朝日館の女将のてんてこ舞日記


東日本大震災で被災した小さな旅館の女将の日々
by asahikanokami
カテゴリ
以前の記事
お気に入りブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧

<   2013年 06月 ( 2 )   > この月の画像一覧


除幕式

コメントのお返事も書けないでいます。ごめんなさい。
今日は、エコたわしの活動日。明日は、ガーデニング教室と取材。あさってには、まとめてお返事が書けるでしょうか???それとも?????

さて、昨日は東北お遍路のポイントの第一号標柱の除幕式でした。
雨が降ったらどうしようと、そればかり心配しておりましたが、良すぎるほどの上天気でした。

東北お遍路プロジェクトの新妻代表があいさつをして、町長さんや北畑墓地会の会長さんや龍昌寺ご住職の祝辞があり、私が経緯説明をしました。

f0061402_105838100.jpg


f0061402_10591325.jpg


なぜなら、ここをポイントにと推薦したのは私だからです。

あの日。すべてを飲みこんで行った津波は、自宅や旅館だけでなく、お墓をも連れ去って行きました。
3月20日。お彼岸の中日に墓地に行くと、そこは瓦礫と砂と泥しかありませんでした。
おっとっとと二人で、ずいぶんと探しましたが、お墓を見つけることはできませんでした。

何もなくなった場所に、お花とお線香を手向けました。
悲しくて涙がこぼれました。長いこと手を合わせても、空しくて、空しくて涙が止まりませんでした。
お墓の中にあったはずの、娘の遺骨はどこに流されたのでしょう。
「海に散骨したと思うことにするべ」
と、おっとっとは言いましたが、それでも空しさをどうすることもできませんでした。

その年の7月。墓地会の皆さんとお寺さんとで、北畑墓地の墓石を探し出して、すべてを龍昌寺に運んだという話を聞きました。
急いで行って見ると、多くの墓石が並んでいて、その中に我が家のお墓もありました。
行方不明の娘と再会したような気分で、嬉しくてお墓に抱き着いて撫で回しました。

その墓石をすべて積み上げて、その上に観音様が祭り「釣師観音」と命名されました。
新しくお墓を作りましたが、ここを参りすると先祖や娘に会ったような気がします。

また結婚して新地に住み始めたころ、慣れない生活に悪戦苦闘していた時に、暖かく励ましてくださったご近所の方で、先にお空の上に行かれた方たちの笑顔に出会う気がします。

復興には、道路も住宅も必要ですが、心の復興も必要だと思っています。
我田引水になるかもしれませんが、東北お遍路というこのプロジェクトは、改めて、被災者にとってものすごく力になっていく事業だと実感しました。

f0061402_1132775.jpg


ここが第一歩。
そして第二歩、第三歩と道が繋がって行ったなら、被災者とお遍路さんと繋がって、地域の復興の何よりの推進力になると確信します。

昨日の青空のように、すべての人の心が雲一つなく晴れ渡るように願って、次の一歩に繋げたいと思います。

f0061402_1135857.jpg


by asahikanokami | 2013-06-10 11:03 | 避難生活

東北お遍路 第一号の標柱

明日は、いよいよ「東北お遍路」のポイントの第一号の標柱が建ちます。
お天気も良さそうです。

第一号の標柱が建つのは、新地町の龍昌寺の釣師観音です。
ここのポイントの推薦者は、何を隠そう私です。

東日本大震災で自宅と営んでいた旅館だけでなく、お墓も流されました。
そこには、おっとっとの両親や先祖だけでなく娘も入っていました。
震災直後の春のお彼岸。何もなくなった墓地で、心まで空っぽになったようで涙が止まりませんでした。
その後、龍昌寺さんと墓地会の人たちが、すべての檀家のお墓を探し出し、お寺の境内に積み上げて、観音様を祭って「釣師観音」というモニュメントを作ってくださいました。釣師というのは、私たちが住んでいた地域です。

千の風になっているのだから、お墓は無くても良いのかもしれませんが、凡人は何か手を合わせるものがほしいです。
龍昌寺さんからは、無償で新しい墓地をいただきました。また
「家を無くし、家族を亡くした人からお布施は頂くわけにいかない」
と、震災で亡くなった人たちには、お布施なしで告別式をしてくださり、戒名もいただきました。


新しいお墓を建てました。
元のお墓と同じ、伊達冠石で作りたいとネットで探したら、伊達冠石は山田石材計画さんの採石場からしか産出しない石だったのです。
山田石材さんと尋ねて聞いてみたら
「もう、その大きさのお墓を作ることができるほど大きな石は採れません」
というお話しでした。
がっかりしました。仕方がないので、違う形のお墓にしようかと、山田さんの展示場に行ったら、おっとっとが指をさして叫びました。
「家のお墓がある!」
なんと展示会場の隅に、そっくりのお墓が展示してあったのです。売れ残っていたお墓でした。
まるで私たちが来るのを待っていてくれたようでした。
無事に、元の様なお墓が建ちました。

f0061402_23322531.jpg


その山田石材計画さんの社長さんに
「東北お遍路の標柱をご寄付いただけませんか」
とお願いしたら、快く引き受け頂き、想像以上の素晴らしい標柱を作ってくださったのです。

高さは2011センチメートル、幅が311センチメートルと、東日本大震災の2011年3月11日にちなんだ寸法になっています。
その柱の上に、伊達冠石の丸い石が乗った素晴らしい標柱です。
伊達冠石は、まるで宇宙のようであり、地球のようであり、人間の優しい心の丸さのような感じです。

f0061402_2333316.jpg


お墓が流され、新しい墓地をいただき、田んぼの泥の中から墓石を探し出してモニュメントができ、東北お遍路のポイントに推薦し、新しいお墓を造り、その石屋さんに標柱を作っていただきました。
次から次と繋がって、明日を迎えます。とても不思議なご縁が繋がって明日になります。

そして・・・・・今日は娘の命日でした。明日から14年目になります。
もしかしたら、娘がいろいろな方とのご縁を繋げてくれたのかな?
もしそうなら、仕切りやだった娘に感謝です。
菜穂、ありがとう。

明日の標柱の除幕式が楽しみです。

by asahikanokami | 2013-06-08 23:32 | 避難生活