朝日館の女将のてんてこ舞日記


東日本大震災で被災した小さな旅館の女将の日々
by asahikanokami
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<   2011年 09月 ( 5 )   > この月の画像一覧


珈琲の橘さん

以前、友人のシャンソン歌手の美地ちゃんが、南相馬市に慰問に来てくれたことがありました。

みっちゃんが歌う会場の隅で、とてもよい香りでコーヒーを淹れていたのが橘さんです

良い香りに誘われてコーヒーをいただきました。おいしいこと!!香りも良くて味は深く、酸っぱいコーヒーが苦手な私にはそのほど良い酸味と苦みの虜になってしまったのです。

立て続けに二杯もいただいてしまいました。
橘さんは笑顔でコーヒーを淹れてくださいました。

おいしさは飲んでみればわかります。マイカップを持った避難している方たちがひっきりなしに橘さんの所に訪れていました。

その時にほんの短い時間おしゃべりをしただけなのに、橘さんが新地においでくださいました。仮設でコーヒーを淹れてくださったのです。

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29日に金沢に「橘珈琲店」をオープンする予定なんだそうです。そのお忙しいさなかに、しかも大型台風が通過した後で道路があちこちで寸断されているさなかに、車を飛ばして来てくださいました。

仮設の集会場に良い香りが漂います。その香りは入り口から外に流れて、香りに誘われて何人もの方がコーヒーを飲みに来ました。

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ちょうどJA相馬を通して九州各地からマッサージをする人が来ていました。

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コーヒーの香りと音楽とマッサージ。

体も心もほぐれたのでしょう。
今まで語ることなく心の底にしまっておいた被災体験を、ぽつぽつと話す人がいたりして、聞く人も話す人も涙を流し、お互いに労りあい励ましあう風景が見られました。

話すことも癒しになります。誰かに聞いてもらうことは何よりの癒しだと思います。

みんな笑顔で元気に生活しているけれど、心の奥には何かしら抱えているのだと思いました。

おいしいコーヒーは、人々の心の奥からいろいろなものを引き出す役目をしてくれました。

橘さん。ごちそうさまでした。コーヒーカップやコーヒーをありがとうございました。
お店が繁盛するように祈っています。
そして落ち着いたらまたぜひおいでくださいね。

by asahikanokami | 2011-09-29 12:06 | 避難生活 | Comments(11)

床下浸水

なんだか忙しい日々を送っています。

毎日楽しいことがあって、何にでも首を突っ込みたがる私にとっては、一日一日が楽しくて仕方ありません。
被災者がこんなにも楽しく生活していいんだろうかと思うけれど、良いんでしょうね。良いことにしましょう。

仮設の中はまだ悲しんでいる人も多いのですが、皆で悲しんでいても仕方がありません。
とりあえずは、元気な人、楽しい人が笑顔で生活をして、悲しんでいる人に寄り添い、やがて少しずつ笑顔が増えていけばいいなあと思います。

それはさておき、12日から22日までおっとっとが入院していました。
前立腺肥大という男性特有の病気です。

以前から頻尿でしかも残尿感が残るというので検査を勧めていたのですが、本人はそれほど大事と思っていなかったようです。

7月に尿が出なくなり大慌ててで仙台市立病院に飛び込み、前立腺が人の五倍もあることがわかりました。
あまりに大きいので投薬で少し小さくしてから9月に手術ということになりました。

「俺のは人の五倍あるんだぞ!」
と威張って、仮設の年配のご婦人たちに
「てっちゃん!ほかの場所が五倍なら自慢できるけど前立腺が五倍では自慢になんねぇべぇ」
と笑われていたおっとっとです。

おかげさまで、私も毎日仙台通いの日々でした。

と言っても、毎日、おっとっとの妹が来てくれたので、おっとっとそっちのけで二人でおしゃべりしたり、街に出てランチをしたり、デパートにショッピングに出かけたりと、看護とは名ばかりの仙台通いでした。
まぁよくも飽きもせず、二人で声が枯れるほど、毎日毎日しゃべったり笑ったりできるものです。我ながら呆れてしまいます。

そしておっとっとの退院の日、21日は大型台風でした。
交通網はすべてストップし、道路はあちこちで通行止めというので、結局は一日多く入院となりました。

その晩、猛烈な風雨。
排水の悪い仮設は、床下浸水になりました。玄関は雨漏りしました。
もう少しで床上になりそうで、心配で眠れませんでした。

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普段でもちょっと大雨が降るとあちこちに大きな水たまりができて歩くのが大変です。
排水溝を造ってくださいと町役場にはお願いしているのですが、なかなか実現しません。

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新地高校生が、ボランティアで道の端に溝を掘ってくれましたが、雨が降るたびに泥が流れて溝が浅くなります。
仮設のお父さん達が時々溝を掘りなおしたりしてくれますが、車も通るのでまた元の木阿弥になります。

所詮仮設住宅。数年(町役場からは二年と言われています)しか住まないのだから、それぐらい我慢しなさいというのかもしれません。

部屋の狭さ、収納の少なさ、防音や断熱のことなど、いろいろ不満を言ったらきりがないけれど、もう少し快適に住みたいと思うのは、贅沢かなぁ・・・・・・・・・・・・。被災者は文句を言わずに我慢しなければならないのかもしれませんね。

せめて家の周りに敷いた砂利を舗装にして、排水のU字溝を入れてもらえたならと思います。
お年寄りがシルバーカーを押して歩くのに、砂利道は引っかかって転ぶので危険です。そのために外を歩かない人もいます。

あらま!床下浸水のことを書くつもりが、いつの間にか愚痴になってしまいました。今夜はこのぐらいでやめましょうね。では、みなさま、おやすみなさい。

追記
おっととおは無事に退院しました。経過はすこぶる良好。ほとんど普通の生活していますのでご安心ください。

by asahikanokami | 2011-09-25 22:27 | 避難生活 | Comments(8)

おいしい連休

連休になると仮設に住んでいる人達は、そわそわします。
なぜなら、大抵の連休には炊き出しのボランティアが来てくださるからです。

狭くて暑い仮設の台所。

主婦はお炊事をしなくても良いなんて、本当にうれしいです。お食事を作ってくださる方は大歓迎なのです。特に男性の一人暮らしの方やご年配の方は、首を長くして待っています。

17日、来てくださったのは、かき氷屋さんと焼き鳥屋さん。そしてさんまとイカを売る魚屋さん。

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今年は猛暑が続き、この日も30度を超える真夏日。
かき氷屋さんの所には長い行列ができました。

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子供たちの嬉しそうな顔!!

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そしてやってきたのは、お坊さんのバンド。名古屋から来てくださったのです。
自分たちのオリジナルの曲(お経や仏教の教えを曲にしたもの)を演奏してくれました。

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炎天下。食べながら聞きながらの楽しい時間が過ぎていきます。

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イカやサンマは一匹(イカは一ぱいか・・)50円という格安のお値段。
妹の家の分まで買って届けたのですごく喜ばれました。

次の日、18日は、焼きそばとカレー。

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それからしんちグリーンファームからトマトがどっさり届きました。
トマトは各戸に大きな袋で配られました。

連休の真ん中のこの日は、お出かけの人が多くて、せっかくたくさん作ったカレーが残ってしまいました。
お鍋持参で、残りのカレーとご飯をいっぱいもらいました。これまた妹の家の夕ご飯になりました。

カレーを作ってくださったのは実践女子大の華麗なお嬢さんたちです。焼きそばを作ってくださった方のお名前を聞くのを忘れました。ごめんなさい。

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by asahikanokami | 2011-09-21 16:28 | 避難生活 | Comments(9)

半年経って

今日は震災から半年。
もう半年たったのかという感慨と、あの朝日館での生活がはるか昔だったような気がする寂しさとが、交錯します。

朝からテレビ局はこぞって震災特番を放送しています。

半年たっていろいろなことがわかり、その検証が行われています。

震災の翌朝、白々と明けていく朝の光の中に、黒く浮き上がって見えた朝日館を忘れることができません。
「朝日館かしら?でもちょっと違う気もするし・・・・・」

目を凝らして見ると、一面茶色の瓦礫の中で、傾いてはいるけれどちゃんと建っている朝日館を確認できたとき、身震いするほど嬉しかったです。

あの日、多くの方が亡くなりました。

消防自動車で避難を呼びかけて廻っている時に被災した消防団の方。
防災無線で最後まで町民に避難を呼びかけて亡くなった若い職員の方。
子供たちと一緒に送迎バスに乗っていて流され、濁流に沈むバスの中から子供たちを救い、自分は力尽きて亡くなった幼稚園の先生。

行方不明者を加えると1万6千人の人たち。それぞれに1万6千のドラマがあります。

先日、スーパーで会った友人に
「元気だったの?助かってよかったね。運がよかったんだね」
と言われました。

素直にお礼を言ってきましたが、心に少し引っかかるものがありました。

帰宅して一人、考え込んでしまいました。

それでは、亡くなった人は運が悪いのだろうか?

消防団の人も、若い職員の人も、幼稚園の先生も、その人生を思うとき、運が悪かったなんて思えない。
短い人生だったことは悲しいけれど、運が悪いなんて絶対に言えません。

まだ元気だったころの娘に言われたことがあります。
「私が癌になったことをかわいそうなんて言わないでよ。少なくとも、私はおかあさんに同情されるような人生を歩んでないからね。私は、私の残された人生を、自分が納得できるような生き方をしてるんだから。私の人生はちっともかわいそうじゃないんだから」
と、娘にしては珍しく強い口調で抗議されたことがあります。

亡くなられた方は、まだまだやりたいこともあったでしょうし、心残りも多かったとは思いますが、自分の一生を、運が悪い人生だったとは思っていないと確信します。

それぞれ、多くの方を愛し、多くの方に愛され、精一杯生き抜いた実り多い人生だったと思っていることでしょう。

翻って、こうして命を残された私は、この先の人生で何をしなければならないのか。
日々、それを思います。

還暦を過ぎた私に後どれだけの人生が残っているのかわかりませんが、私も私なりに自分の人生を悔いのないように、大事に生きていこうと思います。

by asahikanokami | 2011-09-11 15:34 | 避難生活 | Comments(19)

製作中

今朝、画家の齋藤研先生に呼ばれて、新地にある齋藤先生のアトリエに行ってきました。

そこで見せてもらったのは被災した朝日館を題材にした百号の油絵。
まだ製作の途中でしたが見せていただきました。

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3月の震災のとき、先生は新地のアトリエで絵をかいておられました。
幸い、先生のアトリエは山の方にあるので、屋根瓦が落ちたり壁に亀裂が入るぐらいの被害でした。

先生は毎日、新地中を歩き回り、その凄まじい風景に泣いていました。
子供時代を過ごした(幼少時代から高校を卒業するまで新地に住んでいました)ふるさとの変わり果てた姿に、言葉もなくただ立ち尽くすだけだったとおっしゃっていました。

朝日館にも毎日のように出かけて泣いてくださいました。

その時
「僕は、朝日館を題材に絵を描こうと思うよ」
と言っていた絵の製作がいよいよ始まりました。

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この絵の左下に私たち夫婦の肖像を描かれるそうです。
できる限り美人に描いてくださるようにお願いしてきました。

完成が楽しみです。絵が出来上がるまで、随時、取材してここでお知らせいたしますね。

(蛇足)
避難所にいたとき、避難所にはお風呂がなかったので、2か月間、親子三人で先生のアトリエのお風呂を使わせてもらい助かりました。まるで我が家のように自由気ままにお風呂がつかえて、本当にありがたかったです。

by asahikanokami | 2011-09-03 15:15 | 避難生活 | Comments(6)