朝顔の種。菜穂育てる。大きくなれよ』
と書いてありました。
私は泣きながら庭に蒔きました。

娘は朝顔が咲くのを見ることなく、6月に亡くなりました。
その年の夏、朝顔はたくさんの花を咲かせて悲しみにくれる私達を慰めてくれました。

秋になって、種がたくさんとれました。
それで、その頃入っていたメキキの会で皆さんに呼び掛けて、世界中に朝顔の種を蒔いていただきました。

浅野さんもその一人です。

あれから11年がたちます。その間ずっと、朝顔を育て続けていてくださったのです。
なんと言ったら良いのかわからないほど嬉しくてありがたいです。
お手紙には
「きっと菜穂ちゃんの朝顔も流されたでしょうから」
とありました。

娘が帰ってきて
「お母さん、がんばってね」
と言ってくれているような気がしました。

仮設住宅に引っ越してまず最初にしたのは、プランターと土を買ってきて朝顔の種を蒔くことでした。

毎日、水をやりながら話開けています。
「菜穂、お母さんはどこにいても、どんなときも、お母さんらしく生きていくからね」

朝顔は本葉が出て来ました。

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by asahikanokami | 2011-05-31 20:14 | 避難生活 | Comments(10)

片道6時間かけて

お陰さまで叔母の手術は無事終わり、経過も良好です。今日は妹が病院に行ってくれると言うので、病院行きはお休みしました。

さて、被災して最初に駆けつけて来てくださったのは、経理を見てくださっている税理士さんでした。

タオルや洗面道具、下着や靴下、ティッシュペーパー等の日用品。お菓子や飲み物、リップクリームや保湿クリームまですぐに役に立つものが過不足なくきっちりと詰まった荷物を持って来てくださいました。
とてもありがたく助かりました。

次に駆けつけて来てくれたのは、相馬の妹夫婦でした。
二人で持てるだけの衣類や布団等を運んで来てくれました。避難所は寒かったので、持ってきてくれた上着に助けられました。時々おかずを運んできてくれたので、それも嬉しかったです。

そして電話が通じるようになってから、毎日電話をくれたのは、仙台市の隣の名取市に住んでいる妹です。

いつも電話を切る時にいう言葉は
「ごめんね。すぐにでも飛んで行きたいのだけれど、ガソリンが買えないのよ。車にガソリンが入ったらすぐいくから」
というのです。

「良いのよ。後一週間もすれば自由に買えるようになるから。そしたらいらっしゃい」
といつも返事をしていました。

震災と津波で、道路はあちこちで寸断されて、物流が止まりありとあらゆるものが不足しました。ガソリンも不足し、ガソリンスタンドには長い車列ができました。4時間並んでも10リットルしか手に入りませんでした。

ある日、妹夫婦が避難所にやって来ました。なんと自転車で!しかも片道6時間もかけて!!
朝の5時に自宅を出発して避難所に到着したのは11時でした。

「なんて馬鹿なことを.....自転車で来るなんて考えるのは、世の中広しと言えどもあんた達ぐらいなものよ.....」
と言いながら、そこまでして来てくれた気持ちが嬉しくてありがたくて抱きついて泣いてしまいました。

ガソリンスタンドに並んでも少ししか手に入らないのなら、いっそ自転車でいこうかと相談がまとまりまったそうです。

途中、地震で道路には段差や亀裂ができ、至るところに瓦礫があったそうです。自動車だって大変な道を、よくぞ自転車で来たものです。途中のトイレは、被災して誰もいない民家の影で、一人が見張りしながら済ませたとか。
そんなおもいまでして駆けつけて来てくれるのは身内なればこそ。本当にありがたいと思いました。

朝日館の無惨な姿に号泣し、長いこと佇んでいた妹。まさか、自分の生家がこんなことになったとは思いもしなかったことでしょう。

幸い家の車には、ガソリンが入っていたので帰りはワゴン車に二台の自転車に押し込んで自宅まで送って行きました。

あの日から二ヶ月も経っているのに、こうして思い出すだけでもありがたくて今でも涙がこぼれます。


 

by asahikanokami | 2011-05-28 14:44 | 避難生活 | Comments(10)

ちょっとお休みします

今週は、我が一族で唯一人被災によって亡くなった叔父の葬儀と納骨をしました。

来週といってもあと三日ばかり先には、叔母がペースメーカーを入れる手術をすることになり、しばらく看護のために、仙台通いになります。

どちらも子供が居ないので、私たち夫婦で面倒を見なければなりません。

叔母は90歳になり、叔父は86歳でした。

たぶん、ブログを書く余裕はないと思いますので、ちょっとの間、お休みします。

その間に電話回線が繋がって、パソコンが使えるようになると良いなぁ。書きたいことが山ほどあります。

スマートフォンでは、なかなか文章が書けない。早くパソコンが使えるようになることを祈りつつ、ちょっとお休みします。

by asahikanokami | 2011-05-22 22:10 | 避難生活 | Comments(9)

千客万来

仮設住宅に引っ越して、明日で二週間になります。

暇なはずなのにブログが更新されないので、また寝込んでいるのかとご心配をされていることでしょう。

実は、毎日、お客様で忙しいのです。

避難所にいる時は、お出で頂いてもロビーで話をするしかありませんでした。
仮設なら誰に気兼ねすることもなくおしゃべり出来ます。

友人や知人が心配して訪ねて来てくれます。

多い日は四組もお出でいただきました。ありがたくて涙が出ます。

で、来てくださった方の感想は二種類。

「へぇ、思ったより広いねぇ」
「へぇ、思ったより狭いねぇ」

四畳半二間に机や棚やテレビやテーブル。
決して広いわけではないのですが、お出でくださる方によって、このぐらいの広さかなと想像してきたのが裏切られるのかな。

その反応が面白いです。

台所も小さくて、使い勝手も悪いのですが、なにせお部屋代は無料ですので文句は言えません。

この狭さをいかに快適に生活するかが、目下の課題です。色々工夫してうまくいくと、ご近所に自慢します。すると、その日のうちにご近所も同じ様に棚ができたりしてすごく面白いです。

後で詳しく書きますが、ニューヨークから菜穂の朝顔の種が届きました。
早速、プランターを買ってきて撒きました。

そしたら、隣近所、プランターが並び色とりどりのお花が植えられました。
お互いに情報交換し、良いことは取り入れる。そんな昔の長屋生活のような仮設住宅です。

今日も午後から友人が遊びに来る予定です。

千客万来。多くの方に応援していただき、支えていただき、感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございます。

by asahikanokami | 2011-05-15 10:29 | 避難生活 | Comments(18)

仮設住宅に引っ越ししました

3日に仮設住宅に引っ越ししました。

説明会があり、鍵を渡され、その瞬間から住んでも良いと許可が降りました。大した荷物があるわけでなく、即、引っ越しました。

中は四畳半がふたつに台所とトイレとお風呂がついています。狭いけれど避難所に比べたら天国です。

今まではトイレは外の仮設トイレでしたので、からだ具合が悪い時や夜中は辛かったです。
お風呂も無かったので、妹の家や友人の家のお風呂に入れて貰っていました。毎晩、好きな時間にお風呂に入れて嬉しいです。今朝は朝風呂に入りました。極楽、極楽。

さて、この仮設住宅。日本赤十字社から、皆様の義援金で色々なものが備えられています。テレビ、炊飯器、洗濯機、冷蔵庫、ガスレンジ、電気ポット、電子レンジなどの家電品。

お米、お味噌、醤油、砂糖、缶詰各種、カップ麺一箱、お餅、レトルト色々、じゃがいも、玉ねぎ等の食料品。

トイレットぺパー、洗剤、歯ブラシセット、タオル、軍手、マスク等の日用品。

その日から住むことができました。とてもありがたかったです。

お布団も一人に一組ずつ、しかも、ダブルの布団なので、二つ敷くとお部屋がいっぱいになります。といいますか、お部屋の方が小さいので、隅は重ねないと敷けません。

明日はチェストをくださるそうです。どんな大きさかわかりませんが、大きかったらお布団が敷けなくなると心配しています。

三日間暮らしてなんとなく我が家のような気がして来ました。

話は変わって、今度の日曜日の夜、七時ごろの鉄腕ダッシュとか言う番組で、新地町の被災状況が写るらしいです。朝日館も写るかもしれないと息子が言います。
お時間がある方はご覧ください。

電話回線がまだ仮設に来ていないので、パソコンが繋げません。
パソコンが繋がったら、仮設の中などの写真をアップしますのでお楽しみに。

住所は今までの住所に(小川公園仮設7-6)と付け足して下さい。
電話はまだ繋がっていませんが、以前の番号がそのまま使えるようです。

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by asahikanokami | 2011-05-06 21:42 | 避難生活 | Comments(18)

おおほりな日々

今日これから帰ります。
主治医とお昼を食べる約束をしたので、お世話になった民宿「アットホームおおほり」のロビーでブログを更新しています。そして使ってないパソコンを一台いただきました。嬉しい!!

今回、一番ラッキーだったことは、連休で小川医院が入院患者を受け入れていなかったということ。おかげでこのおおほりさんにお世話になることができました。

お部屋は和室だったし、ちょっと離れた静かなお部屋を用意していただいたので、とても快適でしたし、リラックスできました。お風呂もいつでも入れるというのがうれしかったです。

そして何より、ここのお料理がおいしいのです。心がこもっているお料理なのです。女将さんはお客様の笑顔見たさに、奮闘しているのが伝わってくるお料理なのです。

避難している人たちには県から滞在費が出ます。その料金を聞いて驚きました。その料金で三食付けるなんて信じられないほどの安さなんです。時には赤字のときもあると想像しました。

おっとっとと二人で
「よくやっているよなぁ。あんなにお料理を出さなくてもいいのになぁ」
と話していました。

そして名前のとおりにじつにアットホームなのです。体具合が悪い私を気遣って、何度も顔を出してくださる女将さん。病気で心細くなっておりましたのでその笑顔がとても嬉しくて元気をいただきました。

おかげで私は日を追うごとに元気になり、この間はここ、おおほりさんで開かれた主治医のホームパーティにも参加し、ステーキをぺろりと完食しておっとっとを驚かせました。その上、主治医夫婦が一緒だから良いか!とカラオケに繰り出し、夜遅くまで遊んできました。

遊びに来ているのか、治療に来ているのかわからないような、楽しい5日間を過ごさせていただきました。自分たちが避難民だということを忘れてすごした5日間。心身ともにリフレッシュできました。

ここに来た時は、枕から頭を上げるのもつらいほどだったのに、わずか5日でここまで快復できたのも女将さんはじめご主人やお嫁さんやかわいいお孫さんのおかげです。ほんとうにありがとうございました。

by asahikanokami | 2011-05-02 09:41 | 避難生活 | Comments(14)