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ダイアモンドプリンセスの客室には、ジュニアスイートとスイート以外は、シャワーのみです。大浴場が15階にありますが、有料です。
90分の利用で15ドル。その値段を見て、シャワーだけで我慢しようと思っていました。 しかし、息子に 「せっかくダイアモンドプリンセスに乗るんだから、お金がもったいないなどと言わずに、お風呂に入ってきたらいいのに。良い思い出になると思うよ」 と言われて、思い直しました。 そうだよね。一生に一度のこと。(二度あってほしいと願ってはいるけれど)お風呂に入ることにしよう! お風呂は予約制です。夜は混むらしいし、昼なら海を見ながらお風呂に入れます。いろいろなアトラクションも、昼よりも夜のほうが充実しています。 それで、8日目の10時に予約を入れました。 おっとっとは、朝食が済むとすぐに、船内の写真を撮るといって出かけていきました。 「予約は10時だからね。遅れないようにしてね」 と言って送り出したのに、9時45分になっても帰ってきません。50分になっても帰ってきません。55分になったので、さすがの私も心配になりました。 部屋の入り口で待っていましたが、来ないのです。お風呂のフロントに電話をしました。 「10時に予約した村上ですが、主人が帰ってこないので10分ぐらい遅れます」 すると 「ご主人様は、ここでお待ちです」 まったく!!もう!! 急いで15階に上がって、お風呂に入ってきました。 大きな浴槽が4つ。そのうち2つは、天井がない露天風呂(危険なので全面はガラス張り)でした。しかもジャグジー!海を見ながら潮風に吹かれて入るお風呂は、ぜいたく極まりなくて至福のひと時でした。 空は晴れ、海は穏やかです。ミストサウナにも入りました。汗をかいて少し体重を減らしたいです。大きな浴槽が4つもあるのに、入浴している人は10人もいません。ゆくりとお風呂を楽しみました。 男湯は、ミストサウナではなくて、打たせ湯だったそうです。おっとっとは、話し好きの元関取の方とおしゃべりしながら、のぼせるぐらい入浴したそうです。 「いやぁ、俺よりもしゃべる人がいてびっくりした。よくしゃべるなぁ。ずっとしゃべっていてもう少しでのぼせるところだった」 たぶん、今頃、向こうも同じ感想を言っていると思いますよ。 #
by asahikanokami
| 2016-06-22 14:18
| 私のこと
「さすがに」
朝、顔を見たらむくんでいます。 「あらぁ、真ん丸な顔。二重あご・・・・・」 おなかもポッコリ。ということは・・・・むくんだのではなく、太ったのだ!! そういえば、朝もしっかり食べて、台湾に滞在中は、台湾の海鮮料理をしっかり食べて、夕ご飯もしっかり食べて、夕べに至っては、イタリアンのフルコースを食べてしまいました。 これではいかん!! 今朝は、サラダとヨーグルトとオレンジジュースだけにして、デッキをウォーキングしました。二周も。 この船の長さは、290メートル。幅は、38メートル。18階まであります。 各階ごとに、フロアの名前がついていて、私たちの客室がある12階は「アロハ」です。 七階には、「プロムナード」という名前がついていて、その名前の通り、船のデッキを一周ぐるっと散歩ができます。潮風に吹かれながら、船の外周をめぐることができるのです。 今日は、歩かなきゃ! レストランから出てきたら、なにやら聞き覚えのある音楽が流れてきました。これを聞いたら、自然に体が動きます。 「ラジオ体操~~~!第一~~~!」 朝ごはんを食べに来た人も、足を止めてラジオ体操を始めました。大勢の日本人が、一斉に体操を始めたので、外人さんたちが、不思議そうな顔をしてカメラのシャッターを切っています。続いて第二体操。 ラジオ体操は、毎朝、7時から9時まで、10分おきに開催されます。 屋外の大型スクリーンにお手本の映像が流れるので、忘れかけている第二体操でもすることができます。 体がほぐれたところで、いよいよウォーキングです。大勢の人が、歩いています。 3日目にも、おっとっとと一緒にウォーキングしたのですが、その時は、数人しか歩いていませんでした。いかにもウォーキング上級者という感じの人ばかりでした。 たぶん、普段でも毎朝、歩いているのでしょうね。足取りの軽さが違いました。 でも、今日は、違います。速度もいろいろ。杖をついている人。老人カーを押している人。途中のデッキチェアで休んでいる人。時々立ち止まって写真を撮っている人。歩いているのか、しゃべっているのか、区別のつかないご婦人の集団。などなど。 それぞれが、それぞれに、歩くことを楽しんでいました。 こんなに大勢が歩いているということは・・・・・・・、皆さんも私と同病ですね、きっと。 後残すところ、明日一日。あさっては横浜に着きます。名残り惜しいなぁ。 今日は、これから一人15ドルを支払って、大浴場に行きます。 体験報告は、まて!次回!(お友達のにゃんこさんを真似してみました) #
by asahikanokami
| 2016-06-22 14:14
| 私のこと
現地のガイドさんが、時々
「きゃ、きゃ、きゃ」 と言います。どうやら運転手さんに言っているみたいです。 どういう意味か聞いてみました。 日本語だと 「行こう、行こう、行こう」 という意味なそうです。 「行こう」 と言う時は 「きゃ」 「ほらもう行こうよ」 と言う時は 「きゃ、きゃ」 「急げ!行くぞ!」 は 「きゃ、きゃ、きゃ」 なそうです。あまちゃんのドラマで有名になった岩手弁 「じぇ」 「じぇ、じぇ」 「じぇ、じぇ、じぇ」 に似ていて面白いなあぁと思いました。 ガイドさんは、出発の度に 「きゃ、きゃ、きゃ」 と、三度、結構早口で運転手さんに言っていました。 #
by asahikanokami
| 2016-06-22 14:09
| 私のこと
花蓮が、この旅の最終観光になりました。今日の、15時30分には、花蓮港を出港して横浜に帰ります。
船に乗ったら、後は帰るだけです。旅は終わります。もっと乗っていたいです。残念です。 花蓮では、大理石工場を見学の後に、太魯閣渓谷に行きました。 台湾には三千メートルを超える山が、百幾つあるそうです。(数字は忘れました)そのうちの三分の一が、花蓮にあるのだとか。 バスで曲がりくねった道を走って行くと、切り立った崖が現れます。走っても、走っても、道の両側は切り立った崖です。風光明美。こんな風景のことを言うのでしょうね。 ガイドさんに聞いたら、広い道ができるまで、花蓮に住んでいる阿見族が使っていた道なそうです。幅は30センチぐらいだとか。足を踏み外したら、200メートル下の谷に真っ逆さまです。 あの高さで、30センチしかない道を歩くなんて、高所恐怖症の私にはできそうにありません。きっと足がすくんで、一歩も歩けないと思います。 進むもならず、戻るもならず。途中で泣きながら立ち止まっている私を想像しました。 戻れないなら、前に足を出すしかないです。恐怖に震えながらでも、一歩前に出るしかありません。泣きながらでも、歯を食いしばって一歩前に出るしかありません。 一歩ずつ進んでいったら、必ず、広い道に出ることでしょう。 人生と似てるなと思いました。 相次いで両親が亡くなり、次いで姑が亡くなり、追いかけるように娘までも亡くなりました。 あの時、私の足はすくんだままでした。歩くことができませんでした。しかし、舅が痴呆になり、次第に寝たきりになってしまいました。商売もしていたので、どうしても歩かないわけにはいきませんでした。 一歩足を出しました。また一歩。また一歩。 そのうちに、次第に普通の生活を取り戻すことができました。舅には申し訳ないのですが、あの時に、介護があったから、立ち直れた気がします。 そして、舅が亡くなり、そして、東日本大震災で被災してしましました。 でも、この時は、以前の私ではありませんでした。多くのことを乗り越えてきたことが、自信につながりました。娘を亡くすという、あの大変な経験に比べたら、旅館や自宅を無くしたことなど、がんばれば乗り越えられると思いました。これは、がんばっても乗り越えるのが難しい体験をしたおかげです。 花蓮の人たちも、一歩ずつ、一歩ずつ前に進んで、山を越えられたとき、きっと大きな勇気と生きていく力を持ったことでしょう。改めて、車が通れる道ができてよかったと、心の底から思いました。 #
by asahikanokami
| 2016-06-22 14:07
| 私のこと
7日目の朝6時。大音量の音楽で目が覚めました。
まだ夢を見ているのかしらと思いました。 実は、前日、隣の部屋の人が誕生日だったのです。なぜわかったかというと、ドアの前に「ハッピーバースディ」の貼り紙がしてあり、ハートの風船が二つ浮かんでいました。 そしたら、どうやら誕生祝をしているらしく、大音量で音楽をかけてダンスをしているみたいなのです。 音楽が聞こえてくるし、リズミカルな足音まで響いてきます。それは、深夜まで続きました。 その音が気になって、寝付けませんでした。 やっと寝たかと思ったら、また大きな音が聞こえてきたので、夢を見ているのだと思ったのです。 しかし、カーテンの向こうは明るくて、どうやら音は船の外から聞こえてきます。 バルコニーから覗いてみると、船が花蓮港に入港するところでした。港で阿美族の民族衣装を着た人たちが踊っています。 どうやら歓迎の踊りのようです。振付を見ていると、日本の盆踊りにそっくりです。 船内で開催されるハワイアンダンス教室に行ってみたのですが、私のフラダンスは、どうしても盆踊りにしかなりませんでした。でも、これなら踊れます。 あわてて着替えして、大急ぎで朝食を食べて、出かける準備のために部屋に戻ると、皆さんはまだ踊っていました。かれこれ60分ぐらいになります。すごい体力です。 そしてそのまま帰らずに残っていて、観光バスが出発するのを見送ってくれました。 下に降りて、踊っていた人を見たおっとっとが 「12階から見たときは若いと思ったのに、近くで見ると年増だなぁ」 などと失礼なこと言います。 年増だろうとなんだろうと、一時間以上も踊り続けた体力に脱帽です。 みなさん、歓迎の踊りを踊ってくれてありがとうございました。 #
by asahikanokami
| 2016-06-22 14:04
| 私のこと
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