朝日館の女将のてんてこ舞日記


東日本大震災で被災した小さな旅館の女将の日々
by asahikanokami
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<   2013年 12月 ( 3 )   > この月の画像一覧


正一の川柳碑

今日、十和田市文化協会から一通の封書が届きました。
宛名を見たら7年前に亡くなった舅の名前でした。

開封したら、舅の川柳碑の写真が出てきました。
「おじいちゃん・・・・・・・」
それを見たら、一度にあの年に戻されました。

十和田市文化協会が「光と風のアートプロムナード・野外文芸館」として、官庁通りの600メートルの歩道に、川柳と俳句と短歌の石版を埋め込み、埋設展示という新しい形の野外文学館を作ったのです。

新聞で作品の募集を知った舅は、毎日、毎日、川柳を考えて応募したのでした。しかし、その年は落選してしまい、なお一層、創作意欲を燃やしたのです。
そして、二回目の「水」という題の時、川柳部門での天位に選ばれたのです。その時の喜びは今でもはっきりと思い出せるほどの喜びようでした。

念願だった石碑が完成したと除幕式の案内が来ました。
でもその時、実は、我が家はそれどころでありませんでした。
娘が危篤状態だったのです。舅には娘の病状を詳しく教えていませんでした。いずれ、悲しむ時が来る。それまでは知らないほうがいいだろうと思ったからです。

舅は出席したいといったのですが、2月だったので寒いからということを理由に、欠席させたのです。
「おじちゃん、暖かくなったらみんなで見に行こう。それまで待ってね」

6月に娘が亡くなり、舅の落胆ぶりは大変なものでした。寝付いてしまったのです。お通夜にも出られませんでした。
しかし、そんな舅が告別式にあらわれたのです。周囲が驚く中
「自慢の孫だった・・・・。だから、今日は前代未聞のことで菜穂を見送ってやろうと思う。爺様のために孫が弔辞を読むことはあるけど、孫のために爺様が弔辞を読んだという話は聞いたことがない」
そう言って、弔辞を読んだのでした。

初孫として菜穂が生まれた時の嬉しさ、高校に一番で入学して答辞を読んだ時の誇らしさ、山形大学の大学院に進んだ時のこと、そして旭電化に就職できたときのこと。
最後に菜穂の遺影に向かって大きく手を振り
「菜穂ちゃん。まもなくじいちゃんもそこに行くから。それまでバイバイ!」
と言ったのでした。会場にいた人、全員が、舅の弔辞に泣かされました。

その後、食事も細くなり、三度の飯より好きな川柳の句会にも出て行かなくなりました。

おっとっとの妹たちと相談して、十和田市まで石碑を見に行ったのは、その年の10月のことでした。
舅は、自分の川柳が、この「駒街道」に永久に残ることをとても喜び、ちょっと元気になり、また川柳の句会に出かけるようになりました。

禍福はあざなえる縄のごとしと言いますが、良い事も悪いことも、あるのが人生。
娘のこと、舅のこと、いろいろ思い出してほろりとしました。
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by asahikanokami | 2013-12-25 15:15 | 我が家の家族と親類

東北お遍路のご報告

東北お遍路の現在の様子をお知らせいたします。

東日本大震災の後、雇用が減り、人口の流失が止まりませんでした。
また、被災地に行ってみたいけれど観光で行くのは気が引けるという声も聞かれました。
さらに、東北では、まだまだ何も復興が進んでない時期に、ほかの地域との、震災に対する温度差も感じました。

これは、もう、多くの人に被災地を見てもらうしかない。来てもらうしかない。多くの人を被災地に呼び込むことで、地域おこしをしよう、風化を防ごうということになり「東北お遍路~こころの道~」プロジェクトが立ち上がりました。

2011年9月のことですから、あれから2年半の月日が流れました。

被災地に公募でお遍路もポイントを作り標柱を立て、多くの人に廻ってもらうというこの事業は、簡単に進むと思っておりました。
それが、思いのほか簡単ではありませんでした。
被災地四県が手をつなぐというプロジェクトは、今までありませんでした。たぶん「東北お遍路」が初めてだと思います。

四県にまたがっているために、会議をしても思うように役員が集まれません。また助成金を申請しても、各県ごとならいただけても、四県にまたがるともらえないのです。資金が少ないので、役員は自腹で活動しています。

それでも、それぞれに熱い思いがあって、お遍路道ができたらきっと地域活性に繋がると信じて活動しています。

今年は、やっと二本の標柱が経ちました。一本は「新地町龍昌寺の釣師観音」
ここは、津波で流されたお墓を探し出し、掘り起こして慰霊のモニュメントを作りました。

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もう一本は「相馬市津神社」です。
ここは、昔から「津波の時はここに逃げたら助かる」と言い伝えられている場所です。今回も百人ほどがここで助かりました。
天皇、皇后両陛下が被災地慰問においでになった時に、相馬市長がその話をしたら、ぜひそこに行きたいとおっしゃったそうです。警備の関係で実現しませんでしたが、何度も
「ここから津神社は見えませんか?」
とお聞きになったそうです。

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11月には、青森県の八戸市から岩手県の岩泉町まで、公募のあった場所を調査してきました。勝手に建てるわけにはいかないので、推薦者や地元の方、そしてそれぞれの自治体にお話を聞きに行きました。

中でも、八戸市の蕪島神社には、ぜひ建てて欲しいと言われました。
今は、道が繋がっていますが、かつては島だった蕪島。
右と左から津波が来て、鳥居の前でぶつかり大きな水柱が上がったそうです。
誰もが鳥居が流されたと思ったのに、津波が収まったら鳥居は無事だったそうです。
前日まで6万羽近い海猫がいたのに、その日の朝は一羽もいなくなって不思議だと思ったら津波がきたそうです。

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岩手県の野田村でも、村長さんにぜひ建てて欲しいと頼まれました。
愛宕神社の大鳥居は村有の土地なので、そこに建てて欲しいと言われました。
多くの遺体が、そこまで流れ着いたそうです。慰霊のためにもぜひと言われました。

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来年は、この二箇所には標柱が立つと思います。さらに、宮城県の山元町や石巻市などにも建てたいと準備中です。

点が線になり、一本の道が出来上がり、その道を多くのお遍路さんが歩いてくれたなら、地域の復興にはずみが出て、また、被災地とお遍路さんとの絆もできると思います。

よく間違われるのですが、東北お遍路は宗教とは無関係です。
これから先もずっと語り継いでいきたい、津波被災のストーリがある場所をポイントに選んでいます。
支援してくださる企業や、応援して下さる個人会員も募集しています。
どうぞ「東北お遍路~こころの道~」を応援してください。

by asahikanokami | 2013-12-25 12:23 | 避難生活

福島県に原発ができたわけ

ずっと更新もせず、コメントのお返事も書かず、ここを覗きにもこず、無責任極まりない状態でした。
申し訳ございません。
フェイスブックに書いていると、それだけで満足してしまって、ブログはいいかなぁと思ってしまっていました。
でも今日は、やはりブログに書かなきゃと思っています。

昨日、東北学院大学と新地町教育委員会の共催で「歴史としての東日本大震災in新地」というシンポジュームが開催されました。
私もパネラーとして参加し、紙芝居も披露することができました。

その中で相馬市史を研究しておられる佐々木秀之先生の講演を聞いていて、背中が寒くなりました。
これは絶対に忘れてはいけない。多くの人に知って欲しい。
そう思ったので、ここに記録しておこうと思います。

明治38年に、それまで自由に作っていた塩が、塩専売法の公布で勝手に作れなくなりました。
塩田は政府の管理下におかれました。
しかし、太平洋戦争の勃発により、塩不足になったことで、昭和17年には自家用製塩製造許可法ができて、自由に作ることができるようになります。

それに伴い、福島県沿岸でも盛んに塩が作られることになりました。
相馬市や新地町などでも相馬塩業という会社ができて、製塩業をはじめました。

戦後、相馬塩業の社長の釘本さんが福島市長になったことで堤康次郎さんに代わります。(相馬塩業といっても、相馬市や新地町以外の人が経営していたんですね)
財閥の手に渡りました。
しかし昭和24年に日本専売公社が発足。塩は専売となりました。

相馬塩業は経営不振に陥り昭和33年に事業が打ち切られました。
同じようなことが、福島県沿岸の市町村でも起きました。

その後、塩田や製塩工場用地は、いろいろな会社の手を経て、東日本興業の所有になり、やがて相馬共同火力発電の手に渡り、火力発電所が建設されました。

新地町は、原発建設に反対したので火力発電所になりましたが、他のところには原発が建つことになったのです。

昭和38年ごろの新聞を見ると、原町市(現南相馬市)の当時の渡辺敏市長などは、原発建設に手を上げていたことがわかります。

福島第一原発の場所は、もともとは旧陸軍の飛行場だったところに、国土計画興業が塩田と製塩工場を造った場所だったそうです。

佐々木先生は最後に、こんなふうにおっしゃいました。

「今、被災した沿岸は、国や市町村が買い上げ、海浜公園になる計画が進んでいます。それはすばらしいことです。しかし、一つ落とし穴があります。もし、市町村が経済的な理由でその場所を一括して売ったなら、何が建つかわからないということです。歴史をしっかり学び、次世代に伝えていくことが大事です」

国は、自分たちの都合で法律を作り、塩を専売にして利益を得て、塩が足りなくなると法律を変えて自由にし、また、利益を得るために法律を改正して専売にして多くの会社をつぶし(会社をつぶすことが目的でなかったとしても)てきました。
お米もそうです。TPPが決まれば、農作物のみならずいろいろなものに影響が出ることでしょう。

被災地に造られる広大な公園。そして不必要なほどの高さの堤防の建設。
二度と、これらを原発建設に利用されないように、しっかりと見張っていこうと思います。

by asahikanokami | 2013-12-15 10:43 | 避難生活