朝日館の女将のてんてこ舞日記


東日本大震災で被災した小さな旅館の女将の日々
by asahikanokami
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紙芝居作り

23日に、相馬市報徳社の渡辺さんをお招きして、紙芝居製作&読み方講習会が行われました。

集まったのは、漁業組合長、おっとっとの男性二人と、小川仮設の選りすぐりの美人お母ちゃんたち。
漁師さんの奥さんたちです。それに新地町の広報の西牧さんと図書館の目黒さんもお呼びしました。
それから福島民報新聞の記者の方が、取材に来てくれました。
特別ゲスト(?)に、自転車で世界を廻っている西川さんも飛び入りして、楽しい紙芝居製作が始まりました。

最初は時間が来ても、皆がなかなか集まらず、仕方がないので、いる人だけで始まりました。
渡辺さんが、お手本を見せてくれます。

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そのうち、少しづつ人も集まり、賑やかになってきました。

しわにならないように、台紙に慎重に貼ります。
それから、台紙の周りの余った部分を切り取ります。

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それぞれが一場面づつ受け持ったので、どんな話なのか良くわからないまま、出来上がった紙芝居。
「漁業組合がある!」
「朝日館だべした」
「朝日丸?そんな船は無いべ」
大騒ぎをしながらの作業でした。

出来上がった紙芝居を床に並べて記念写真を撮りました。
遅れて参加する人、途中で帰る人。
出たり入ったりしながらも、完成しました。

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出来上がった紙芝居を読みました。

初めは興味津々で、にぎやかだった部屋が、次第にしーんとしてきて、そのうちに鼻をすする音が聞こえてきました。

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海で漁師さんたちが、命がけで津波を乗り切っていた頃、陸では、奥さんたちがどんなにか心配で、心細く、夫の無事を必死に祈っていたことでしょう。

思い出して泣いている奥さんたち。

辛い思い出です。
でも、紙芝居の最後に、書いたように
「忘れたいけど、忘れない。忘れてはなんねぇ」
と思います。

命が大事なこと。家族が大事なこと。人と人のつながりが大事なこと。
津浪が教えてくれました。

嬉しいことに、来月号の新地広報の表紙は、私たちが飾ることになりそうです。
広報に載ったなら、新地の人たちに、広島からすでに4本も紙芝居が届いていることを知ってもらえます。。
広島の人たちに感謝です。

自分たちの物語を紙芝居にして読むことで、自分の心と対話したいと思います。
まっすぐに顔を上げ、一歩前に踏み出すエネルギーを受け取りたい。

昔話からは、先祖の知恵と誇りを。
パーソナルストーリーからは、勇気と元気を。

by asahikanokami | 2013-05-27 19:46 | 避難生活

命の次に大事なもの

5月こそ、ちょっとゆっくりしようと思っていたのに、ますます忙しい毎日・・・・・・。
コメントのお返事はまた少し先になります。
連休で帰省した方や新地を訪ねてこられた方に
「ブログ楽しみに読んでます」
と言われるたびに、さっぱり更新もせず、コメントのお返事も書かずにいて、汗が出る思いです。

今日は今日とて、朝から叔母の部屋(施設)の掃除をしてきました。1月に脳梗塞で倒れて半身不随になりましたが、来週やっと退院することになりました。部屋が荷物で埋もれているので、捨てるものは捨て、必要なものは妹の家に預かってもらい、元の広々とした部屋にしました。
なにせ、これからは車いすで移動になりますので狭いと困るのです。2,3日かかると思いましたが、妹夫婦とおっとっとと4人で、ほとんど休むことなく片づけたら夕方までにきれいになりました。

今日のブログは、長文です。
なぜなら、紙芝居をご紹介したいからです。この紙芝居は、広島県の方たち「東北まち物語紙芝居化100本プロジェクト」という所が、福島の人たちを元気つけようというので、100本の紙芝居を作って送ってくださることになっています。すでに60本以上が完成して送られています。すごいことです。

新地にも「鹿狼山の手長明神」「あんこ地蔵」「鬼婆伝説~フクシマレジェンド~」の三本が送られています。
そして4本目が出来上がりました。この紙芝居の原案は私が書きました。
陸地での被災体験は、あちこちで語られています。
しかし、海上での津波の様子はあまり知られていません。

何人かの漁師さんに聞いた話を、一つのお話にまとめました。
ですからこれは、ノンフィクションに近いフィクションです。


「命のつぎに大事なもの」

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あの日、三月十一日。
大地震の後に大津波警報が出た。
その時俺はすぐに浜に馳せで行ったんだ。船を沖出しするためにな。



漁師が命につぎに大事なものは、船だぁ。まず一番に船を守んねばなんねぇ。
船を守るには、沖に持って行くのが一番だ。
津波は、海の浅いところほど波が大きくなるからなぁ。沖に持っていくのが一番なの
さ。
船さえ守れば、明日からまた漁に出られる。命をつないでいける。
漁師が命のつぎに大事なものは、船よ。
なんつったって船が大事だぁ。



すでに港の波は引き始めていた。
完全に水が引いたら、船は出せない。
俺は焦った。
大急ぎで船を岸壁につないでいる綱をほどいて、全速力で港を出て沖を目指した
んだぁ。
仲間の船も、次々と後に続いてくるのがわかった。
みんな、自分の船を守るのに必死だったんだぁ。



「津波が来たどぉ~」
「北の方からきたどぉ~」
船の無線で仲間が津波が来たことを教えてくれた。
あわてて北を見たら大きな波が見えたんだぁ。
いやぁ、五十年も漁師をしてっけんと、あんなおっきな波は見たことねぇ。
それはまるで水でできたビルが覆いかぶさってくるような波だった。
さすがの俺もビビったのよ。どうやってこの波を乗り越えたら良いんだべ。



長年の勘で、まっすぐ波を乗り越えたら、てっぺんに行った時にまっさかさまに落と
されて、船は木っ端みじんになると知っていたからなぁ。
ほんで「みんな、良く聞け。ななめ四十五度に全速力で登って波を突っ切れ。てっぺ
んまで登ったらエンジンを切るんだど。そのままだと波の向こうまで飛んでいくから、
必ずエンジンを切れよ」
と無線で指示したんだ。
中には、まだ経験の浅い若い漁師もいっからやぁ。
ほんで、なんとか第一波は乗りきった。



ほっとする間もなく、第二波が来た。
第二波は小さかったから難なく乗り越えた。
やれやれと思ったら無線から悲鳴のような声が聞こえた
「南を見ろ~!」
南を見て、俺は言葉を失った。
目に映ったのは、波ではなかったんだぁ。
それはもう波ではなく、水の壁だった。おそろしく高い水の壁だった。
今までこんな波を見たことがない。これはもうどんなに全速力で登っても越えること
はできねぇ・・・・・。
俺は覚悟した。



俺の人生もここまでだ。
その時、いろいろなことが頭の中をよぎった。
俺は一人で笑った
「よく、走馬灯のように思い出すって言うども、あれって本当のことだったんだなぁ」
笑っている場合ではねぇども、なぜか笑えたんだ。
思い出してみたら、俺の人生もまんざらでなかった。いろいろなことがあったども、
まぁいい人生だったと言ってもいいべな。
俺は、自分の体をロープで船に結び付けた。

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せめて遺体だけでも見つけてほしかったからなぁ。
それから家族の名前を一人一人呼んだ。孫、娘、息子、息子の嫁。
「ゆうま!さき!ひろと!かずこ!たかお!みちこ!いままでありがとうな!」
そして最後は、やっぱり女房の名前だった
「てつこ!いままでありがとうな!おめぇと一緒になって俺は幸せだった。ありがとう
な。後を頼むど」
そう大声で叫んで、俺は死を覚悟して、水の壁に直角に全速力で突っ込んでいった。

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それから、どのぐらい時間がたったんだべ・・・・・。
津波に突っ込んだ瞬間に、俺はその衝撃で気を失っていたらしい。
ふっと気が付いて、あたりを見回すと、そこには今まで見たこともない風景が広がっ
ていた。
まるで泡ぶろのように、海面がまっ白い泡で覆われていた。
「おれは死んだのか・・・・・」
体をつねってみたら、なぜだかわかんねぇども、その時痛くなかったんだ。
「あぁ、やっぱり、俺は死んだんだ。ということは、ここは三途の川ということか」
今までそんな海を見たことねぇから、俺はてっきり死んで三途の川を渡っていると
思ってしまったべ。
ふっと横を見たら仲間の船が見えた。



「あぁ、あいつも一緒に死んだんだな。一緒に三途の川を渡っているんだな」
自分のことを死んだと思っているから、そう思ったのさ。
「大丈夫か?」
無線から仲間の声が聞こえて、初めて、俺は自分が生きているんだとわかった。
それまでずっと俺はあの世にいると思っていた。
体のあちこちを触ってみた
「生きてる・・・・・生きてる・・・・」
あの時の嬉しさは、一生忘れられねぇべな。




ほんでも喜んでばかりいられねがった。
次々と津波が襲ってきたからなぁ。
五波、六波・・・・その間に後ろから引き波が襲ってくる。
引き波が来ると船首を百八十度回転して乗り切り、津波が来るとまた船首を回転し
て乗り切る。
その繰り返しで、どれだけの数の波を乗り切ったか。
無我夢中で乗り切った。




やがてあたりが暗くなってきたころ、津波がだんだん小さくなってきた。
夜の航行は危険なので一晩、海の上にいた。
心細かった。さびしかった。仲間とおたがいに無線で励ましあった。
「夜が明けるまでがんばるべ」
「もう少しだ。がんばれ」
やがて白々と夜が明けてきた。




海の上にはおびただしい瓦礫が浮いていて、おいそれとは港には近づけそうにな
かった。
かまわね。船なんかぼっこれでもいい。
瓦礫をかき分け、時には瓦礫に船をぶつけながら港に急いだ。
「ここは・・・・どこだべ・・・・釣師の港ではないよなぁ・・・・。いや、釣師の港だ・・・・釣
師だぁ・・・」




港について、わが目を疑った。
あるはずの家が、町が、すべてなくなっていたからなぁ。
そこにあったのは、泥をかぶった瓦礫だけだった。



俺はなぁ、間違っていた。
漁師が命のつぎに大事なのは船だと思っていた。
ほだがら、いち早く船を沖出しして、命がけで守った。
ほだども・・・・・ほだども・・・・・
帰って来てみたれば、家も家族も流されていた・・・・・。
息子一家は助かったども、女房は流されて十日後に見つかった・・
遺体でな・・・・・。
命のつぎに大事なのは、船なんかでねぇ。
もっと大事なものがあった。
あの時、俺は、なんで家族のそばにいて、家族を守らなかったんだべ。
なんで、なんで・・・・家族を守らねで船なんど守ったんだべ。



釣師浜の漁師は、船を守った。
そのおかげで十艘流されただけで、船は三十六艘も残った。
被災した浜でこんだけ残ったのは釣師浜だけだ。これは奇跡だべ。
俺たちが命がけで船を守ったんだ。
だども船が残って何になる。




原発事故で、魚一匹とることさえゆるされねぇ。
魚を取らねぇ漁師なぞ、もはや、漁師ではねぇ。漁師って言われねぇべ。
おらなぁ、毎日、毎日、女房に手を合わせて謝っていっと。
「かんべんしてけろ。かんべんしてけろ」
毎日、毎日、泣いていっと。悔しくて、悲しくて、苦しくてな・・・・
いつか、時間がたてばすべてを忘れるからと、人は慰めてくれる。
ほだども、俺は忘れねぇ。
命のつぎに大事なものを、俺は間違った。
忘れてしまいたいげんと、忘れねぇ。
忘れてはなんねぇと思っている。

           おしまい

(何の連絡もなく、勝手にこの紙芝居をコピーして使っている人が居るらしいとの連絡が入りましたので、絵の一部を非公開にさせていただきました)

by asahikanokami | 2013-05-07 22:35 | 避難生活

上海で(3月10日のこと)その2

控室で待っていると日本総領事がいらっしゃいました。
とても心に残るお話をお聞きしました。

3月11日以後、日本総領事館の前に長蛇の行列ができたそうです。老いも若きも幼子まで並びました。
皆さんが手にお金を握りしめて。
待つのが苦手な中国の人たちが、じっと並んで募金をしてくださったそうです。

中国は貧富の差が激しく、とんでもないお金持ちもいるけれど、貧しくてその日暮らすのがやっとの人も多いのだそうです。そんな人たちが、日本円にすると100円とか200円ぐらいを、何時間も並んで募金箱に入れてくださったとか。

そのお話を聞いたとき、国家間ではいろいろもめているけれど、民間の人たちはそんなこと関係なく、支援の手を差し伸べてくれたのだと思いました。
私たちを世界中の人が応援してくれている。そう思うと、体中が熱くなりました。嬉しかったです。

さて、いよいよ「福島復興応援のつどい」が始まりました。
舞台に「3・11」とろうそくが灯されて全員で黙とうをしました。

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最初に私が、震災と津波のこと、新地町の復興の様子、仮設での生活(特にマイタウンマーケットとエコたわし編み隊の活動)そして東北お遍路の取り組みを説明しました。

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それから次は、会津若松観光協会の稲生さんが、原発事故の風評被害に立ち向かう取り組みと、会津地方の素晴らしさをPRしました。

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最後は、福島高校の鈴木さん。上海の学生さんとの交流活動についての発表でした。
高校一年生が、このような活動していることに感心しました。交流している上海の大学生さんも会場に来ていました。今度、福島に来て、被災地を見たり、福島の高校生と意見交換をするそうです。

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そしてなんと、生まれて初めて同時通訳が付きました。
日本語を中国語(上海語?)にする方と、中国語を日本語にする方の二名。
ヘッドホンを通して、中国語の質問が日本語に通訳されて流れてきます。
私の答えはきっと中国語になって、質問した方のお耳に届いているのだと思います。

沢山の質問が来て、時間は大幅にオーバーして、さらに地元の新聞の取材もあって、会場を出たのは暗くなってからでした。

打ち上げをして有名な夜景を見て、翌日の朝7時にホテルを出発して帰ってきました。

PМ25問題や反日問題など、行く前はいろいろ心配しました。
確かに上空から見た上海は煙っていたし、たぶん、中には反日感情を持っている人もいることでしょう。
しかし、私があった中国の人たちは、親切で優しかったです。
ずっとつきっきりでお世話と通訳をして下った上海事務所の女性社員さんは、とても親切でした。

旅行代自腹でついてきた、イベントには全然関係のない約一名が、一番はしゃいで、一番楽しそうでした。

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by asahikanokami | 2013-05-02 21:44 | 避難生活

上海で(3月10日のこと)その1

それにしても、なぜこう忙しいんだろうか。
それは、あなたが何でも引き受けるから。
ごもっとも!

3月までがあまりに忙しかったので、4月は何も予定を入れないことにしよう・・・・・・と思っていたのに、あぁそれなのに・・・・・終わってみると何も予定がなかったのは4日間だけという有様です。

元気に飛び回ることができるってすばらしいなぁ~!

とのんきなことを言いつつ、久しぶりのブログ更新です。前ブログのコメントのお返事は後ほど書きますのでお待ちください。

やはりこれは書いておこうと思ったのは、上海に行ったことです。
福島県上海事務所のお招きで、3月10日に行われた「福島県復興応援のつどい」で被災体験をお話ししてきました。

出発の3月9日。おっとっとと二人で代行バスで亘理駅に着いたら、なんと!強風で常磐線が不通でした。
どうしよう・・・・・フライトに間に合うように羽田に着くだろうか。途方に暮れてしまいました。

すぐにタクシーに飛び乗って、新地に戻り、自家用車に乗り換えて仙台に。すぐに新幹線の切符を変更して羽田を目指しました。羽田に到着したのは、チェックイン締切の15分前でした。

その日は打ち合わせをしてホテル泊まり。泊まったホテルが、素敵なホテルでした。

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さて、翌日はいよいよイベントの日です。観光する時間が無いのはかわいそうだというので、わずかな自由時間を使って、豫園という素晴らしい庭園を見せていただきました。

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出てきたら、地元の人がいっぱいの飲茶のお店がありました。ホテルのバイキングの美味しい朝食をおなかいっぱい食べて来たのに、なぜか入ってしまった・・・・・・・・・・・。
せっかく飲茶の本場に来たのに、いつ食べるの?
今でしょう!!

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臭豆腐というくさい豆腐を揚げたもの
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焼きまんじゅうと焼き餃子
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えび焼売
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小龍包
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カニのから揚げ
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さすがに本場の味。おいしかったです。

お昼に福島名物のソースかつ丼のお店に連れていかれましたが、さすがにお肉は入らず、ざるそばにしました。それも半分ぐらいでもう入りませんでした。

そしていよいよイベントが始まりました。

                 (つづく)

by asahikanokami | 2013-05-02 17:25 | 避難生活