朝日館の女将のてんてこ舞日記


東日本大震災で被災した小さな旅館の女将の日々
by asahikanokami
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<   2011年 12月 ( 8 )   > この月の画像一覧


ありがとうございました

今年もあと一日を残すのみになりました。

きっと生涯で一番心に残る一年になることでしょう。

今日、妹の家に遊びに行って、お茶を飲みながらしみじみと語りあいました。

「おねえさん、被災したのが今年で良かったわねぇ」
「そうだね。もし、おじいちゃんがいたら、絶対に避難しなかったよね。三人で死んでたわ」

そうです。もし、寝たきりの舅がいたら、逃げなかったことでしょう。夜間に津波が来ても逃げなかったと思います。宿泊のお客様もどうなったかわかりません。

舅が亡くなった後で良かった。昼だったから宿泊客がいなくてよかった。
本当にホッとします。もし、お客様が亡くなるなどと言うことがあったら、と想像するだけで背筋が寒くなります。

新館を建設したときのローンも昨年秋に完済したところでした。息子も曲がりなりにも働いています。学生だったら、旅館を廃業して収入源が断たれた今、仕送りや学費に四苦八苦したことでしょう。

地震の被災に、グットタイミングと言うのはおかしいけれど、旅館を廃業するには良いタイミングだったと思っています。

こんなにも悲しい思いをしたのは、娘を亡くした時以来です。
友人やご近所さんや知り合いの訃報を聞くたびに、瓦礫になった新地町を見るたびに、涙を流しました。

更地になった我が家の跡に立った時。
おっとっとが廃業の書類に印鑑を押したのを見たとき。
仮設の集会場などで、お茶飲み話にポツリポツリと被災した話を聞くたびに。
親を亡くした子が、元気に遊んでいるのを見るとき。

まだまだ涙は止まりません。

3・11以降、どれだけ悲しい涙を流したことでしょう。

でも、それ以上に流れたのはうれし涙でした。

携帯が繋がったっとたんにいっぱい届いた安否のメール。
避難所に届いた支援の品々。
そしてガソリンもなくて、道路も瓦礫だらけなのに避難所に駆けつけてくれた方々。
遠くから仮設に来てくださった方々。

今、こうして思い出すだけでも涙があふれます。

先日、ご年配の方に
「なぁに、戦争時代のことを思い出すと、仮設は天国だぁ」
と言われました。戦中戦後、家を焼かれても仮設などと言うものはなくて、道端で寝るしかなかったことや、支援物資などと言うものもなく、雑草まで食べたことなどを話してくれました。

今はありがたいことに、雨露をしのげる仮設で暮らすことができ、暖房器具なども支援していただき、お餅やミカンも届き、本当に感謝していると手を合わせていました。

狭いし不便なことも多い仮設住宅だけれど、住めば都。それなりに楽しい生活を送っています。
ありがたいことです。

3・11.いち早く駆けつけてくれた自衛隊や消防署や警察の方々。小さいお子さんのいる人や、中には自分の家や家族も被災しているのに、誰一人何日も帰宅せずに、不眠不休でお世話してくださった新地町役場の方々。
二十四時間体制で診察してくださった赤十字病院のお医者さんたち。
炊き出しに来てくださったみなさん。
元気になるようにと歌や演奏や踊りで慰問に来てくださったみなさん。
そしてたくさんの義援金や支援物資をくださった世界中の皆さん。
頑張れと言ってわざわざ仮設まで来てくれた私のお友達。

こうして思い出すだけでも、どれだけ多くの方が支えてくださり応援してくださったことか。

今年の漢字は「絆」に決まりましたが、私の漢字は「感謝」です。
みなさん、ほんとうにありがとうございました。

来年の漢字は「一歩」になるように願って、今年のブログを終わろうと思います。
皆さんどうぞよいお年をお迎えください。

by asahikanokami | 2011-12-30 21:48 | 避難生活 | Comments(12)

マイタウンマーケットはクリスマス!

24日にマイタウンマーケットが開催されました。

今回の目玉は「しんちの湯」と名付けられた足湯。
前日から大騒ぎで準備していました。
(すみません。前日は妹夫婦と日帰り温泉に出かけて留守でした。準備を手伝っていません)

想像以上の大きさにびっくりでした。でもこの大きさがくせ者。大きな電熱器二個で温めているのですが、なかなか温まりません。子供たちが待ち遠しらしく、しょっちゅう覗きに行っては手を差し込んで湯加減を見ています。

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お湯が熱くなるのを待ちかねて子供たちが入っていました。
「いい湯だよ~~」

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それから次の目玉は、チョコレートショップ。手作りチョコのお店です。М&Aと言うショップの名前は、みくちゃんとあずさちゃんの頭文字なそうです。

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チョコフォンデュやトリュフはおいしかったし、大きなハートのちょこに可愛らしくデコレーションをしてくれたものはもったいなくて食べることができませんでした。しばらくはお部屋に飾っておこうと思います。

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そしてもう一つ。おやしきと言う建物。この謎のテントの中はお化け屋敷でした。
写真と取るのを忘れたのでアップできませんが、中は迷路のようになっていて、生首があったり、突然に壁から手が出てきたり、こわ~~~いお化け屋敷でした。小さい子供が泣いていましたから、その怖さをご想像ください。

その他におでん屋さん。大きな具材が二個で50円。100円分食べたらおなかがいっぱいになりました。
お出しの味がすごくよかったです。

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あたたかくておいしいおでんはあっという間に売り切れ。そしておでんが無くなって、出し汁だけが残りました。
そこは、主婦歴何十年のお母ちゃんたち。
玉うどんとねぎを入れていっぱい10円で売り始めました。うどんもあっという間に売り切れ。すると今度はお餅とみず菜を入れてお雑煮にしました。これもあっという間に売り切れ。
結局、お鍋はお出しもすべて無くなり、すっからかんになりました。恐るべし!お母さんたちのアイディア。

ロケットストーブも大活躍。暖房として、又焼き芋を焼いたりしてストーブの周りに人が集まっていました。

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夕方からは、クリスマス会を兼ねて反省会です。
ハワイからサンタさんもやって来ました。この竹林さんと言う方は、ハワイから8回も炊き出しに来てくださっています。ありがたいことです。

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鎌倉市から、毎週(皆さん、毎週ですよ!)瓦礫撤去のボランティアと物資援助に来てくださっている岡野さんからの玩具のプレゼント。大きな玩具に子供たちの喜びようはすごかったです。

そして同じように毎週(この方も毎週ですよ!すごいですよね)南三陸町などの被災地にロケットストーブを配りながら、支援活動をしている、南極越冬隊だったheeさんがくださった南極の氷。大人も子供も何億年も前の空気が入っている氷を飲み物に入れて、太古のロマンに思いをはせました。

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お料理もいっぱいあって、お酒もいっぱいあって、大人も子供も楽しい時間を過ごすことができました。

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いつもマイタウンマーケットを支えてくれているボランティアの北澤さんと西川さん。そして新地高校の生徒さん達。元気な仮設のお母ちゃんたち。裏方を一手に引き受けてくれるお父ちゃんたち。

本当にありがとう!!とても楽しかったです。また来年も楽しみにしています。次回も期待しています。

by asahikanokami | 2011-12-28 13:50 | 避難生活 | Comments(6)

しゃがみこんで

今日の新聞に、子供の頃にしゃがむと一杯宝物があったという記事がありました。

そう!戦後間もない、日本のチベットと呼ばれた岩手県北上山地の町。玩具など無く、皆、自分でいろいろ作ったり自然の中の物を使ったりして遊んでいました。しゃがみこんでは、いろいろなものを拾って遊んでました。

栃の実や藤の実で作った独楽。藤蔓やアケビの蔓を見つけては、ターザンごっこ。川で雑魚を捕まえたり、山菜やキノコを採ったり。

そしてしゃがめば、そこは宝の宝庫。丸い石や平べったい石は大事な宝物でした。釘でさえ宝物でした。地面に丸をいっぱい書いて、ケンケンパッをしたり、陣取りをして遊んだり、ドッジボールのコートを書くときも釘は大活躍でした。

木の枝は、チャンバラごっこの刀になったし、おままごとのごちそうは、道端の雑草でした。身の回りにあるものすべてが宝物でした。

しゃがんで見上げる空はどこまでも高かったです。

3・11の後、私は、自分がしゃがんでいるような気がしました。しゃがんで見上げる風景は、今までとは違って見えました。立って歩いていた時に気が付かなかったことに気が付き、見えなかったものが見えました。

立ち止まってはいけない。ましてやしゃがみこんだり、倒れこんではいけない。それは人生の落伍者のすることだと思い込んでいた私。どんな時も、娘を亡くした時でさえ、歯を食いしばってがんばって立っていた私。

でもしゃがんで初めて、しゃがむことも立つことと同じように大事だと思いました。

下から見上げて初めて、人の優しさ、弱さ、悲しさ、寂しさ、そんなものが見えたのです。感じることができたのです。
それは、今まで自分を過信して生きてきた私に欠けていたことでした。私はなんと傲慢だったことだろうと思いしりました。

強い人間になろう、何でも乗り越えていける強い人間になろうと思って暮らしてきました。弱さは必要ないと思っていました。でも違うことに気が付いたのです。強さも弱さも、生きていく上では同じように必要です。誰でも強さも弱さもあるのです。

自分の弱さを認めず、見て見ないふりをしてきたなぁと反省しています。大震災は大事なことを教えてくれました。多くの方に応援していただき、支えていただき、今の私がいます。

私は、私の人生しか歩むことができません。これから先も、村上美保子と言う人生しか生きていくことができません。
できる限り私が考える理想の村上美保子の人生に近づくように、元気に生きていきたいと思っています。それが応援してくださった皆様へのお礼になると思っています。

by asahikanokami | 2011-12-27 14:45 | 避難生活 | Comments(5)

ツリークライミング

ツリークライミングをしませんかと誘われました。

誘ってくださったのは、先日餅つきに来てくださった森田さんとheeさん。

森田さんは「ツリークライミング(R)ジャパン」のオフィシャルインストラクターなのです。
そしてheeさんは、南極越冬隊員だった方です。

実は・・・・私はお転婆のくせに木登りが苦手だったのです。

岩手県北上山地の中にある岩泉町は町の98パーセントが山と言う自然がいっぱいなところです。
子供たちは、下校するとランドセルを放り投げて一目散に山や川に行って遊びました。

女の子でさえ木登りが上手でした。ところが、運動神経が鈍い私は、木登りが下手でした。怖くてなかなか上まで登ることができませんでした。

大人になってから高所恐怖症だということにも気が付きました。ギリギリ三階の高さぐらいしか安心できません。それ以上の高さになると、足が震えて背中がむずむずします。

「大丈夫ですよ。ずいぶん多くの人を木に登らせましたが、今まで一件の事故もないのですから。車いすの方でさえ登ったんですよ」
と森田さんは笑顔でおっしゃいます。

その顔を見ていると恐怖感が薄れて登ってみようかなと言う気になりました。

この日は風が強くてとても寒い日でした。

まずは子供たちが登るのを偵察。

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「怖いよ~~怖いよ~~」
と言いながらも、どんどん登っていきます。

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ロープにぶら下がりながら、ブ~~ランブ~~ランとゆれたり、逆立ちしたり。
なんかとても楽しそうです。

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どれ、登ってみようかな・・・・・でもちょっと怖いなぁ・・・・・・。

躊躇していたら、目がウルウルしてきました。目の端っこの方だけウルウルとするのです。
あぁ・・・大変だ!!

どうやら血圧が上がったみたいです。なんということでしょう!!
ここで具合が悪くなったら大変。皆さんのご迷惑になると思い、退散することにしました。

とても残念な気持ちでした(登れなくて、内心ほっとしたことは内緒です)

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その後、集会場に移動してheeさんに南極の写真を見せてもらいました。
ちょうどキムタク主演の「南極物語」が放映中だったので、子供たちは興味津々。大きな目をして見ていました。

by asahikanokami | 2011-12-26 20:28 | 避難生活 | Comments(8)

冷温停止って・・・・・

金正日主席が亡くなって、どこのテレビ局も、トップニュースで伝えています。

独裁者がいなくなったことで、北朝鮮が、少しでも開かれた国になり、拉致問題が解決してほしいけれど、無理でしょうか?

おととい、野田首相が福島原発の冷温停止宣言をしました。
けれど、福島県民の中で、どのぐらいの人がこの宣言を真に受けて、真実だと思う人がいるのでしょう。

私はテレビに向かって
「何言ってるんだか!福島県民を馬鹿にするな!どこが冷温停止なんだよ!!」
と毒づきました。

メルトダウンしていてまだまだ不安定だというのに。誰も近づくこともできないというのに。冷温停止している証拠があるのでしょうか?汚染水だって海に垂れ流しだし、農作物の汚染も次々と出てきています。

ここは「うつくしま ふくしま」だぞ!!
汚したんだから元通りに戻してよ!!

避難区域を4月ごろにも再編成して、避難困難地域と居住制限地域と避難解除準備地域にするといいます。

たとえ、避難解除になったとしても、子供を連れて帰ってくる人はどのぐらいいるのでしょう?
私は皆無だと思います。

なぜなら政府の言うことなんか信用ならないからです。
どんなに安全宣言されても、信用できません。後から、実は数値が間違っていましたとか、実際には放射線が出ていたのに気が付きませんでしたとか言い出すような気がします。

このブログには、批判や誹謗や中傷や苦情は書かないようにしようと思っていました。

でも、どうしても書きたい。

故郷を取り上げられた人の気持ちを、東電や議員、特に野田首相はどう思っているのでしょう。

先祖代々、営々と守ってきた私たちの町や村をどう思っているのでしょう。

知人が言いました。
「息子が米や野菜を送ってよこすなっていうんだよ。食わねぇがらって。せっかく孫にと思って一生懸命に作ったのに・・・・・。わざわざ郡山まで行って検査してきて、数値が出ないから安心して送ろうと思ったのに・・・・・。数値が出なくても、福島の物は食わねぇって言われたの。他人に言われてさえ腹立つのに、わが息子に言われたもんだから、悔しくて、悔しくて、夕べ一晩泣いた・・・・・・」

悔しいよね。私たちのせいじゃないのに、なぜこんな悲しい思いをしなきゃならないんでしょう。

テレビで東電の役員に
「私は将来子供が産めますか?」
って聞いていた、飯館の中学生の女の子の顔を思い出します。安心して子供が産めるのでしょうか?あの子たちは将来、ずっと健康な生活げできるのでしょうか?

考えると腹が立ってきます。

土地には、先祖からずっと守ってきた文化があり、伝統があり、絆があります。
それを取り上げられて、どうやって暮して行けというのでしょう。生きて行けというのでしょう。

もし、避難解除になったら、まず、首相はじめ議員さんのご家族と、東電社長や役員のご家族が数年住んでみて、安全だということが判明してから、住民の方たちが戻ったらいいと思います。

by asahikanokami | 2011-12-19 22:32 | 避難生活 | Comments(16)

ラブレター

テレビを見てくださったみなさん、ありがとうございました。13日の「おはよう東北」と言う朝7時半ごろからの番組で、7時45分ごろに再放送があります。

風が強くて、寒くて、目にしみて涙が止まらず、鼻水も止まらず・・・・・・の顔で映っているので、見てほしいような、ほしくないような、複雑な心境です。

さて、昨日の朝、目を覚ましたらふっと
「そうだ!もうすぐフェルメールが終わる!!」
と思いだしました。宮城県美術館で開催されている「フェルメールからのラブレター展」が12日までなのを思い出したのです。

大急ぎで洗濯機を回し、朝食もそこそこに家を飛び出しました。

宮城県美術館はものすごく混んでいました。女性の多いこと!男性の三倍はいたと思います。
二人、三人と連れだって解説しながら見ているのでうるさいこと、うるさいこと。

「あんだ、これ見てみさい。うまいごとなや(あなた、これ見てごらん!上手よねぇ)」

(まぁ、失礼だこと。芸術作品なんだから上手はないでしょうよ)

「まるで写真みでだ!(まるで写真みたい)」

(えぇ・・・・写真みたいって・・・・・・・・)

隣の見ず知らずのおばちゃんに、内心でつっこみながらの観賞も楽しかったです。

フェルメール展は、宮城県美術館の開館30年記念として、開催が震災前から決まっていたそうです。
なにしろ超重要絵画のフェルメールの絵。

貸し出す美術館に不安があったことでしょう。一度は貸し出しを断られたそうです。
しかし、感動で復興を支援しようという声が、貸し出す美術館内であがり、大切な絵画を貸し出すことを決めたのだそうです。ほんとうにありがたいです。

オランダの絵画はほとんど見たことがなかったので、とても興味深かったです。
フェルメールの他に、ピーテル・デ・ホーホとか、ヘラルト・テル・ボルフとか、ヤン・ステーンなどという、今まで聞いたことも見たこともない画家の作品も並んでいました。

今回はコミュニケーションをメインテーマにしたそうです。コミュニケーションのツールとしての手紙。フェルメールの時代は、まだ郵便制度が確立していなくて、手紙が届くのには時には一年以上もかかったのだとか。

「手紙を読む読む青衣の女」に描かれたこの女性は、手紙を読む喜びとかすかにその表情に表れている不安から、きっと遠くにいる人からの手紙なのでしょう。妊娠しているように見えるので(妊娠しているという証拠は何もないのだそうですが、私にはそう見えました)夫からの手紙でしょうか。

修復後に世界中で最初の開催が宮城県美術館なそうで、フェルメールブルーと呼ばれる鮮やかな青い上着が、柔らかい光の中に鮮やかに浮かびあがり、何とも言えない美しさです。長い間じっと絵の前に佇んできました。

「手紙を書く女」の黄色の鮮やかな上着。光の中に浮かび上がるその表情は、優しい笑顔です。この方もまた恋人に手紙を書いているのでしょう。

「手紙を書く女と召使」と言う絵は、二度も盗難にあったのだそうです。フェルメールは作品数が少ないので、盗難にあったり、贋作が出たりするのだとか。この絵でも、光の中に浮かび上がるように一心不乱に手紙を書いている女性が描かれています。微笑んでいるように見える表情から、きっと、これもまたラブレターを書いているのでしょう。

ゆっくりと素晴らしい絵画を堪能して、改めて、音楽や絵画や演劇などの芸術が、心に元気をくれることを実感しました。なんだかとても大きなものが心を満たし、何とも言えない満足感を感じました。

美術館を出てから考えてみました。
はて?私はラブレターを書いたことがあったかなぁ?????
思い出せません。

と言うことは書かなかったのかもしれません。
貰ったことはありますよ、ものすごくたくさん。(ちょっと見栄も入ってます。笑)

これを読んだ皆さんは
「じゃあ、おっとっとにラブレターを出したらいいのに」
と思われることでしょう。

私も最初はそう思いました。
でも思い直しました。

最初は良いとして、書いているうちに、きっと苦情だらけのラブレターになること必定ですからね。

by asahikanokami | 2011-12-09 12:12 | 避難生活 | Comments(12)

大急ぎで

大急ぎでブログ更新です。

今日の夕方6時10分までにアップしたいと急いでいます。

なぜ?

それはその時間にNHK福島の「はま なか あいづ」という番組の「忘れない~震災・原発事故の記憶」というコーナーで私のことが放送されるからです。(福島県限定です)

以前に「ふくみみ」という番組で新地の昔話の本の出版の紹介をした時に、取材に来たプロデュサーに被災したときのことをお話ししたのでした。

しばらくして
「テレビであの話をしてもらえませんか」
とお電話をいただいたのですが、なんだかテレビに出るということで、一人だけ目立つような気がして、また、多くの被災した人たちは、それぞれがまだ悲しみを抱えているのにと思いお断りしました。

後日、留守中に電話があり、たまたまおっとっとが電話に出て、私が出演するように説得すると約束したようなのです。

「まったく!勝手に!!」
と怒る私におっとっとが
「おまえは、残りの人生を被災体験やその後の新地町の様子を伝えることを使命にするなんてかっこいいこと言ったくせに。あれは嘘か!」
と言うのです。

テレビに出てばかりいると誰かに言われるのが嫌だったし、まだ悲しみに沈んでいる人達の気持ちを思うと、ホイホイと出て行って軽々しく話すことなど出来ないと断った私ですが、おっとっとの言葉で思い直しました。

誰になんと言われてもいい。どう思われてもいい。いろいろなことを伝えるのが私の使命。世間体など気にせず思った通りに生きてゆくのが、こうして生き残った者の人生の歩き方だと思う。私は私の生き方をしよう。

開き直って、テレビ出演を承諾しました。

さて、録画の日。
外は寒く、風も強く、不安な気持ちで、朝の9時に待ち合わせた朝日館跡に行きました。

年を取ったせいか、冷たい風が、それも強風が目にしみます。涙がぽろぽろとこぼれます。

「ごめんなさいね。悲しいわけじゃないのよ。風が目にしみるの」
と言い訳をしながら撮影開始。

そのうちに鼻水も・・・・・・・・。ぐしゃぐしゃの顔で地震発生の時のこと、避難しないというおっとっとをひきずるようにして、車に乗り込んだことなどをお話ししました。
その間も涙と鼻水が止まりません。
嫌だなぁと思うのですが、どうしても止まらないのです。本当に困ってしまいました。

話の内容が楽しい話ではなくて被災した話なので、涙でもいいかぁと思いつつ、2時間も朝日館跡で撮影が続きました。

その後、踏切後に移動して撮影しました。ちょうど踏切の所の道路を補修工事中で、大きな工事車が何台も行き来しています。現場監督の方にお願いして、工事中の場所をお借りして撮影しました。

それから農村環境改善センターの前の駐車場に移動。
そこから高台にある商工会の駐車場まで移動する場面を撮影しました。車が坂を上がっていく様子を、外からも助手席からも後ろの席からも、何度も撮影したのです。

テレビに映るのはきっと一瞬かもしれません。しかしカメラマンの方は納得する画面が撮れるまで何度も、何度も撮影するのです。その真剣な顔に、おのずとこちらまでしっかりとお話をしなくちゃと心を引き締めました。

その後、津波を見た場所に移動しました。

そして、自分の記憶のあやふやさに驚きました。

確かにここだと思った場所からは、はっきりと海は見えず、そこからちょっと移動した場所が、記憶の海と一致したのです。

「あら・・・・・・ここだったんだわ・・・・・・・」

無我夢中で過ごしたあの時間。

気が付けば、海のそばまで行ったのも、津波を見た場所に来たのも、3月11日以降、この日が初めてだったのです。
特に避けていたわけではありません。見るのが嫌だったわけではありません。
それなのに、どこかで、心の奥の方で知らず知らずのうちに避けていたのかもしれません。

思い出すと今でも体が震えるほどの恐怖がよみがえります。
でも、それはしっかりと記憶しておかなければならないし、無くしてはいけないと思っていたのに、どこかで思い出すのを嫌がっていたのかと、自分の気持ちを改めて知りました。

午後からは、仮設に来てブログを書いているところなどを撮影しました。
狭い仮設の部屋での撮影は、カメラマンさんにとって、とても大変だったと思います。

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こうして夕方4時過ぎになってやっと撮影が終わりました。
放送時間は6分ぐらいなそうです。

我が家の出たがりおっとっと。

「俺は?俺は出なくてもいいですか?」
と、何度も、何度も聞いて

「あ、ご主人はけっこうです」
と、その度にはっきり断られてがっかりしていました。

さて、今日の夕方、どんなふうに放送されるのでしょう???
放送終了後に、ブログを書く自信がなかったので大急ぎで更新しました。

13日の朝7時45分からの「おはよう東北」と言う番組内で、今度は東北6県に再放送されるそうです。

by asahikanokami | 2011-12-02 14:23 | 避難生活 | Comments(9)

上越市大手町小学校

コメントのお返事は後回しにして、どんどんブログを更新します。

そして・・・・・・なんと・・・・・今日の(明日に延期になりました)夕方6時10分ごろからNHK福島の「はまなかあいづ」という番組に出演します。「忘れない~震災・原発事故の記憶」というコーナーです。

それはさておき、11月10日、新潟県上越市の大手町小学校の五年生の皆さんに被災したときの話をしに行ってきました。

担任の炭谷先生が何度か朝日館をご利用いただいたというご縁で、大手町小学校が新潟地震以降にずっと毎年実施している防災教育の中の「疑似体験  食糧・災害 その日」という授業に参加させてもらいました。

上越市に巨大地震が起きて学校の体育館に避難したという想定で、子供たちは登校ではなく避難で学校に来たそうです。

市民2千人が避難しているという想定なので、昼食は自分たちの菜園で作った野菜で調理し、それを分けて食べたそうです。空腹を体験するというのもカリキュラムに入っているらしく、二千人で分け合うと本当に少量しかないことを勉強しました。

停電と断水も起きているという想定なので、体育館は薄暗く、また断水しているというので、雨水をろ過して使います。徹底して災害時の状況を作り子供たちに体験させていることに、まず最初から感動してしまい、感激屋の私は自分の出番前からテンションが上がってしまいました(笑

私は、子供のころに岩手県の岩泉町で過ごしたので、先生から津波の話を何度も聞いていました。そのことをあの瞬間に思い出したわけではないのですが、きっと記憶のどこかに残っていたのだと思います。
だからいち早く避難ができました。

もし、将来、万が一、この子たちの上に大きな災難が起きた時に、こういう体験をし、又話を聞いていたことが何かしらの手助けになるに違いないと思うと、子供さんたちの前に立った時に思わず力が入ってしまいました。

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それからの私。気が付いたら一時間半も休みなしに話をしていたのでした。

私は新地の小学校で昔話をしています。小学生は、中学年では10分ぐらい、高学年では20分ぐらいが集中して聴くことができる時間です。

最初、一時間半という時間をいただいたときに、はたしてそんな長時間、子供たちを飽きさせずに話すことができるだろうかと心配でした。飽きてきたら途中で体操したり、昔話をしたりしようと思っていました。

でもそれは杞憂でした。

なんと一時間半の間、真剣に聞いてくれたのです。無駄話する子は一人もいませんでした。皆、身を乗り出して聞いてくれました。

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私が感激したのは言うまでもありません。調子に乗って時間オーバーまでしてしまいました。

「テレビで見た時よりも、実際はもっとひどいんだなと思いました」

「地震が起きても津波が来ると思っていなかったので、これからは地震が起きたら津波が来ると思います」

「すべてを流されたのにここまで来てくださってありがとうございます」

「これからは水や電気を節約しようと思いました」

「食糧や友達や家族など大事なものがあることがわかりました」

「村上さん、元気でがんばってください」

後日、たくさんのお手紙が届きました。読みながら涙がぽろぽろと落ちました。
なんて嬉しいことでしょう!!

これから先の人生で落ち込むことがあったら、このお手紙を取り出して読むことにします。きっと、お子さん達のやさしさが、とても大きなエネルギーとなって心を満たしてくれることでしょう。

何よりの宝物をいただきました。上越市に出かけて行って良かったと心から思います。
上越市大手町小学校5年生の皆さん、ありがとうございました。

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追伸

この後、子供たちは上越市の備蓄食料の夕食を食べ、被災した子供たちからのビデオレターをみたり、家族からの手紙を読んで家族のことを思いながら体育館に宿泊し、朝は少量の乾パンを食べて空腹体験をし、お昼はお母さんたちが作ったおいしいお昼を食べて解散したそうです。

この体験がこれから先の人生で、何か大きな困難にぶつかったときにそれを突破する力になってくれることを祈っています。

by asahikanokami | 2011-12-01 10:45 | 避難生活 | Comments(4)