朝日館の女将のてんてこ舞日記


東日本大震災で被災した小さな旅館の女将の日々
by asahikanokami
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ダイアモンドプリンセスの旅2(出港)

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さて、上野駅で下車した私たちを、高木先生が上野に連れて行ってくださいました。
上野の西郷さん。たぶん・・・・高校の修学旅行の時に来たのが最後かもしれません。
実に半世紀ぶりの再会です。
こんなに大きかったのかしら?修学旅行の時の記憶がありません。
それから、「駒形どぜう」という有名なドジョウ料理屋さんに連れて行ってもらいました。
人生初のドジョウ。
その姿から、ちょっと箸をつけるのを躊躇したのですが、食べたら、おいしい!!
初めて食べると言ったら、いろいろな料理を頼んでくださいました。
どれも、とてもおいしかったです。
ドジョウに対する認識が変わりました。
食後は、浅草の観音様をお参りして、横浜港まで送っていただきました。
大さん橋に着いたときは、集合時間の30分前だったのですが、すでにチェックインが始まっていて、先生にろくにお礼も言わないうちに乗船でした。
写真を撮ろうとしたら、あまりに大きな船で、全容を撮ることができませんでした。
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送った荷物は、すでにお部屋の到着していました。
お部屋に入ってびっくりしたのは、海側のお部屋でバルコニーのつかないお部屋を予約したのに、用意されていたのはバルコニー付きのお部屋でした。
ラッキー!!
二人で、バルコニーに座ってみたり、クローゼットに服を入れたり、荷物の整理をしているうちに、いよいよ出港です。
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汽笛が鳴り、静かに船が動いていきます。
夢を見ているようで、ほっぺを何度もつねってみました。
赤煉瓦倉庫が見えます。
ベイブリッジを通過するときは、ぶつからないかと心配でした。橋と船の差は、わずかに1メートルなそうです。
夕ご飯の時間になってしまいました。

# by asahikanokami | 2016-06-18 17:45

ダイアモンドプリンセスの旅4(どこの夫婦も)

乗船して最初にしたのは、避難訓練でした。
船内放送があり、全員が避難訓練を受けました。
なにしろ乗客は、2800名。集まってくる人、人、人、人。これほど多くの乗客がいるなど想像できません。すごい人数です。
「すごい人だなぁ。どこから来たんだべ?」
おっとっとが目を丸くしています。
どこから来たのかって?決まっているじゃないですか。客室からです!
三分の二が、夫婦。または一見夫婦。残りは女性グループ。
見渡す限り、男性だけというのは見当たりません。
半分は、外人です。半分は日本人です。船内の案内は、英語と日本語と両方です。
船員は、ほとんどが外人です。日本語がわかる人と、まったくわからない人がいます。
出港してから、レストランやイベント会場などの船内で、いろいろな夫婦を見ました。
とても面白いです。
見ていると、なるほど、このご主人には、やはりこの奥さんだよなぁと納得できます。
神様の采配はすごいと思います。
あら!私たち夫婦も、そんな風に見えるのでしょうか?それほど相性はよくないのですけど、見た目はお似合いの夫婦でしょうか。困るなぁ・・・・・。これでも、一緒に生活するには、結構大変なんですよ。向こうもそう思っているかもしれませんが。
そして、あちこちで目撃しました。
エレベーターの前で。レストランで。トイレの前で。プールのわきで。etc。
激しく奥さんに怒られているご主人の姿を。
どの夫婦もすべて、怒られているのはご主人でした。それも、傍で見ていて気の毒になるほどの激しさで怒られていました。
12階の私たちの部屋から下を見ると、階下の部屋のバルコニーが見えます。
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日本人だけかなと思ったら、なんと、外国の人も奥さんに激しく怒られていました。
そして、今夜、コンサートで隣に座った奥さんが、こんなことを言いました。
「昨日までは、船内がよくわからなくて、主人と一緒でないと不安だったけど、3日目ともなると慣れてきて、主人なしでも大丈夫。今日から、別行動なの。コンサートっていうと『そんなもの聞かない』って言うし、ショッピングすると『家に同じような洋服あるだろう』っていうし、ほんと、邪魔!」
ふっふっふっふっふ。その気持ち理解できます。
我が家も、今夜は、おっとっとはカラオケに行きました。私は、ピアノのコンサートの後、こうして部屋でブログを書いてます。



# by asahikanokami | 2016-06-18 17:35 | 私のこと

ダイアモンドプリンセスの旅3(食事などのこと)

夕ご飯は、メインダイニングが5つあります。
最初に、どのダイニングで食べるかは決められています。時間も席も決まっています。
私たちは、インターナショナルダイニングでした。この旅行の間、夕食はここで17時半から食べることができます。
ほかの時間や、ほかのものを食べたいときは、ブッフェ(24時間)とかピザとかハンバーガーとかアイスクリームなどがあります。
ほとんどが無料で、好きなものを好きなだけ食べられます。
ただし、お寿司やステーキハウスやイタリアン、しゃぶしゃぶなど有料のレストランもあります。
ルームサービスも無料で、飲み物や果物や食事をお部屋で食べることができます。
食事が終わって、出てきたら、グランドプラザでコンサートをしていました。
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同時多発的に、船内でいろいろなイベントがあり、面白そうなものに参加しようと思うと、寝る暇がなさそうです。
今日は、第一日目ということで、おとなしく寝ることにしました。
室内では、NHKのBSと映画のビデオを見ることができます。
シャワーがついていますが、バスタブはありません。
15階にスパがあって、予約制で90分15ドルなそうです。
「二人で30ドルかぁ・・・・」
と懐勘定をしていたら、息子に出発前
「最初で最後なんだから、お金がもったいないなんて言わないで、一度は入浴して来たら」
と言われました。
そうだなと思いつつも、迷っている私です。
船は、ほとんど揺れなくて、船中にいることを忘れて熟睡しました。
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# by asahikanokami | 2016-06-16 16:43 | 私のこと

ダイアモンドプリンセスの旅1(はじまり)

突然ですが、今、洋上にいます。
つまり、太平洋の上です。
10年ぐらい前になるでしょうか、ドイツを旅行した時に、同じツアーに74か国を旅行したご夫婦がいました。
いろいろな旅のお話を散々聞いて、最後にこう質問しました。
「今まで行かれた中で、一番良かったところはどこですか?私たちの次の旅行地にしたいです」
「どこって・・・・どこもそれぞれ良かったです。でも、また行きたいというと・・・・」
私は、ぐっと身を乗り出しました。
「行きたいというと?」
「クルーズかなぁ・・・・。何度かクルーズ旅行をしたけど、どのクルーズも楽しかった」
クルーズかぁ。
その時
「よーし!次回はクルーズ!」
と、心に決めたのでした。
それから10年の歳月が流れ、被災したり、旅館を廃業したり、家を新築したりと、あっという間に時間が流れてしまいました。
被災直後は、旅行どころではありませんでした。家が出来上がり、引っ越し、やっと落ち着いたので、念願のクルーズ旅行です。
嬉しくて!嬉しくて!まるで遠足の前の子供のように、ルンルンで旅行準備をしました。
いよいよ、9月15日、横浜港発「ダイヤモンドプリンセス 沖縄、台湾クルーズの旅」に出発です。
横浜商船大学の高木先生が、私たちが無事に船までたどり着けるのか心配をしてくださって、東京から横浜の大さん橋国際客船ターミナルまで連れて行ってくださることになりました。
しかも、お昼をごちそうするからと誘ってくださいました。
出発前から、楽しい旅が始まりました。

# by asahikanokami | 2016-06-16 16:21 | 私のこと

恩送り

「恩返し」というものがあります。
恩を受けた人に、後でお返しをするものです。

同じように、恩送りというものもあります。

あの日、バック一つとお位牌を4つ持って避難した私。
まさか、あんな大きな津波が来て、何もかも持っていくとは思ってもいませんでした。
けれど、世界中から支援が届き、そのおかげでこうして生活ができています。
どんなにお礼を言っても言い足りないです。

そして、九州の地震被害。
つぶれてしまった家や、ずたずたの道路をテレビのニュースで見た瞬間に、あの日がフラッシュバックして心臓が早鐘を打ちました。
涙が止まりませんでした。
数日間は、ニュースを見ることさえできませんでした。

被災した方のお気持ちがわかります。辛さが伝わってきます。
だからといって、ボランティアに行っても足手まといになるだけです。
何かしたいと思っていたときに、友人のブログで支援物資を配ってくださる方がいることを知りました。

公的な支援団体や行政に送っても、なかなか被災者に届かないのは経験済みです。
新地町でも、たくさんの支援物資が配られないまま賞味期限が切れてしまいました。
なぜ配らないかというと、被災者全員に配るだけの数がない品物だからです。
不平等にならないように、全員に配ることができるまで、保管されています。
そのうち、賞味期限が来ます。そして破棄されます。

もったいない話です。
避難所には、物がなくて、特に食料は少なくて毎食、小さなお結びが一個とほんの少しのおかずだけでした。
調味料も少なくて、缶詰の汁も捨てないで調味料代わりに使いました。

支援物資を送ってくださった方は、ただ品物を送ってくださったのではなく
「がんばれ!応援しているからね」
という気持ちも送ってくださっているのです。
そのお気持ちを、むざむざと捨てるのは申し訳ないことでした。

千年に一度の大震災。杓子定規なことを言っていても始まりません。臨機応変に対応していかないとなりません。
采配を振る人が必要でした。いなかったけど・・・・・・。

熊本に何か送りたいと思っていました。
だれか、送ったものを配ってくれる人はいないかと探していました。
少量の荷物でも、必要としている人に配ってくれる人を探していました。

いました!
友人のブログで知りました。私がローマで独りで始めたわけというブログです。

ローマに住んでいる彼女もまた、東日本大震災の時は、あちこちで精力的に支援活動をしてくれた人です。

恩送りという言葉があります。
恩返しではありません。

受けた恩を、困っている誰かに送るのです。
恩人にお返しするのではなく、お返しする感謝の気持ちで、次の困っている人に送るのです。

あの時、たくさんのご恩を頂きました。
少しですが、熊本に恩送りしたいと思ってます。

# by asahikanokami | 2016-05-03 20:47 | 私のこと

再開しようかな・・・・・

ブログを書かない日が、一年以上も続きました。
書き始めると、続くのだけど、書かないでいると、ついつい億劫になってしまします。

毎日のちょっとしたことは、フェイスブックに書くので、それで満足していました。

で、今日は、ずっと、ずっと、始めようと思いながら億劫に思っていたことを二つ始めました。
もちろん、一つがブログです。
もう一つは、習いに行きたいと思いながら、先延ばしになっていた織物教室。
連休明けの教室を予約しました。

さて、我が家のおっとっと。
どう言う風の吹き回しか、突如、ガーデニングを始めました。

去年の秋に植えたチューリップ。
これは、半月ほど前の写真です。今は、すべて散ってしまいました。

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晴れた日は、寝ていられないらしくて、早々と起きて庭にいます。
少々の雨でも、庭にいます。
ですから、どちらが裏か表かわからないほど日焼けしています。

バラもつぼみが出てきました。
咲いたらアップします。

# by asahikanokami | 2016-05-02 23:10 | 私のこと

我が家の建設状況

「ブログ読みました」
と言われる度に、これ以上小さくなれないほど小さくなって
「すみません・・・・・・更新していなくて・・・・・」
と言っていました。
だが(などと威張ってどうする、私!)いよいよ満を持して(大げさだな)更新することにしました。というより、更新しなきゃと思いました。

ブログの書き方を忘れる程のご無沙汰です。申し訳ありません。
まずは近況のご報告。
あちこちで被災体験を語る活動は、たぶん・・・・260回は超えたと思います。
口演依頼を頂けることは、本当に嬉しいことです。いつも、楽しみにして出かけていきます。
いろいろな人との出会いは、生きていてよかったという思いの確認になります。ありがたいことです。

東北お遍路は、青森から福島までの四県で120箇所近くのポイントを応募していただきました。
その応募していただいたポイントが、千年先まで語り継いでいくポイントとして、本当にふさわしいのか、その場所に出かけて行って、調査をしています。
すでに三分の二ぐらいの調査が終わりました。
そして今は、学識経験者の方を交えて、巡礼地創生委員会を開き、最終ポイントを決定するところまで来ています。
今年度中には、きめたポイントを地図に落とす作業をして、地図を完成させたいと思っています。
地図が出来上がったら、それを持って巡礼をしていただけます。

エコたわし編み隊は、今年の3月に、一旦活動を休止しました。
昨年末までに、高齢者支援住宅や、公営支援住宅が完成し、半分以上のおばあちゃんたちが仮設から引っ越していきました。会員が集まってくるのが難しくなったので、一度休止をし、このあとの活動については、全員が仮設から出て、新しい生活が落ち着いた頃に、もう一度考えようということになりました。
とりあえず、同窓会はしましょうと決めました。

今、小川公園仮設は、6割が空家になっています。
公営の住宅に移った人、自宅が完成した人が引っ越していきました。
新居でお正月を迎えたいと、代替え地は、今、建設ラッシュです。年末には、随分と空家が出ることでしょう。

我が家も、おかげさまで、12月15日に完成、22日に引渡になります。23日に大きなものを引越しさせ、1月いっぱいかかって、小物を引越しさせたいと思っています。

アトリエΣの石川社長が、とても素敵な家をデザインしてくれました。細部まで、彼のこだわりが満載の家です。施工業者が、頭を抱え、大変な思いをしながら建設しています。大工さんも、左官屋さんも、内装屋さんも、異口同音に
「いつもハウスメーカーの仕事ばかりだから、こんな大変な仕事は、したことがない。でも自分でいろいろ工夫したり、考えたり出来て楽しかった。久しぶりに達成感を感じた。家が完成したときに写真を撮りに来ます」
と言ってくれました。
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一階の窓が二つあるところが寝室です。その左隣は、お友達にとまっていただけるように作った和室です。二階は、息子の部屋です。
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玄関です。スロープで上がるように、外構とスロープの工事中です。
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石屋さんが、外構の石積みをしていました。
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コンクリートの四角い場所に、ウッドデッキができます。
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サッシ屋さんを泣かせた、三角窓と丸窓。

# by asahikanokami | 2014-11-29 12:36 | 避難生活

地鎮祭

毎日の忙しさに追われて、ずっと更新しないままのブログでした。
なにしろ、被災のお話をしに、あちこち飛びまわっていて、その回数は200回を超えました。

近い所や昼の口演は、日帰りでも十分なのですが、遠かったり、夜だったりすると宿泊が伴います。
そうなると、二日間拘束されます。

被災した時に、多くの方に支援していただいたお礼にと思って活動していますが、だんだん体力が持たなくなってきています。
できる限りお断りせずにと心がけているのですが、流石に辛い日もあります。

8月からは、少しセーブをしようかなと思っています。断ることも必要かなと・・・・・。

さて、待ちに待った我が家の地鎮祭をしました。
高校の同級生の(株)アトリエΣ社長石川久さんに、設計をすべてお願いしました。
「この予算内で好きなように建てて」

彼は笑って
「どんな家になってもいいの?知らないよ」
と言ったけど、私たち家族は、彼の才能を知っているのです。朝日館の新館は彼の設計でした。

石川さんの設計した家に住みたい。
これが、うちの家族の一致した希望でした。

なかなか出来上がらなかった設計図。あまりに素晴らしい家になってしまい、予算を大幅にオーバーしてしまいました。それから数ヶ月。どこを削るのか、どこを残すのか、石川さんが苦悩し、考えに考え、コンセプトそのままで、予算内の設計が出来上がりました。

そしてやっと地鎮祭です。
四角の土地270坪の対角線上の15度ほど斜め線上に家が建ちます。
真正面に、新地町のシンボルの鹿狼山を見ながら生活できるようにという、石川さんのアイディアです。

お部屋は、5つ。1階に、私たちの寝室と客室とリビング。2階に息子の部屋と私の作業室。
今までの旅館から比べると、小さな、小さな家です。
お風呂は、鹿狼山を見ながら入ることができるように、戸を開け放すと半露天風呂風になります。湯船は陶器なそうです。

庭も彼がデザインしてくれました。客室から見るお庭は素敵です。
完成は、12月中頃。年内に引越しできそうです。

おっとっとは、毎日、嬉しそうにカメラを抱えて現場に通っています。大工さんの邪魔にならないといいのですが。
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# by asahikanokami | 2014-08-01 18:43 | 避難生活

あの日からみんな、同士

昨日は、仮設の集会所でエコたわし編み隊の活動がありました。
この仮設から、孤独死を出したくないという思いで始めたエコたわし編み隊の活動も2年が過ぎました。

同じ地区に住んでいて、顔や名前は知っていても親しくお話したことのない人達と、この活動を通じて仲良しになれました。中には、顔も知らなかった人もいます。今ではすっかり仲良しです。

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いろいろな世代の、いろいろな人。
その人のことをあまり知らないと諍いが生まれます。けれど、とても良く知れば、仲良くなれます。
知らない人から自分が嫌なことをされると、許せなくても、よく知っている人だと我慢できるし、気にもなりません。人間の心って不思議です。

おかげで、この仮設は、争いごともなく、みんな穏やかに暮らしています。
エコたわしの活動を始めてよかったと、心から思っています。

毎週、月曜日に集まって、エコたわしを編み、それを売ってまた毛糸を買って編む。余剰金は、お茶菓子代。
編み物のあとは、みんなでお茶を飲みます。
楽しいおしゃべり。編む手も良く動きますが、口も良く動きます。

最近は、といいますか、最近になってやっと、あの日の話が出てくるようになりました。
そのあとのことも。
車で、津波に追われて半分流されながら、瓦礫にひっかっかってやっと助かった話。
一緒に避難しようと誘ったのに、寒いからと断られ、その結果、亡くなっってしまった隣人への悔い。
その後、子供のところに避難したけれど、子供には子どもの生活があって、結局は避難所に戻った話。
などなど。

そして思います。
あの時、被災した多くの人達。全ての人が、何かを失いながらも、それでも必死に生きたこと。
届いた支援物資を、分け合い、一緒に頑張ったこと。
あの時から、被災した誰でもが同士になったこと。
だから、これからも支えあって、生きていきたい。

高齢者支援住宅と公営住宅が完成し、昨年末から引越しのトラックが、仮設の通路に止まっていることが多くなりました。
あちこち、空き部屋が目立ちます。
今日も一軒、引っ越していきます。

仮設が空くということは、新しい生活が始まった印。
喜ばしいことですが、寂しくもあります。

我が家は、造成工事が大幅に遅れていて、まだこんな有様。

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なんとか5月頃には、引っ越したいものです。

# by asahikanokami | 2014-01-21 11:27 | 避難生活

正一の川柳碑

今日、十和田市文化協会から一通の封書が届きました。
宛名を見たら7年前に亡くなった舅の名前でした。

開封したら、舅の川柳碑の写真が出てきました。
「おじいちゃん・・・・・・・」
それを見たら、一度にあの年に戻されました。

十和田市文化協会が「光と風のアートプロムナード・野外文芸館」として、官庁通りの600メートルの歩道に、川柳と俳句と短歌の石版を埋め込み、埋設展示という新しい形の野外文学館を作ったのです。

新聞で作品の募集を知った舅は、毎日、毎日、川柳を考えて応募したのでした。しかし、その年は落選してしまい、なお一層、創作意欲を燃やしたのです。
そして、二回目の「水」という題の時、川柳部門での天位に選ばれたのです。その時の喜びは今でもはっきりと思い出せるほどの喜びようでした。

念願だった石碑が完成したと除幕式の案内が来ました。
でもその時、実は、我が家はそれどころでありませんでした。
娘が危篤状態だったのです。舅には娘の病状を詳しく教えていませんでした。いずれ、悲しむ時が来る。それまでは知らないほうがいいだろうと思ったからです。

舅は出席したいといったのですが、2月だったので寒いからということを理由に、欠席させたのです。
「おじちゃん、暖かくなったらみんなで見に行こう。それまで待ってね」

6月に娘が亡くなり、舅の落胆ぶりは大変なものでした。寝付いてしまったのです。お通夜にも出られませんでした。
しかし、そんな舅が告別式にあらわれたのです。周囲が驚く中
「自慢の孫だった・・・・。だから、今日は前代未聞のことで菜穂を見送ってやろうと思う。爺様のために孫が弔辞を読むことはあるけど、孫のために爺様が弔辞を読んだという話は聞いたことがない」
そう言って、弔辞を読んだのでした。

初孫として菜穂が生まれた時の嬉しさ、高校に一番で入学して答辞を読んだ時の誇らしさ、山形大学の大学院に進んだ時のこと、そして旭電化に就職できたときのこと。
最後に菜穂の遺影に向かって大きく手を振り
「菜穂ちゃん。まもなくじいちゃんもそこに行くから。それまでバイバイ!」
と言ったのでした。会場にいた人、全員が、舅の弔辞に泣かされました。

その後、食事も細くなり、三度の飯より好きな川柳の句会にも出て行かなくなりました。

おっとっとの妹たちと相談して、十和田市まで石碑を見に行ったのは、その年の10月のことでした。
舅は、自分の川柳が、この「駒街道」に永久に残ることをとても喜び、ちょっと元気になり、また川柳の句会に出かけるようになりました。

禍福はあざなえる縄のごとしと言いますが、良い事も悪いことも、あるのが人生。
娘のこと、舅のこと、いろいろ思い出してほろりとしました。
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# by asahikanokami | 2013-12-25 15:15 | 我が家の家族と親類