朝日館の女将のてんてこ舞日記


東日本大震災で被災した小さな旅館の女将の日々
by asahikanokami
カテゴリ
以前の記事
お気に入りブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧

<   2011年 08月 ( 11 )   > この月の画像一覧


更地になって

震災で建物が残ったのは、我が家と漁協と下水処理施設と海華さんだけでした。

我が家は看板がそっくり残ったこともあり、格好の被写体として多くの方がカメラを向けてくださいました。
またご近所さんたちは、自分の家を探すのに
「オラ家は朝日館から南に何軒目だから・・・・・」
と探す時の目印にしたそうです。

その朝日館。

日に日に傾いてきて倒壊の危険が出てきました。
おまけに中に堆く残っている瓦礫から、なにやら臭いがするというので
「もしかしたら行方不明の人がいるかもしれない」
という情報が・・・・・・・・。

「朝日館さん、建物の中を捜索したいのですが、倒壊の危険があるので取り壊しても良いでしょうか」
という町役場からの申し出に、二つ返事でお願いしたのでした。

毎日、我が家を見に行っていたのですが、行方不明者がいるかもしれないといわれると、あまり気持ちの良いものではなく、自然に足が遠のくようになりました。

鉄工所の方が、毎日、毎日、解体をしてくれました。時々、宝物(?)が出てきて、その都度連絡が来ておっとっとが確認に出かけていきました。

f0061402_2235019.jpg


大抵は、写真だったり、息子の収集していたレコードだったり、砂だらけの衣類だったり。そのほとんどがそのまま捨てざるを得ない品物ばかりでした。

我が家には、釣師浜郵便局の払い下げの、古い金庫、それも縦横一メートルもあろうかという大きな金庫がありました。厚い鉄のドアは、二枚の鉄板の間に砂が入っていて、それはそれは重い金庫でした。

家の瓦礫の中に、きっとあの金庫はあるだろうと思っていました。鉄工所の方にも金庫のことを伝えておきました。

しかし、金庫はありませんでした。金庫の上の棚に置いた書類などは見つかったのに、あの重い金庫は跡形もなく消えていました。

息子が
「お母さん。あの金庫を持って行った人はがっかりしたでしょうね。旅館の金庫で、しかもあんなに大きな金庫だからさぞかし大金が入っていると思っただろうなぁ。きっと昼のうちに目星をつけて、暗くなってからクレーン付きのトラックで運んで、こっそり開けたんだろうなぁ。一円のお金も入ってなくてがっかりしたよね」
と大笑いしました。

そうです。我が家の金庫にはお金は入ってなくて、入っていたのは大事な書類だけだったからです。保健所の許可書。消防署の検査済み書。保険の証書などなど。

お金の入った壺も、金塊も出てこないまま(元から無いので当たり前と言ったら当たり前ですが)瓦礫は撤去され、我が家は更地になりました。

建物が残っているうちは、寂しさはあったけれど、まぁそれでも我慢できました。
しかし更地になったら・・・・・その寂しさは、何と言ったらよいのでしょう。
あたりに誰もいないのを確かめてから号泣してきました。

私は、子供のころから転勤族で、あまり土地や家に愛着がない人間です。
しかし、ここで生まれてここで育った、おっとっとと息子。その寂しさはいかばかりか・・・・。この私でさえ、号泣したのですから、おっとっとと息子の気持ちは察するに余りあります。

更地を歩くおっとっとの後姿。その背中から、あの人には似合わない寂寥感が漂っていると思うのは私だけでしょうか。

f0061402_22155964.jpg


庭は地盤沈下しています。ちょうどこのあたりに娘の桜が植えてありました。

f0061402_22171015.jpg


雑草のたくましさ。塩害にも負けぬ強い生命力に脱帽。

f0061402_22184788.jpg


瓦礫が片付いてどこまでも見える風景が悲しい。

f0061402_22201970.jpg


by asahikanokami | 2011-08-24 22:20 | 避難生活 | Comments(20)

平等ということ

先日、おはぎつくりの時、足りない材料をもらうために、町役場の支援物資の倉庫におっとっとを派遣しました。

ずうずうしく物をねだるのは、あっ、もとい!!お願いして物をいただくのはおっとっとがとても上手なのです。
そしたら、お砂糖やもち米などの他に、賞味期限が切れたカップライス(お湯を入れるとおじやになる)をどっさりもらってきました。

賞味期限は6月で切れていますが、カップの中は乾燥したお米と乾燥した野菜入りの粉末スープ。
中身がすべて乾燥しているのだから、賞味期限は切れていても消費期限はもっと長いはずです。

ためしに食べてみました。
あら!おいしいじゃないの!!なかなかの味です。

一日、おなかの様子を観察しました。しかし、おなかはゴロゴロもせず、壊れもせず、快調でした。

そこで、ご近所さんを集めて、賞味期限を気にしない人たちに持って行ってもらいました。
みんな喜んで持って行ってくれましたので、無駄にならずに済みました。

なぜ、せっかくいただいた支援物資を、賞味期限内に配らないのでしょうか?

それは平等に配ることができないからなそうです。

被災者全員に配るだけの個数がないものは配れないんですって。
配る人と配らない人が出ると、平等でないからなんですって。

それでまだまだ、支援物資の倉庫には半端な数のいろいろなものが残っていて、そのために倉庫になっている場所は支援物資に占領されていて使用できず、又、支援物資も配られることなく眠っているらしいのです。

この前、たまたま賞味期限の切れた物が配られたことがあったそうです。その時に、町役場に殺到した苦情に対応するのが大変だったとか。

町役場はすでに通常業務に戻っています。それと並行して支援や復興の業務をこなしています。
二倍の仕事を抱えて、職員の皆さんは奮闘しています。たまたま、確認をしなかったのだと思います。

忙しいから確認を怠ったというのは言い訳にもなりませんが、それでも窓口まで来て怒鳴られたらたまりません。

また、平等に配ったつもりでも支援物資を貰った、貰わないという苦情も多かったと聞きます。
それで、数が揃わない支援物資はスムーズに配られないで残っているのかなと推察します。

皆さんの善意を無駄にしたくないです。第一、品物がもったいないです。
何か良い方法はないのかしらと思っています。

たとえば・・・・・・そうですねぇ・・・・フリーマーケットみたいにずらりと並べて、持っていく数を限定して、欲しい物を持って行ってもらうとか。

仮設住宅に引っ越してから、生活もそれぞれの家庭によって個性が出てきています。
避難所と違い、欲しい物も個性が出てきて、そえぞれの家庭によって違うはずです。

平等にというと、なかなか行動できませんが、それぞれになら何とかできるのではと思っています。

また、期限切れの物を探し出して貰ってきて、欲しい人に配りたい思っています。

(避難所にいるときに、このカップライスがあったら、お年寄りがどんなにか喜んだかと思います。私たちもお料理する手間が省けて少し楽だったのになぁ・・・・・・・なんて、ちょっと愚痴が出てしまいました)

by asahikanokami | 2011-08-24 12:00 | 避難生活 | Comments(8)

朗読会「心の宝物」

書きたいと思いながら、なかなか書けないでいました。
先日、東京で開催された朗読会「心の宝物」で被災した時のお話をさせていただきました。

主催者の山内尚子さんは「新地の昔話」を作ってくださった方です。

新地の昔話の原稿を送った時にお手紙に
「今年こそ尚ちゃんに会いに上京するからね」
と書きました。

魅力的な内容の朗読会のご案内を頂くのですが、出席したいと思っても、我が家は、週末は書き入れ時なこともあってなかなか出席できませんでした。

時には地団太を踏んで悔しがっていた私。
それが被災したことですんなりと出席できる状況になったのです。

お誘いを受けた時、即座に出席を承諾しました。
こんなにも早くその夢が実現するとは思ってもいませんでした。

3月11日、私の心配は、尚ちゃんに送った新地の昔話の原稿の事でした。

「私の生存が不明なので、尚ちゃんはきっと本を作ろうかどうしようか迷っているだろうな。早く元気なことを知らせて安心してもらわなきゃ」
と思いました。

なかなか電話がつながらず、やっとつながった時の私の第一声は
「尚ちゃん!私は無事だから本を作ってね!!」
でした。

すると受話器の向こうから泣き声で
「みほりんさん・・・・良かった・・・・・・。無事だったんですね・・・・・・。良かった・・・・。本はもう作っていますよ」
というお返事でした。

尚ちゃんは、私の無事を祈りつつ、無事であることを信じて本の制作をしてくださっていたのです。
そして前書きも後書きもない「新地の昔話」の本が出来上がりました。

私はどうしても尚ちゃんに直接会ってお礼を言いたかったのです。
何よりも尚ちゃんに会いたかったのです。
方向音痴の私は、迷いながらも会場に行き、尚ちゃんと涙の再会をしました。

そして会場には、私がメキキの会に入会していた時の仲間が大勢来てくれていました。またブログで仲良くなった人や、新日本文芸を通してあったことはないけど仲良くなった方も来てくださいました。

改めて思ったのです。

一人じゃないって!!
大勢の人が応援しているって!!

きっと皆さんお忙しかったのに、時間をやりくりして来てくださったのでしょう。ありがたかったです。
お一人お一人の笑顔に元気をもらい、皆とハグをし、友達っていいなぁと強く思いました。

朝日館はなくなったけど、こんない多くの人が覚えていてくださって、思い出にしてくださっていると思うと、勇気がわきます。

そして、皆さんから頂いたエネルギーを、これから仮設の人たちにおすそ分けしていきたいと思っています。

会場で会った皆さん。そして全世界で応援してくださっているみなさん。
本当にありがとうございます。

(カメラを持って行ったのに、あまりに楽しくて写真を撮るのを忘れて一枚も撮ってなかった・・・・・・・・失敗!)

by asahikanokami | 2011-08-22 12:09 | 避難生活 | Comments(5)

送り火

16日は送り火を焚きました。

送り火の煙に乗って、ご先祖様がお帰りになります。

f0061402_21455252.jpg


いつも思うのですが、送り火を焚いて、その火がだんだん小さくなっていくときの寂しさは、何に例えたらいいのでしょう。ちょうどこの頃から夏の風が、ほんの少し秋の気配がしてくるからでしょうか。

毎年、こんな私でさえセンチメンタルになります。

昨年まではちょうどこの頃まで夏の海水浴のお客様で忙しく、バタバタと走り回っているうちに夏が終わるという具合でした。

お盆が終わると忙しさも一段落。ちょっと暇になるのがとても嫌でした。お客様が大好きだった私。仕事が大好きでした。忙しくバタバタしている時が幸せでした。

送り火がだんだん消えていくのを見ながら、今まで経験したことのないお盆を思いました。

暇なお盆なんて嫌だなと思っていたけど、それはそれでよいお盆だったなぁ。
ゆっくりとお墓詣りをして、お盆の精進料理を作って、実家や親類のお墓参りもできて・・・・・・・。

お墓も見つかり、お地蔵さんも見つかり、みんなで迎え火や送り火を焚き、ぼたもちも作ったし、仮設の皆さんのコミュニケーションも良く、団結も強まり、暇なお盆はそれなりに、なかなか良いお盆でした。

f0061402_21465247.jpg

(花火の煙です。皆で花火をしました)

by asahikanokami | 2011-08-21 21:46 | 避難生活 | Comments(4)

一千個のぼたもち

以前、お汁粉の思いでという日記を書きました。

そしたらこのブログを読んでくださった、岐阜県の安福さんという方が、小豆とお砂糖をどっさりと送ってくださいました。お塩やお線香まで入っていて、そのお気持ちがありがたくて泣きました。

ご近所の奥さんたちに相談したら
「ほんでは、14日のぼたもぢにすっぺ」
と相談がまとまりました。

このあたりでは、13日にはお団子、14日にはぼたもち、15日にはうどん、そして16日にはまたお団子をお供えします。

狭い仮設の台所。ぼたもちを作るのは大変です。
また一人暮らしのお年寄りもいますし、今回の津波で奥様が亡くなった人もいます。そういうご家庭ではぼたもちなど作れないことでしょう。

町役場にお願いしたら救援物資の中からもち米を提供していただけることになりました。

13日の夕方から保健センターの調理室を借りて準備が始まりました。
14日は朝5時からもち米を焚き、小豆を煮てあんこを作りました。

最初は、欲しい人に集会場まで取りに来てもらう予定でしたが、何せこの猛暑。食中毒が心配です。
急きょ各戸に配ることになりました。小川公園の仮設住宅だけでなく、ほかの仮設住宅にいる釣師地区の人や、アパートなどを借りている人にも配ろうということになりました。

お父さん達が配達を担当してくれると言ってくれました。

集まったお母さん34人。

ご飯を炊いたり、あんこを作る班と、あんこもちを丸める班と、パックに詰める班に分かれて気際のよう作業が続きます。

f0061402_12215460.jpg


f0061402_12225490.jpg


800個作る予定だったのが、あんこもご飯も余ったのでそのまま作業を続行。一千個のぼたもちが出来上がりました。

f0061402_12234696.jpg


配るのはパック入りのぼたもち。残りはあんこが足りない分はゴマを付けて三個づつ入れて、これは配達係のお父さんや、今日手伝ったお母さんのお土産と、お寺さんなどに配る分にしました。

f0061402_12244020.jpg


11時に完成予定が、手際の良いお母さんばかり集まったので10時に出来上がり、みんなでスイカをいただきましたました。

f0061402_12255261.jpg


わいわいと楽しく作業して最後は記念写真。

f0061402_1227239.jpg


思えば3か月前まで、ここでこのメンバーと一緒に暮し、寝起きを共にしていたのです。この調理室で毎日150人分の食事を用意していました。

がらんとした保健センター。この狭いところにぎっしりと150人が詰まって生活していたのかと思うと感慨がわきます。

f0061402_1227513.jpg


みんな、よく頑張ったと思います。辛い時もあったけど、楽しい時が数倍あったからがんばれたのかなぁ。

by asahikanokami | 2011-08-18 12:28 | 避難生活 | Comments(8)

迎え盆

13日は迎え盆です。
いつもなら、自宅にお盆の祭壇を飾り、夕方にちょうちんを灯してお墓までお盆様をお迎えに行きます。

夕方、自宅前に松明を焚き、迎え火にします。

しかし今年は、新盆を迎える人が多いのに、狭い仮設住宅では祭壇も飾れません。
また、3月11日から時計が止まってしまっている方もいます。とてもお盆の準備などできないでしょう。

私が娘の新盆の時もそうでした。お盆の準備をと思うのですが、何もしたくありませんでした。娘の死を受け入れることなど出来なかったのです。頭では理解していても、心が拒否するのです。娘の死を認めたくなかった。

あの時のことを思うと、新盆を迎える方の気持ちがとてもよくわかり、何かしないではいられませんでした。
幸い、仮設の自治会長さんの奥さんや、我が家のご近所の奥さんたちも同じ気持ちだったようで
「集会場に合同で祭壇を作っぺ。みんなでお盆を迎えるべ」
と相談がまとまりました。

それぞれのご主人たちや区長さんが協力してくださって、集会場に立派な祭壇が出来上がりました。

自宅からお位牌を持ち出すのはいやだという方もいたので、無理強いはせず、希望者だけということにして祭壇に遺影と位牌を飾ることにしました。

新盆のお家だけでなく、どこのお家のお位牌も遺影も並べていいということにしました。集会場に行くと、釣師地区全部のお参りができるのです。

もちろん、避難するときに持ち出した我が家のお位牌4つ(位牌の単位はなんていうのかしら???)と舅と姑二人並んだ写真と娘の写真を飾りました。

我が家のお位牌を並べた時には、少ししか並んでいなかったので、はたしてどのぐらいのお位牌が並ぶのかちょっと心配でした。言い出しっぺの私としては、余計なお世話だったかなと思ったのです。

しかし夕方になって集会場に行ってみたら、祭壇に並びきれないほどのお位牌と遺影やお供物が並んでいて、ちょっとホッとしました。

f0061402_223069.jpg


龍昌寺の方丈さんから
「読経をさせてください。こちらからお願いして伺うのですからお布施など何もいりませんので、ご心配なく」
というお申し出があり、親子三人できてくださいました。

f0061402_2235922.jpg


読経が始まると集会場はぎっしりと人が集まり、中に入れない人が外にまであふれて、みんなで地域の全部のご先祖供養をしました。

f0061402_2244656.jpg


龍昌寺さんの息子さんお二人は、本山にあがっているので、今回は運良く三人が揃って来てくださいましたが、もしかしたら三人が揃うのは今回が初めてで最後かもしれないそうです。

三人で揃ってあげてくださったお経は、さすがに親子だけあって、声が揃っていて、聞いているとありがたくて涙が出ました。多くの方が泣いていました。

f0061402_2253487.jpg


いろいろな思いを抱き、いろいろな気持ちで迎えたお盆。

読経の後は、皆で迎え火を焚き、花火をし、スイカを切って食べました。

f0061402_2271567.jpg

(写真の丸いのは、お月様ではありません。たまゆらが写っていました。ご先祖様かな?笑 )

我が家では迎え火や送り火を焚くのは、このあたりで家督息子と呼ばれる長男の役目。今年も息子が焚きました。

f0061402_2292863.jpg


毎年、お盆を迎えてきたけれど、今年ぐらい心に響いて、悲しくて、それでも暖かいお盆を迎えたことはなかったような気がします。子供と一緒に、大人も子供に帰って花火をして、スイカを食べて大騒ぎして、大喜びしました。老いも若きも一緒になってみんな楽しそうでした。

迎え火に導かれて我が家に戻ってきたご先祖様も、ここでみんなで力を合わせて楽しく暮らしている様子を見て、きっと安心していることでしょう。

by asahikanokami | 2011-08-17 22:11 | 避難生活 | Comments(4)

流されたお墓

津波の後、我が家の墓地に行ってみましたが、一面の砂浜になっていて、お墓がどこに埋まっているのか、あるいはどこまで流されていったのか、わかりませんでした。

倒れているけどそっくり残っているお墓もあって、どこか探せば我が家のお墓も出てきそうで、春のお彼岸の時にもずいぶんと探し回りました。
けれど我が家のお墓は見つかりませんでした。

お寺さんから連絡が入り、釣師北墓地のお墓が見つかり、仮安置してあるのでお参りにおいでくださいとのこと。お花とお線香を持って菩提寺の龍昌寺に行ってきました。

お墓は探し出され、掘り起こされ、ここまで運ばれて並べられていました。驚くことに、一軒のおうちのお墓以外は全檀家のお墓が見つかったそうです。

f0061402_16334629.jpg


あの砂浜からよく見つけていただいたと思うと涙が出ました。

f0061402_16362739.jpg


その他の墓石は、とりあえず山に積まれていました。ご先祖の古いお墓はきっとこの中にあると思います。

f0061402_16371368.jpg


そしてもう一つ、まさいっつぁんのお地蔵さんを見つけてきました。

f0061402_16432898.jpg

その昔、おっとっとの祖父母は、結婚して3年たっても子供ができませんでした。

ある日、山で一体のお地蔵さんを見つけました。そのお地蔵さんは首がありませんでした。
大事に背負って持ち帰り、安置して
「子宝をお授けください。もし子供ができたらお地蔵さんの首をお付けいたします」
と、願をかけました。

そして生まれたのがまさいっつぁんです。

新しく(と言っても94年も前のお話ですが)つけた首は、又無くなってしまいましたが、それは紛れもなくまさいっつぁんのお地蔵様でした。

お体についた砂を落とし
「今度、お墓を移す時には、新しく首を付けて一緒にお祭りいたします。いつも守ってくださってありがとうございます」
と手を合わせてきました。

龍昌寺さんでは、今回の津波で墓地を流された人全員に、無償で新しい墓地をくださいました。
また、被災して亡くなった人の告別式や新盆のお布施と戒名代はいらないと言ってくださっています。
本当にありがたいことです。

今回の大地震の時に、周りの物がすべて倒れたり落ちたりしたのに、ご本尊さまだけは動かなかったそうです。

そんなお話を聞くと、やはり仏様やご先祖様が守っていてくださると思ってしまいます。
お墓もお地蔵様も見つかったことで、何か大きな力をいただいて、また一歩、足が前に出たような気がします。

(写真がどうしても横にしか表示されないので、お顔を横にしてご覧くださいね)

by asahikanokami | 2011-08-14 16:23 | 避難生活 | Comments(3)

ぶんずのぼんこ

ぶんずのぼんこという、かっちゃんのブログで、私のことを漫画にしてくれています。実物よりもちょっと美人に描いてくれました。

かっちゃんの「ぶんずのぼんこ」という意味は、ぶんずは紫色、ぼんこは丸いものという福島弁です。
かっちゃんは、福島弁で漫画を描いています。

避難所にいたときに、かっちゃんの本を廻し読みして、みんなでほのぼの漫画に癒されました。
私は、安易に癒されるという言葉を使うのが好きではないのですが、あの時には心の底から癒されたと思いました。

東京のことは後でまたゆっくりとご報告しますが、その前に、どうぞかっちゃんのブログを見てくださいね。

by asahikanokami | 2011-08-11 23:13 | 避難生活 | Comments(4)

あれから5か月

いろいろ書きたいことがあるのに、暑くて頭が動きません。

おまけに、新盆を迎えるにあたり、行方不明の方の告別式が目白押しで、おっとっとは黒い服でお出かけが多くなりました。

そうです。きょうで5か月経ちました。ずいぶん昔のようであり、つい昨日のことのようであり、私の頭の中も混乱しています。

まだ行方不明の方は4700人もいるそうです。そのご家族の思いはどんなにか辛いことでしょう。

先日の告別式。行方不明の奥様のことを
「遺体が見つからないうちは、どこかに生きているとかすかな希望を抱いていました。しかし新盆を迎えるにあたり、供養してやるのも愛情かなと告別式をする踏ん切りをつけました。しかし、納骨しようにも骨の一片、遺髪の一本もありません」
とお話しされたそうです。

そして、遺骨があっても墓地が被災して納骨もできません。墓石は流され、砂に埋もれてしまいました。そして、今はそこが瓦礫置き場になっています。

瓦礫置き場にする前に、墓石を捜し掘りあげてくださったそうです。いくつかの墓石が見つかりました。中には全く無傷で見つかったお墓もあるそうです。

菩提寺の龍昌寺さんが、墓地を流された人全員に、無償で新しい場所を提供してくださいました。
我が家のお墓も、被災した釣師北墓地から、新しく龍昌寺境内の墓地に移ります。

お墓を建てなきゃと心配したら、方丈さんが
「あわてることはありませんよ。まずはご自宅を建てなさい。それからゆっくりとお墓を建てればいいのです。お墓を建てないと怒るご先祖様は一人もいません。ご先祖様はすべからく子孫の幸せを望んでいるのですから」
とおっしゃってくださり、ほっと安心しました。

暑くて、後で、後でと思っているうちに今日になってしまいましたが、近いうちに自宅や雑草の緑で埋まった被災田圃の写真を撮ってきてご紹介したいと思います。

そうそう、忘れないうちにここに書いておきます。

今日の新聞(河北新報)に「てんでんこ」について解説が載っていました。

「津波てんでんこ」という言葉で紹介された「てんでんこ」。
てんでんばらばらにという意味です。津波の時は、それぞれがまず自分のことだけを考えていち早く逃げ、高台でお互いを確認すること、という昔からの津波の教え。

その「てんでんこ」の語源は、「点点」ではなく「手に手に」なそうです。
その後に「ばらばら」と続けないで、「馬っこ」「花っこ」などと愛する物や愛らしいものにつける愛称の「こ」を付けた、東北人の言葉に対する感性に優しさを感じます。

あの震災から五か月。思いはてんでんこ。そして一人一人には、それぞれてんでんこのドラマがありました。
これから先も、てんでんこに、だけどその後にはけっして「ばらばら」と続けず、手に手を取って頑張っていこうと思います。

明日から、あ・・・・今晩からだった・・・・・・・新盆を迎える人たちのために、仮設でできることをして応援していきたいと思っています。昨夜は「お父ちゃん会議」そして、今夜は「お母ちゃん会議」です。なぜ合同でしないかというと、それぞれ作業が違うからです。

小川公園仮設住宅では、12日には集会場に祭壇を作り、13日は迎え火を焚きます。14日はおはぎを800個作って配ります。15日はうどんを作って供えます。16日は送り火を焚きます。

その合間に、我が家のお墓参りや実家や親類ののお墓詣り、新盆のおうちのお参りなど、忙しいけれど充実した日が続くと思います。

東京のご報告や観海堂の石碑のことなどはお盆明けに!!

by asahikanokami | 2011-08-11 16:16 | 避難生活 | Comments(3)

朝顔館

ニューヨークの浅野さんから届いた朝顔の種がこんなに大きくなって満開です。

f0061402_16424468.jpg


最初は二つのプランターにまいた種が、どんどん大きく育ち、狭くなったので4個のプランターに広げ、それも狭くなったので最終的には8個のプランターになりました。

f0061402_16435441.jpg


仮設住宅では地植えは禁止なそうです。一応ここの居住期間は2年ということになっています。
町役場では表向きは2年だけれど、土地を捜して家を建てるには3年から4年はかかるだろうと思っているらしいです。だから最長で4年ぐらいは住んでいられそうです。

でも絶対に引っ越しをしなければなりません。ここは元はサッカー場だったところ。いずれはサッカー場に戻さなければなりません。ほかの仮設住宅の中には、個人の所有地をご厚意で借りているところもあります。

いずれは自立して出ていかなければならないのです。
その時にお花や樹木を置いて行かれると困るので、植物は全部プランター植えです。

我が家は角部屋なので、南と東に朝顔を置きました。
ほかのお宅でも、ゴーヤのほかに朝顔を植えているところがありますが、私の家が一番早く植えたせいか、その成長の良さは仮設で一番なのが自慢です。

f0061402_1645445.jpg


f0061402_16464350.jpg


毎朝、ご近所の奥さんたちが集まってきて、朝顔を見ながら井戸端会議をします。
そしたら、お向かいのご主人が、朝顔観賞用のベンチを作ってくださいました。

f0061402_17592179.jpg


井戸端会議には、おっとっとも窓から顔を出して参加します(おしゃべりなおっとっとは男のおばさんと呼ばれてます)違和感なく、おばさんたちのおしゃべりに参加しているおっとっとです。

f0061402_1843577.jpg


それぞれのお家で、それぞれ育てているお花。毎日散歩の途中に眺めて歩くのは楽しいです。

f0061402_16475215.jpg


f0061402_16484627.jpg


f0061402_16493229.jpg


そして、一番朝顔が育っているので、遠くからでも目立つ我が家は「朝日館」ならぬ「朝顔館」と呼ばれています。

f0061402_16503020.jpg


浅野さん!!
こんなに大きく育って、毎日、いっぱい花を咲かせて、私たちを元気にしてくれていますよ。
ありがとうございました。

(我が家の玄関に飾ってあるのはキルト作家の染谷和枝さんの作品です。とてもきれいなタペストリーなので、皆さんにも見ていただこうと、玄関に飾りました。多くの方が足を止めて見ていきます)

f0061402_183177.jpg


by asahikanokami | 2011-08-03 16:53 | 避難生活 | Comments(9)