朝日館の女将のてんてこ舞日記


東日本大震災で被災した小さな旅館の女将の日々
by asahikanokami
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仙台通い

仙台に通っています。場所は広南病院。
私が病気というわけではありません。もちろん、おっとっとも元気です。

お正月に、91歳の叔母(おっとっとの叔母です)が入所している介護施設から電話がありました。朝から右足がしびれると言っていたらしいのですが、夕方、トイレに行った帰りに足がもつれて転んだらしいのです。
その後、右足が動かないし、呂律も廻らないという連絡でした。

でも、私はそんなに心配しなかったのです。
なぜなら、20年ほど前に交通事故にあっている叔母は、寒い時期や季節の変わり目には、全身がしびれたり、呂律が回らなくなったりしていたからです。少し経つとまた元の元気な叔母に戻ることが多かったのです。

とりあえず、顔を見れば安心するだろうからと、翌日施設に出かけました。
右手がしびれると言っていましたが、顔色も良くて、施設のお医者さんも経過を観察しましょうと言っているとのことでした。安心して帰ってきました。

その翌日、どうもいつもと様子が違うからおかしいと言うので、広南病院に連れて行ってもらったらしいのです。
心臓にペースメーカーを入れているので、MRIを撮ることができず、CTだけなのではっきりしないが、脳こうそくを起こしているらしいと、緊急の入院になりました。

集中治療室に入っていると連絡をもらったので、万が一のことまで心配してしながら飛んでいきました。途中、なぜ、あの時、いつもと同じだと思ったのかしら。もっと早く気がついてあげられたのに。
もしものことがあったらと、涙が出そうでした。

幸い、命にかかわるほどではなかったとで、本当にホッとしました。
でも、どうやら右半身に麻痺が残るらしいです。

叔母には子供もなく、叔父はとうの昔にあちらに行ってしまい、兄弟も半分は亡くなり、残りも高齢。親類の少ない村上家としては、私が面倒を見るしかありません。

というわけで、毎日仙台に通っています。(運転手つきですが)
おっとっとの妹が、仙台市の隣の名取市に住んでいるので、時々、交代してくれるのがありがたいです。
昨日は、妹夫婦と病院で落ち合って、その後、4人でお茶してきました。仮設にいると、おしゃれなカフェなど無縁なので、叔母には申し訳ないのですが、ちょっと楽しかったです。2時間もおしゃべりしてきました。

今日は、雪が降ったので妹が行ってくれて、仙台通いはお休み。
たまっているお返事の手紙を書いたり、いただいた年賀状にゆっくり目を通したりしています。

さっき、妹から電話があって、どうやら一般病棟に移ったようです。ちょっと安心しました。
明日は、又仙台に行ってきます。叔母が元気になってきたら、ついでに仙台で、命の洗濯もして来ようと思っています。(デパートに行きたいと思っていることは、ナイショです)

# by asahikanokami | 2013-01-09 19:14 | 我が家の家族と親類 | Comments(5)

こいつぁ~初春からぁ~

元日にどっさり年賀状が届きました。世界中から!!

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宛名は「小川仮設村上様方 小川仮設の皆さんへ」となっています。
この年賀状の山は、ブログ友のjunkoさん(ローマ在住)が
「小川仮設の皆さんへ年賀状を送りましょう」
と、ご自分のブログで呼びかけてくださったからです。

きっと、一人暮らしの方に届く年賀状は少ないだろうから、皆で年賀状を送って励まそうと思ってくださったのだろうと思います。

彼女は、昨年、一昨年と3回も小川仮設に支援に来てくださいました。そのうち二回は餅つきをしてくれました。その夜は、集会場に泊まって仮設の皆と宴会もしました。

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さて、年賀状をどう配ろうか?junkoさんは、一人暮らしの方や年配のご夫婦にと言っていたけれど、たくさん届いたので全戸に配ることにしました。

突然「村上方」という住所で年賀状が届いたら、受け取った人は誤配と思うことでしょう。
それで、このような事情でお届けしますと言う手紙を付けて配りました。
一人暮らしの人には3枚、高齢のご夫婦の人には2枚、子供たちには子供が書いたものを2枚、その他の人には1枚づつ。
110戸の小川仮設。全戸に配ったらなんだか幸せな気持ちです。

配った年賀状のお年玉くじが当たることを祈っています。

年賀状を送ってくださった世界中の人に感謝です。
ありがとうございました。

おかげさまで、小川仮設は、あたたかい優しさに満ち溢れた新年が明けました。
今年は良いことがいっぱい起きることでしょう。

新年早々幸せ気分でいっぱいです。胸がいっぱいで、目から溢れてきます。

# by asahikanokami | 2013-01-04 15:08 | 避難生活 | Comments(6)

新地の一本松

今朝、一本の電話を受け取りました。

「まだ、東北お遍路のポイント募集をしていますか?埒浜に立った一本だけ残っている松があるんだけど。たぶん、宮城県の亘理から福島県のいわきまでの間で残っているのは、あの一本だけだと思う」

それは絶対に、メモリアルポイントに推薦しなきゃと、さっそく、カメラを持って出かけました。
埒浜は、新地町の中でも特に被害が大きかったところです。
宮城県に通じる道路は流されてしまい、いまだに開通していません。道路も現在復旧中です。
そういう危ないところを走るときは、もちろん、我が家の運転手さんの出番です。

一緒に、がたがた道を走って浜に行って見ました。

立ち枯れている松の中で一本だけ青々と茂ってる松がありました。
あたりの松は、枯れているのに、たった一本だけ、上の方が青々としています。

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そばに行って
「あなたは、頑張っているね!」
って声をかけたら、ふっと涙が出ました。

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あたりを見ると、1年9か月たっても、茫々たる枯れ野の中に、家屋の土台がそのまま残っています。
以前、ここで確かに生活していた人がいたのです。
幸せな生活があったのです。

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きっと、今は、仮設で生活していることでしょう。
狭くて不便な仮設。でも、その中で、変わらずに幸せに暮らしていてくださるようにと祈ります。

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風が海から吹いてきます。
寒風が目に沁みる・・・・・涙が止まらない・・・・・・・・。

# by asahikanokami | 2012-12-27 14:03 | 避難生活 | Comments(8)

宝物になった悲しみ

やっと、いろいろな行事を消化して・・・・・と書きたいところですが、今夜は仮設でクリスマスパーティです。
まぁ、ちょっとだけ心に余裕のある時間が持てたので、ブログをアップ。

今年を振り返ってみると、今年ぐらいいろいろな人と知り合いになれた年はありません。
本当に多くの方と出会い、そしてご縁を結ぶことができました。幸せな一年でした。
ありがとうございます。

出会う人たちに、必ず言われるのが
「大変ですね。がんばってください」
という言葉です。
私自身は、そんなに大変なことだったとは思えないのです。(いや、冷静に、客観的に見たら、ものすごく大変なことだった)

津波が襲ってきたのを見たとき。原発の事故で外出を禁止されたとき。鉄骨だけが残った我が家を見たとき。
瓦礫と化した我が家が取り壊されて更地になった時。
これから先、どうなるのだろうかという不安とともに、悲しみが押し寄せてきて号泣しました。
人前で声を上げて泣くなんて、娘が死んだ時以来です。

それでも、思いました。
「あの時に比べたら、これしきのこと、大したことではないわ」

そう、、あの時、娘が癌だと知った時、命の期限を告知された時、亡くなった時、それからの日々・・・・・。
あの時の悲しみや苦しみに比べたら、福島弁で言うと
「こんなこと、あの時に比べたら屁でもねぇべ」
とおもいました。

あの時は、悲しくて、悲しくて、もう悲しいという領域をはみ出して、自分自身が狂うかもしれないという恐怖を抱えて生きていました。
毎日、安定剤と導眠剤を飲まないと生活できませんでした。
私の危うい精神をかろうじて支えていたのは、年老いた舅の面倒を見なくちゃという思いと、女将という仕事でした。
あの時ほど、仕事があって良かったと思った日々はありません。
お客様と一緒にいるときには、娘の病気のことを忘れられました。
お客様の笑顔に、心が救われるのを感じました。お客様には、本当に支えていただいたと思っています。

私はずっと、ずっと、娘を亡くした事を不幸だったと思っていました。いや、今でも思っています。

でも、あの悲しみと苦しみを乗り越えて(まだ、乗り越えている途中かもしれないけど・・・)来たからこそ、震災と津波被害と原発事故被害という大変なことを、「屁でもない」と思えるのかもしれません。

そう思うと、あの悲しくて苦しかった日々が宝物のようです。
不幸だったことは、いつまでたっても幸せにはなりませんが、それでも人生の宝物にはなるんですね。
どんな不幸でも、人生の宝物になる瞬間が来る、そう津波に教えてもらいました。

だから、どんなことがあっても、涙を拭きながら、顔をまっすぐに上げて、時には歯を食いしばっても、大地を踏みしめて歩いていきましょう。

# by asahikanokami | 2012-12-22 09:31 | 避難生活 | Comments(9)

カラスのお弔い

被災後、誰からともなくこんな会話が飛び交いました。

「カラスがいっぱい飛んでいる下を探すと、遺体があるらしいよ」

「遺体捜索の時には、カラスがいる下を念入りに捜索するんだって」

ウソかまことかと、半分疑っていたのですが、毎日、避難所のそばの瓦礫にカラスが来るのが気になっていました。そしたら、悲しいことに、瓦礫の下からお子さんの遺体が見つかりました。


福島県は、山脈が二本縦に走っているので、浜通り、中通り、会津地方と三分割されます。
中通りの人から、昨年は中通りではカラスを見かけなかったと聞きました。今年はいつも通りにカラスがいるそうです。

「たぶん、カラスが浜通りにお弔いに行ったから見かけなかったんだねって話していたんですよ」
と、その方は言いました。

松谷みよ子さんの絵本の中に、カラスのお坊さんの話があったと思います。


すこし むかし からすがたくさんいる 村があって、男たちは みんな戦争にいきました  
戦争でたくさんの人が死んでいったのです

するとその村から からすが一羽もいなくなったのです
ひとりのおばあさんが言いました。
「からすは 海をこえて おとむらいにいったんだよ。からすがぼうさまになって おらたちの代わりにお経を上げに、南方へ行ったんだよ」

そして 戦争が終わるとまた元のように、村にからすがもどってきました。

こんなお話しだっと思います。


黒いカラスは、お坊様の黒い衣のように見えるからか、昔話に出てくるカラスは死と結びついていることが多いです。

もし、昨年、中通でカラスを見かけることが少なかったとしたなら、それはきっと、浜通りにお弔いに来てくれていたからでしょう。
びっくりするぐらいの数のカラスが、朝に夕に空に舞っていたのを思い出します。

# by asahikanokami | 2012-11-21 23:21 | 避難生活 | Comments(5)

話さないよ!

今年の夏、ある大学の学生さんからマイタウンマーケットの話を子供たちから聞きたいと言われました。
もちろん、すぐに承知をして、子供たちに
「大学生のおにいちゃんやおねえちゃんが来るからマイタウンマーケットの説明をしてくれる?」
と頼みました。

当日、子供たちは息せき切って下校してきました。ランドセルを背負ったまま集会場に飛び込んできました。
自分たちがやっているマイタウンマーケットのことを、大学生が聞きに来るというので、どの子も誇らしげな笑顔でした。

挨拶がすんで、ちょっと雑談をして、場が和んだ頃に一人の大学生が
「津波は見たの?」
と聞きました。
すると、今まで笑顔だった男の子の顔が険しくなり
「津波の話なら話さないよ!」
と、とても強い語気で言ったのです。

「マイタウンの話ならするけど、津波の話なら帰る!!」

大学生は相手が小学生だったから、きっと、深く考えずに軽い気持ちで聞いたのだと思います。
その強い語気に圧倒されたように次の言葉を失い、顔面が蒼白になりました。
聞いてはいけないことを聞いてしまったと後悔しているのが、その顔の表情から見て取れました。

いつもは元気な子供たちです。
いつもは明るい子供たちです。

でも心の深いところに津波が影を落としているのがわかりました。

昨日は、月曜日でエコたわし編み隊の例会がありました。
20名ほどが集まって、ワイワイと編み物をしました。

最近、ポツリポツリと津波の話をする人がいます。
でも津波の話をする人は少ないです。

反対に毎週大笑いしながら話すのは、被災前の思い出。

「〇〇じいさんは、花を作るのがうまかったなぁ。いっつも美しい花を庭いっぱいに咲かせていて、あの家の前を通るのが楽しみだった」

「んだ、んだ。そして花を褒めると、いだましがらないで(もったいないと思わないで)切ってくれた」
「死んでから10年は経つどな」
「もう早、15年にはなるべ」

「うちの近所が集まって、毎年暮れには餅を、10臼ぐらい突いた」
「んだがら(だから)あんたは餅つきの相取りがうまいんだべ」
「つきたての餅にジュウネン(えごま)を磨ってつけて喰った。んめぇがった(おいしかった)」
「あぁ、ジュウネン餅はうめぇ~~」

「11月は安波神社のお祭りだったべ。通り神楽が通って、神輿が禊のために海に入って・・・・」
「漁協の婦人部の余興があって・・・」
「あの余興の練習、大変だったけど楽しかった・・・」

思い出話は尽きません。
いろいろなことを、同じ経験した人に話すことが、一番の心の癒しになるのだそうです。
同じ経験をしたからこそ、同じ悲しみや心の傷があるからこそ、理解し合える、理解してもらえます。
わかってもらえたという安心。それが心を平穏にしてくれるのかもしれません。

「話さないよ!」
と言い切って、ほかの子供の心の動揺を守った彼。
「大人になったなぁ」
と、その成長が嬉しかったです。

# by asahikanokami | 2012-11-20 10:55 | 避難生活 | Comments(4)

ミシンクラブ

怒涛の日々を過ごしています。
何も予定の入ってない日は、10月は6日間、11月は5日間だけです。毎日何かあり、毎日出かけています。
楽しそうなこと、興味を惹かれることがあると、すぐに首を突っ込み、おまけに頼まれると嫌と言えない私。
この性分は治ることがなさそうで、これからも怒涛の日々が続くことでしょう。
で・・・・ブログの更新がなかなか出来ずすみません・・・・・・・。

まぁ、言い訳はこのぐらいにして本題です。
小川公園仮設にミシンクラブができました。

ブログ友達の久子さんから、ミシンを支援している団体があると教えていただきました。
その団体は「ふんばろう東日本支援プロジェクト」と言います。

早稲田大学の西條先生が、あの大津波のわずか一か月後に立ち上げて精力的に活動している団体です。
この団体の素晴らしいところは、支援したい人の心と支援してほしい人の心を結び付けてくださるところです。
いままでの支援の多くは、欲しい人にも、欲しくない人にも一律に行われました。
ピンポイントで支援していただけることはありがたいです。

ミシンが欲しいと申し込んだら5台も届きました。

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そこで、このミシンで何をしようかと相談しました。
「縫う布がないと何も始まらないよね」
と言っていたら、宮内さんというアンティーク家具やさんが、古い着物をたくさんプレゼントしてくださいました。

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さ~て!忙しいぞぉ!!
みんなでせっせと古い着物をほどいて、洗濯をして、アイロンかけて、バックを作りました。

横浜の山田さんという、以前、仮設に慰問に来てくださった手芸家の方がバックインバックの縫い方を伝授してくださいました。

こうして多くの方とのご縁が繋がってバック製作をしました。
本も買ってきて勉強しました。
こうしてたくさんのバックが出来上がりました。

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これを11月11日の「新地町産業復興祭」で売りました。

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利益は12月1日に小川公園仮設で開催される「マイタウンマーケット」a>で使います。

エコたわし編み隊の時には、どんどん人数が増えましたが、ミシンクラブは
「目が見えねぇがら」
「針に糸が通らねぇがら」
と人数が減って、現在は5名だけです。
でも、5名が楽しく活動していれば
「面白そうだがら、混ざっかな」
と参加者が増えると思っています。

# by asahikanokami | 2012-11-15 16:28 | 避難生活 | Comments(11)

緊急のお願いというか、お問い合わせというか

さっぱり更新してなくて、おまけにコメントのお返事も書かないまま、こんなお願いを書くことお許しください。

エコたわしのご注文をいただいていた人のリストを紛失してしまいました。
何人かは思い出しましたが、おひとり、どうしても思い出せない方がいます。

何度かご注文をいただいていた方で
「魚と亀のたわしを入れて40個」
という方、どなただったでしょう?????

今日、お送りしようと思い、リストを探したのですが見当たりません。
いつもこうなのよね・・・・・私・・・・・・・・。

ぼんやりしていて、うっかりもので、忘れ物の名人だからと自分にいつも言い聞かせているのに、なくしたり忘れたりする・・・・。決まった場所にきちんと置くように心がけているつもりなのに、あちこちに置いて探してばかりいる・・・・・。
この頃は、それに物忘れが加わりました。

本当にすみません。
心当たりの方は、非公開コメントでお名前をお知らせください。
40個が編み上がりましたが、明日、あさってと出かけますので、発送は18日になります。15日に発送するとお返事(たしか・・・・電話だったような・・・・・・)しましたのに、遅くなります。
本当にごめんなさい。

留守の間に、お名前がわかりますように!!

(ミシンクラブのこと、釣師地区の輪投げ大会のことなど、ブログアップしたいことがあるのですが、ちょっとお待ちください。結構忙しい毎日で

皆様、お騒がせいたしました。
解決いたしました。
ありがとうございました。


# by asahikanokami | 2012-10-15 20:57 | 私のこと | Comments(6)

嬉しい言葉

久しぶりにお得意様に会いました。
「朝日館!元気だったか?大変だったなぁ・・・・・・」

そうおっしゃって、無言になりました。しばらく言葉を探していらっしゃるように見えました。
そして
「朝日館が無くなって・・・・・おもしゃぐね・・・・」
って、泣きそうな声でおっしゃいました。

おもしゃぐねっていうのは、このあたりの方言で面白くないということ。

「朝日館が無くなって、いろいろなところを使っているけど、朝日館みだいな所は無ぇ…。頼むから旅館を再開してけろ(くれ)」

嬉しかった。涙が出るほど嬉しかったです。

そのお客様には、いつも接待に使っていただきました。
お帰りになるのは、必ず夜中過ぎでした。何時になっても、おっとっとがご自宅まで送って行きました。

我が家では、姑の代から(もしかしたらその前の代からかもしれません)お客様に
「お帰りください」
と言ったことがないのです。
「まだ帰らないのかなぁ・・・・・」
と心の中でつぶやきつつ、半分居眠りしながらお帰りになるのを待っていました。

時には夜中の2時ごろになっても帰る気配がなく、催促したいと思ったことが何度もありましたが、宴会のお部屋に行くとお客様がとても楽しそうにお話をしているので、お帰りを催促できませんでした。

「あのなぁ、ほかの所を利用したら21時には出されてしまうんだ。朝日館なら何時でも嫌な顔しねぇで酒出してくれたのになぁ」

そういうお話を聞くと、姑の商売方法は間違いなかったと確信します。
私のやり方は姑が教えてくれたままなのです。
それは、自分の都合よりもお客様の都合を考えること。簡単なようでとても難しいことでした。

姑は、とても優しい人でしたので、利益など考えずにサービスに徹していました。
「そこまでお客様に媚びなくても良いのに」
と、若い時にはずいぶん思いました。

姑が亡くなって、私が女将になった時、お手本は姑でした。いつも、なにか困難にぶつかると
「姑ならどうしたかな」
ということが、私の判断基準でした。
自分が女将になってはじめて、姑が媚びていたわけではないと気がつきました。姑はお客様が喜んでくれることをしていただけだったのです。
そして、今、改めて、姑に教えてもらった商売の方法は間違っていなかったと思います。

「朝日館、再開してけろ(くれ)」
という言葉は、何よりの嬉しい言葉でした。

# by asahikanokami | 2012-10-05 20:12 | 我が家のお客様 | Comments(7)

エコたわし編み隊の女子会

9月16日に、エコたわし編み隊の女子会をしました。

ブログに、エコたわしの在庫が山もりと書いたら、多くの方からご注文いただき、嬉しい悲鳴を上げています。
現在、編み上がるのを待って発送するという状態が続いています。

みんなに
「編んでね!注文が来てるから編んでね!」
と、会うたびに言っている私。
なんだか無理強いをしているようで気にしていました。
それで、慰労を兼ねて女子会をしました。たまにはお楽しみも必要ですものね。

お寿司を取って、芋煮を作って、ケーキも用意して、最後の打ち上げはビンゴ大会です。
ビンゴ大会の景品は、お友達からいろいろな品物を提供してもらいました。足りない分は、皆が喜びそうなものを買ってそろえました。

朝9時に、いつもの助っ人軍団が集会場のキッチンに集まってきてくれました。
小川仮設には、声をかけると手伝ってくれるおかあちゃんたちが数名いるのです。しかも、全員がエコたわし編み隊なのです。とても心強いです。
里芋を剥いて、大根やニンジンを切ってと、手際のよい作業が続き、あっという間においしい芋煮ができあがりました。

11時に全員集合して芋煮会です。
美味しい物を食べるとみんな笑顔になります。今回は26名の会員の内、19名が参加しました。

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その後のビンゴ大会は大盛り上がりでした。欠席者の分も抽選しました。自分のよりも代わりに抽選してあげた人の景品が豪華だったりして
「人生ってそんなもんよ」
という年配者の言葉は、それなりの重みと可笑しさがあり大笑いでした。

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毎週集まって編んでいるエコたわし、みんなの負担になっているのではと心配していました。
でも、多くの人から
「エコたわしのおかげで生活に張りが出てんだよ」

「この色とこの色と合わせるとどんなたわしができるかなと、自分で工夫しながら編むのが一番楽しい」

「何もすることがないから、たわし編むことだけが楽しみ」

「出来上がったたわしを並べて、このぐらい編んだなって満足するときが一番幸せ」

「孫に、毎日楽しそうに編んでいるねって言われたの」

「手を動かしている時、無心になれる」
などと言われました。

私も毎週月曜日が待ち遠しいのです。集会場でテーブルやお茶の用意をしていると、一人また一人と家で編んだたわしを持った会員が集まってきます。
みんな笑顔。
元気な顔が揃い、楽しくおしゃべりするのが何よりも楽しみです。

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毎週、100個出来上がるエコたわし。
どうぞ遠慮なく買ってくださるようお願いします(ただし発送は10月中旬ごろになります)

# by asahikanokami | 2012-09-17 16:16 | 避難生活 | Comments(19)