朝日館の女将のてんてこ舞日記


東日本大震災で被災した小さな旅館の女将の日々
by asahikanokami
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<   2011年 07月 ( 8 )   > この月の画像一覧


PTA??

震災以後、体調を崩している人がたくさんいます。
眠れなかったり、動悸がしたり、気分が落ち込んで何も手につかなかったり。

あれほどの震災と津波を体験したのです。
心身に影響が出るのも当たり前です。

私自身は
「ほかの人がそうなっても、私はならないだろう」
と高をくくっていました。

避難所でも、なぜか自分が被災者などとは思えず、ほかの方を元気付けることや応援することを一生懸命にしていました。

しかし、一ヶ月半ほど過ぎたころからなんだか体調が悪くなり、夜になると発熱し、食欲が無くなり、自分でも日ごとに衰弱していくのがわかるようになりました。

「あれ??わたしはどうしたんだろう??このままでは避難所で衰弱死してしまうんじゃないかしら。えぇっ!!死んでなんかいられないわ!!冗談じゃない!!」
と、あわてて猪苗代の我がホームドクターの所に入院しました。

ちょうど5月の連休にかかってしまったので、病室が無くて、民宿おおほりさんのお部屋を借りて、そこで一日中点滴をしてもらい元気になりました。

寝ているときに思ったのは、誰にも頼らなくても生きていけると思っていた自分の傲慢さ、甘さでした。
他人はお世話するけれど、自分はお世話を受けたくないという思い上がり。

人に甘えることが下手くそな私は
「大丈夫?何かほしいものは無い?」
といわれても
「大丈夫。元気よ。私個人でほしいものはないわ。もし送ってくれるなら、避難所で○○が不足しているから送ってほしい」
と、私個人がほしいものを送ってもらいたいとは言いませんでした。

それでも、衣類とかお菓子とか食料などを、多くの方が私個人に送ってくださいました。その荷物でさえ、オープンに広げて、ほしいという人がいれば差し上げました。
「私の友人は、皆素敵な人たちだから、きっとこの品物も私を通して避難所の困っている人に送ってくださったと思うから」
と言うと、多くの方が涙を流して感謝して衣類やお菓子を持っていきました。

でも、病気になってわかったのです。
「私ってなんて甘えるのが下手なんだろう。人と人とのかかわりの基本は、頼ること、甘えること、感謝することなのに」

人の迷惑にならないようにしよう。人を頼らないようにしよう。
それが自立した人間だと錯覚していました。人は助け合わなければ生きてはいけない。そんなあたりまえのことを思い知らされたのでした。

仮設住宅に引っ越して、今まで忘れていたご近所とのつながりができてきています。
お互いにいろいろなものを、食べ物だけでなく、心配事も楽しみも分け合う、原始的ともいえる生活に逆戻りです。

プライバシーは大幅に減ってきてはいるものの、とても人間的で楽しいご近所生活です。向こう三軒両隣という昭和の生活が、ここにはあります。

「なんだかね、じっとしていると体が揺れるのよ。地震が来てなくてもゆれているような気がする」
と言ったら

Aさん「私もそんなときがあるよ」

Bさん「あ~~、それはほら・・・・・・なんとかいうやつでない???」

Aさん「あ・・・・ピー・・・ピーテー・・・・なんとかいうやつかい?」

Cさん「(ドヤ顔で)PТAだべ!」

一同「????」
そして爆笑。

どうやら私はPTAのようです。

PTSDになったら、まずは自分の人生を一本の連続線上で考えないで、一度ピリオドを打つことと、誰でもいいから、どんなことでもいいから、話を聞いてもらうことが解決の早道なそうです。

あの恐怖が私の心から去るまで、しばらくはPTA状態でいようと思っています。

(私の場合は、たまに体が揺れている感じがするだけで、食欲も旺盛、睡眠も十分ですのでご心配なさらないでください。そのうち自然に治るでしょうから)

by asahikanokami | 2011-07-26 15:09 | 避難生活

アルプホルンが響く町

このブログを始めたころ、アルプホルンの響く町というタイトルで日記を書いたことがあります。

新地町には「鹿狼アルプホルンクラブ」というのがあって、毎年元旦には鹿狼山(かろうさん)の頂上から、初日の出にあわせて、新地町民の一年の幸せを祈りながら、演奏しています。

アルプホルンはすべて会員の手作りなんだそうです。ただの管(失礼)のアルプホルンの音階は、唇と吹く息で調節するのだとか。すごく難しそうです。

さて、今日は午前中、そのアルプホルンの演奏会がありました。

「東日本大震災復興支援 スイス音楽祭」と銘打って、厚木から多摩川アルプホルンクラブ、那須から那須アルプホルンクラブ、山形の南陽市から美しい山形アルプホルンクラブの皆さんが駆けつけてくださいました。

おまけにヨーデルでは全国的に有名な佐藤憲男さんとアルト歌手の高山圭子さんのお二人「ヨーデルチロリアン」が仙台から参加してくださいました。

アルプホルンクラブがあるというので、スイス国から援助金や支援物資が新地町に送られています。ありがたいことだと思います。

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昨日到着した玉川アルプホルンの方たちは、被災した海岸の各地区で、鎮魂の演奏をしてくださったそうです。

「4月に駆け付けた時には瓦礫だらけだった被災地に雑草が茂って、緑になっていて驚きました。雑草に負けないように生きていきましょう」
と呼び掛けられました。

新地町民にとって、鹿狼アルプホルンクラブの活動で、アルプホルンはとても身近な楽器です。
しかし、ヨーデルは聞く機会が少ないので、佐藤さんと高山さんの素晴らしい歌声に、すっかり魅了されてしまいました。お二人の息の合った歌声は本当に素晴らしかったです。

隣で聞いていたおっとっとなどは
「俺、これからヨーデルを習うかなぁ。いやぁ~ヨーデルは良いよな。教えてくれるところ無いかなぁ」
と、心を奪われた様子でした。(みなさん、心配いりません。こういったからと言って、おっとっとは習いに行く人ではありませんから。とりあえず言ってみただけだと思います)

玉川アルプホルンクラブは年間多くの演奏活動をしているクラブなそうで、楽器もアルプホルンだけでなく、カウベルやアコーデオンなど、いろいろ使って楽しい演奏を聞かせてくださいました。
スイスの国旗を振らせるなど、観客を巻き込んでの演奏は、楽しくて会場が大盛り上がりでした。

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那須の温泉の宿泊券をかけたじゃんけん大会や、福引(私はスイスの救助犬、セントバーナードのかわいいぬいぐるみが当たりました)、玄関ではかき氷や冷えたトマトやジュースのサービスもあり、楽しいひと時を過ごしました。

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by asahikanokami | 2011-07-24 19:39 | 避難生活

相馬野馬追い祭り

今から30年も前のこと。
ちょうど7月23日に、息子が風邪をひいて熱を出しました。

なぜはっきりと日にちまで記憶しているかというと、その日は相馬野馬追い祭りの日だったのです。
相馬のお医者さんに連れて行って、待合室で診察を待っていたら、何やら外が騒がしいので見ると騎馬武者の行列でした。

息子に見せたいと思い外に出ると
「ママ。あれは何?」
と息子が聞きます。5歳ぐらいでした。
「えっ!正嗣はお馬さんを知らないの?あれはお馬さんだよ」
と、息子が馬を知らなかったことに驚いて聞くと、今度は息子のほうが驚いて
「えっ!お馬さんってワンちゃんぐらいの大きさだと思ってた・・・。大きいんだねぇ!」

その言葉にショックを受けました。私が子供のころは、ご近所には農耕馬が飼われていて、ヤギや牛や鶏やウサギは、普通に飼われていました。しかし、息子が子供のころはすでに、新地でさえ、家畜を飼っているお家が少なくなっていたのです。絵本では知っていても、本物の馬を見たことがなかった息子。

さっそく、忙しい仕事の合間に仙台の動物園に連れて行っていろいろな動物を見せたことを昨日のように思い出します。

きみまろさん風に言うと
あれから30年!!今日はお野馬追いのお下り行列を見てきました。

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この時期、いつもなら夏休みに入るので海のお客様も忙しく、それプラス野馬追い祭り見物のお客様の予約でいっぱいになるので大忙しだったのです。お野馬追いを見に行きたいなんて思う暇もないほどの忙しさでした。
例年、お祭り終了後にはダウンして相馬の義妹に手伝いに来てもらうのも恒例でした。

それが今年は、毎日が日曜日になり、念願のお野馬追いを見に行くことができました。今朝、義妹から電話があり
「今年はダウンしないで済みそうだね」
と言われました。

夏祭りというのは、先祖供養の意味が込められているのだそうです。今年はなおさら鎮魂の思いを抱いて、みなさんお祭りに参加しているのだと思います。

相馬の人たちは、年に三日のこのお祭りの為に、馬を飼い、鎧装束の手入れをし、春になると調教と乗馬上達を兼ねて、浜などで馬を走らせて訓練します。

今年は、武者の方も、飼っている馬も震災の犠牲になったり、また原発30キロ圏内なので馬の世話ができなかったりで、例年よりもずっと少ない人数でのお行列なんだそうです。距離も短縮されました。

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例年なら、メインイベントの神旗争奪戦が行われる南相馬市の雲雀が原も30キロ圏内の為に、今年は神旗争奪戦は中止になりました。

お祭りをするのには、何もかもが困難な状況ですが、それでも1000年続いたお祭りを中止にはできないと、多くの方ががんばってくださいました。その心意気に胸が熱くなります。

30年ぶりに見るお行列。武者の胸に、黒い喪章がつけられ、粛々と進んでいく姿に感動しました。
来年こそは、本来のお祭りの姿に復帰することを切に願っています。
新地に嫁して40年。来年こそは神旗争奪戦をこの目で見たいものです。

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by asahikanokami | 2011-07-23 20:17 | 私のこと

散歩

最近、疲れやすくなった気がします。暑い日が続いたこともあって、夕方になると何もしたくないのです。ぐったり。

「年のせいだべぇ~~~」
と、おっとっとはこともなげに言います。
なにを!!認めるわけにはいかないぞ!!

今までは広い家の中で生活していました。トイレに行くにも台所に行くにも歩かなければなりませんでした。
それが、今は3歩でトイレに着きます。台所までは2歩です。

自分でも体力が落ちて足が衰えていくのが自覚できます。躓きやすくなって、ちょっとした段差でも引っかかります。

これではならじ!!

思い立って散歩に出かけました。

朝、起きてもお客さんの朝食の準備する必要がありません。暇なのです。この暇を有効活用(?)しなきゃ。
ということで、帽子をかぶって、タオルを首に巻いて、日焼け止めを塗って散歩に出かけました。

私の住んでいるところは「小川総合公園仮設住宅」というのが正式な名前です。
そうなんです!ここは総合公園の中にあるのです。

もともとはサッカーグランドだった所に仮設住宅を建設しました。北隣には野球場と大きな体育館があります。
そして南には公園があるのです。そこには遊歩道や遊具もあって子供たちを遊ばせるのには絶好の場所です。

悲しいことに、放射線の影響を心配して、外で遊んでいる子供がいません。

遊歩道は一周すると1キロあるそうです。その日の天候と体調で、一周したり二周したり。

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花壇にはひまわり。これは放射能除去のひまわりではありません。最近ひまわりを見ると放射能除去かなと思ってしまうのが悲しいです。

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コスモスも咲いていました。

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野外舞台もあります。誰もいないのを確かめて、ここで一曲、音痴な歌を大声で歌います。

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歩いていく途中には、ツユクサやツメクサやネジバナが咲いています。草を刈る人がお花を刈り残してくれたのでしょう。その優しさにちょっとジンとします。

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母がネジバナが好きだと言ったら、父が探してきて庭に植えていたなぁなどと思い出しながら、二周まわりました。

それから国道6号線に向かって坂道を下ります。これがけっこう勾配のきつい坂なんです。道端にはツキミソウが咲き、大きなクモが朝仕事にせっせと巣を張っていました。

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NAGOTAKEさんの好きそうな坂ですので写真を撮りましたが、NAGOTAKEさんのように上手には撮れませんでした。

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さて、下ったら登らないといけません。踵を返して坂道を上って今日のお散歩は終了です。

何事も三日坊主で長続きしない私ですが、一応今日まで一週間続いたのでブログにアップしました。
がんばって続けたいとは思っているのですが・・・・・・・・私のことですから、はたして?????

(今朝は台風の影響で曇り空でした。写真は昨日、7月19日に撮りました)

by asahikanokami | 2011-07-20 10:42 | 避難生活

それでも生きる

息子がもって帰ってきた告別式のお礼状。
亡くなった人の所に並んでいたのは6名の名前でした。

息子の同僚の方は、自分以外の家族全員をこの津波で流されたのだそうです。
ご両親、お兄さんご夫婦、そしてその小さなお子さん二人。

海から離れた高台にある会社にいたので、息子もその方も助かりました。

「たった一人残されて、どんなにか心細いことでしょうね。毎日どんな気持ちで暮らしているんでしょう」
という私の言葉に息子は
「そうだね・・・・・」
と一言いったきり、それ以上は何も言いませんでした。

もしかしたら、自分も同じ境遇だったかもしれないと息子は思っているのだと思います。

助かった人の誰もが、亡くなった人との運命の差を感じていないと思います。誰がなくなっても不思議ではない状態でした。むしろあの大津波、助かったのが不思議なぐらいです。

今でも誰かと出会うと
「生きてたの?良かったね」
という挨拶が普通に交わされています。

本当に生きていて良かった。

だけど、ご家族を亡くされた方の中には、死んだほうが良かったと思っている人も少なくありません。
命が助かったのに、死んだほうが良かったって・・・・・・・こんな悲しいことがあるでしょうか。助かったことを喜べないのです。生き残って申し訳ないという人もいます。

私も娘を亡くしたときには、半分死人のような毎日でした。何も楽しいことはないし、何もしたくありませんでした。テレビを見ても感動も無く、何を食べてもも美味しくありませんでした。

なんとなくぼんやりと毎日を送って、ふと見渡したら、周りにいる友人知人が、みんな心配そうに見守っていることに気が付き、そのことが立ち上がるきっかけになりました。ありがたかったです。

こんなにも大きな震災があっても、地球は回っています。季節は巡ってきます。

日は昇り、花は咲き、鳥は鳴き、雨が降り、瓦礫の間から雑草が生え、あの荒れ狂った海でさえ美しい青い海に戻っています。

自然は時に牙をむくけれど、その自然に生かされているのは私たち。
新地の自然は、豊かで果てしなく美しいと思う日がきっと来る。きっと来ます。

地球が自転をやめないように、季節が必ず巡るように、私たちも命がある限り生きていかなければなりません。

辛くても、悲しくても、苦しくても、不安でも、何が起ころうと、どんなことがあろうと、それでも生きていってほしいと、息子の若い同僚のことを心から願います。

がんばっぺ!!

by asahikanokami | 2011-07-18 18:15 | 避難生活

イベントいろいろ

毎日暑い日が続いています。

プレハブの仮設住宅は、ことさら暑いです。
さっきお手洗いに入って、うっかりと鉄骨の柱に触ったら
「あっちっち!!」
郷ひろみの歌を、もう少しで歌いだしそうになりました。やけどするかと思うほどです。

床も壁も暖房が入っているみたいに暖かいです。
これでも天井に換気扇を入れてもらったのですけどねぇ・・・・・。

それはさておき、書こう書こうと思いながら書いていなかった、仮設で行われたイベントをご紹介したいと思います。

まず最初に行われたのはグリーンカーテン作りです。
「グリーンカーテンがほしいねぇ」
と言う声に、JAさんが応えてくださいました。

ゴーヤと朝顔の苗、プランター、用土にネットまで用意して下さいました。
グリーンカーテン作戦の日は平日だったので、お仕事に出かけている人も多かったのですが、留守番部隊総出で、プランターに苗を植え、ネットを張りました。

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朝顔通り。ゴーや通り。二つの通りが完成。

「そこは違う」
「ここはこうしたほうがいい」
皆で大騒ぎしながらの作業は楽しかったです。

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それからハワイ在住の方の焼きそばの炊き出しがありました。この方は避難所にいるときから4回も炊き出しに来てくださっています。前の晩は、区長さんのところに宿泊。初めて仮設に泊まったとご機嫌でした。

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それから、タウンマーケットが開かれました。

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朝顔通りにいろいろなお店がオープンしました。各店長さんは子供たち。
「ありがとうごじゃいましゅ」
小さな店長さんに呂律の回らないお礼を言われると、ついついほほが緩みます。
この売り上げは、次回開催の費用になるそうです。

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そしてこの前は、曹洞宗の青年部のお坊さんがカキ氷屋さんを開店しました。
暑かったので大勢の人がおいしそうにカキ氷を食べていました。

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また集会場で、お茶を飲みながら皆の話を聞いてくださいました。

時々、腕章をして人たちが
「何か困り事はありませんか?心配事はありませんか?何でも話してください」
と訪ねてきます。

しかし、初対面で、まして突然訪ねてきた人に
「実は・・・・・・・」
と悩みを打ち明ける人は皆無だと思います。

若いお坊さんたちは、落語を披露したり、おいしいお茶をご馳走したりしながら、四方山話をし、その中から悩みを聞いていました。

ただ、黙って聞いてもらうだけでも、人の心は晴れるものです。
若いお坊さんたちはまた来てくださるとか。

回を重ねるごとに、きっと住民の心も開放されて、奥深くに隠されている悲しみや苦しみを吐き出すことができることでしょう。

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3月11日以来、眠れない人、地震でないのに体が揺れているようで落ち着かない人、テレビを見るのが怖い人など、少なからず心に傷が残っている人がいます。大人さえこんな状態ですから、子供はどんなにか傷ついていることでしょう。

心の傷を自分では気がつかないことも多いし、気がついてもそれを表に出せない人がほとんどです。

せめて仮設住宅内でいろいろなイベントをして、みんなで楽しみ、みんなで笑い、少しでも前に進む元気を取り戻せたらいいなぁとおもっています。

by asahikanokami | 2011-07-14 16:41 | 避難生活

鉄キチ

毎回、被災した話ばかりなので、今日は息子のことを書こうと思います。

私の父は国鉄マンでした。それも筋金入りの国鉄マンでした。
朝、出勤するときには、決まった時刻に玄関を出て、最初の角を曲がるのも、駅の改札を通るのも同時刻という有様です。

そんな父に可愛がられ、そんなおじいちゃんが大好きだった息子。

買ってもらうおもちゃがすべて列車ということもあり、物心つくころから鉄道キチガイ、鉄キチだったのです。

絵本も当然、乗り物の絵本以外は見ません。洋服も乗り物が書いてある服ばかり欲しがりました。

そんなわけで、誕生日やクリスマスのプレゼントはもちろん、親類などのお土産もすべてプラレールという列車のおもちゃでした。

デパートに連れて行けば
「ぼく、ここにいるからママはお買い物をしてきていいよ」
と、一日中おもちゃ売り場から離れない子でした。

そんな息子がある日、某デパートのおもちゃ売り場で恐ろしいことを言いました。
「ぼく、ここにあるもの全部持ってる!」
なんと、そこの売り場に並んでいるプラレールをすべて持っているというのです。

我が家の百畳の大広間。そこにずらりとレールが並べられ、途中にはトンネルやら鉄橋やら踏切が置かれ、たくさんの列車、特急や新幹線や貨物列車が走る様は壮観でした。

そんな息子。保育園に通う頃から読みだしたのが「鉄道ジャーナル」です。外で鬼ごっこしたり怪獣ごっこなどせず、写真を飽きずに眺めているようなおとなしい子でした。

ある日、保育園の全員で新地駅を見学に行きました。
当時は無人駅ではなく駅長さんがいました。駅長さんがいろいろ説明してくれた後
「質問ある人は?」
というと、息子が元気よく手を挙げて
「どうして同じ日本なのに交流のところと直流のところとがあるんですか?」
と聞いて、駅長さんが固まりました。

続けて
「直流と交流とでは碍子の形が違うのはなぜですか」
と聞き、ますます駅長さんは固まりました。

「ボクは何でもよく知っているねぇ。大きくなったら新地駅の駅長さんになってね」
と駅長さんに言われた息子。大きな声で
「僕は特急も止まらないような小さい駅の駅長にはなりません。新幹線が止まる仙台駅の駅長になります」
と答えて、駅長さんの顔から笑顔が消えました。

こんなに大人顔負けの知識があるのだから、大きくなったらさぞ・・・・という親の期待を裏切って、普通の息子になりました。

しかし、栴檀は双葉よりといいます。今でも鉄道が好きでNゲージという模型をコツコツと作っています。
仮設から出て、新しく家を建てるときには、壁に線路を取り付けて部屋中線路だらけにして、列車を走らせるのだとか。

息子は鉄っちゃん。父親は哲っちゃんです。

by asahikanokami | 2011-07-11 17:23 | 我が家の家族と親類

奇跡の本「新地の昔話」

心から待ち望んでいた本が届きました。
「新地の昔話」。この本は昨年一年かけて、新地町に伝わる昔話の中から30話を選んで書き下ろしたものです。

冊子にしたいという願いを新地語ってみっ会のメンバーが後押ししてくれました。私の書いたへんてこりんな新地弁を直してくれ、一緒に昔話の舞台になった場所に写真撮影にも行きました。そして全員がお金を出して自費出版しようと話が決まりました。

友人の新日本文芸協会 きれい・ねっとの山内尚子さんに本を作ってもらうことにして、データを送ったのが震災の数日前でした。私のパソコンも、もちろんすべてのデータも流されましたが、奇跡的に尚ちゃんに送ったデータが残りました。

そして、なんと!尚ちゃんと印刷屋さんのご両親が、私たちに200冊の本を作ってプレゼントしてくださいました。

この本の扉には尚ちゃんから本を読んでくださる人へのメッセージが挟まれています。その中にすべてのことが書かれていますので、ここにコピーさせていただきます。



『新地の昔話』をお読みくださる皆さまへ

この冊子を手にとってくださり、まことにありがとうございます。 編集・製作をさせていただきました 新日本文芸協会の山内尚子です。

お気づきになられた方もいらっしゃるかもしれませんが、 本書には通常なら必ずある、まえがきやあとがきがありません。 これには理由があります。

皆さまは、この昔話の舞台、 福島県新地町という場所をご存知でしょうか。
東北大震災の直後、計測の取れた数少ない場所として 津波の高さが何度も報道された、福島原発にも近い場所です。
その新地町という港町に、私の大切な友人で本書の文責をつとめられた、 村上美保子さんがいらっしゃいます。 新日本文芸協会設立当初から、俳句の会などを通じてご一緒してきました。

昨年には、百二十年以上の歴史を持ち、 彼女が女将をつとめられている旅館朝日館にて、 朗読会を開催させていただくこともできました。 幸い美保子さんはご無事でしたが、彼女が大切に守り営んできた朝日館は……というよりも新地町のすべてが、 津波で流されてしまいました。

実はその美保子さんから震災のすこし前に、 この地方の口伝えの民話の原稿とその舞台となった神社なのお写真が弊社に届いていました。
納期まではまだ時間があったのに、 お互いになんとなく気になって、届けていただいたのです。
原稿は震災後にはもう私の手元にしかなくなり、 またお写真にある景色も多くが失われてしまいました。
とても、まえがきやあとがきを書けるような状況ではなくなってしまったのです。

原稿を前にした私たちは 「なんとか仕上げて、新地の皆さまにお届けしよう」その一心で、 時には涙を流しながら印刷までこぎつけました。
それが本書です。

校正をしながら感じたのは、遠くに住む私たちは知らないけれど、 新地では当たり前に伝わってきたお話、 その土地の自然、そして方言の持つリズムでした。 方言のリズムはその土地にぴったりの呼吸のリズムであり、 それを血肉として育ってきた人々のルーツを見つめさせてくれます。

遠い昔、人々は田畑を耕し魚を追い、 お天道様に感謝し雨乞いをして、蛇をおそれきつねに化かされ、 自然とともに泣いたり笑ったり、 しっかりと自らの力で立ちながら、皆でつながり生きてきた……。

今、人はとかく遠くを、大きなものを見つめ、欲しがちだけれど、 ほんとうに大切なものはなんなのか、ほんとうの幸せとはなんなのか。
昔話を語り継ぎたい「新地語ってみっ会」の皆さまの真摯な想いとともに、 期せずして届いたこの原稿が私たちに教えてくれるのは、 私たちの本来の生き方、その原点なのかもしれません。

私たち新日本文芸協会では、これまで「みんなが主人公」となって表現し、 「今ここ」を楽しくご一緒しましょうとお伝えしてきました。
遠くとも同じ空の下つながっている被災された方はもちろん、 必要な皆様のもとへ、ほんとうの想いのこもった言葉の光が届くよう、 今こそ、これまでと変わることなく、 私たちにできることをしっかりさせていただけたらと思っています。

この冊子が新地町をはじめ、 必要としてくださる皆さまのもとへと届きますこと、 そしてお役に立ちますようにと、心からお祈りいたします。

      感謝をこめて。

          平成二十三年四月

                       日本文芸協会きれい・ねっと代表 山内 尚子

※なお、この冊子の収益は、 新地語ってみっ会の皆さまとご相談のうえ、 全額を新地町のお役に立てていただけるようお届けいたします。

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先日、語ってみっ会のメンバーが集まりました。メンバーの中には震災以来、体調を崩している人もいて、集まったのは9名中6名でした。

本を手にして、メンバーの喜びはお見せしたいほどでした。そしてこの本から大きな力を頂き、休止していた活動を再開することになりました。

この本を手に新地の皆さんに昔話を聞いていただくことで、皆さんが少しでも元気になったら嬉しいです。またメンバーも語ることで元気になって行きたいと思います。

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本は一冊500円(送料別途80円)。きれい・ねっとと語ってみっ会のメンバーのところで売っています。我が家にも何冊かありますのでご希望の方はtestu@cocoa.ocn.ne.jp(村上美保子)までご連絡ください。

きれい・ねっと http://kilei.ocnk.net/

by asahikanokami | 2011-07-05 16:08 | 避難生活