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「元気な時の私をおぼえていてほしいから、病室には誰も入れないで。病気だったことをおぼえていてほしくない。」
という娘の希望通り、病室には面会謝絶の札を下げていただきました。 「笑顔の私を思い出してね」 と、何度も言いました。 亡くなってから、辛くて開くことができなかったアルバム。 7回忌が終わって、やっと恐る恐る開きました。10年も前の話です。 どの写真も笑顔、笑顔、笑顔。 菜穂子の楽しそうな笑顔であふれていました。 そして、母はちょっとだけ安心しました。 あなたは人生を笑顔で送ることができたのね。良かった。 今日は、お盆。息子が迎え火を焚きました。 もしかしたら、朝日館があった釣師にうっかりと行ってしまい 「あ、違った!」 と今の家がある雁小屋に慌てて駆けつけたかもしれません。 こうしてパソコンに向かっていると、背中に菜穂子の気配を感じます。 ![]() お帰り。 おかあさんは、あなたの笑顔ばかり思い出していますよ。 #
by asahikanokami
| 2018-08-13 23:21
| 亡くなった娘の話
新地町農村環境改善センターで、震災前の釣師地区のジオラマの制作をしているというので見学に行ってきました。
釣師地区というのは、私たちが住んでいた地域です。 空撮した写真から建物の立体データを取り出し、3Dプリンターで作り上げていくのだそうです。 技術の進歩はすごいですね。 アナログ人間の私には、何度説明を聞いても理解できません。 「朝日館も出来てるよ」 と言われて、街並みを覗いてみたらありました、朝日館。 本館も宿泊棟も大広間も。物置まで再現されていました。 そして釣師の街並み。 お隣もご近所もそっくりそのまま復元されています。 ![]() ![]() 途端に何かがこみ上げてきました。 涙が止まらなくなりました。 嬉しい涙でもなく、懐かしい涙でもなく、悲しい涙でもなく、悔しい涙でもなく、何と言ったら良いのでしょう。 強いて言えば、そのすべてが混じり合ったような、自分でも不可解な涙です。 ここで生活をしていた。 多くのお客様に支えられて、女将をしていた。 女将の仕事は、楽しくて私の性にあっていた。 リピーターのお客様が多かったので、お客様と言うよりも親類の人みたいだった。 ほんとうに良いお客様に恵まれていた。 釣師港に上がった魚は、日本一おいしかった。 毎日、お客様のお膳のおこぼれが食べられて幸せだった。 娘の病気と死。それも含めて私の大事な人生の場だった。ここで過ごしたことが、宝物だ。 次々と頭に浮かんできて、一瞬で消滅したこの町がとても愛おしく思えた。 ちょっと涙ぐみながら、しんみりと街並みを眺めた。 「あのなぁ、ほら、ここにあったべ?知らねが?(知らないか?)」 静かな大会議室で、大声ではしゃいでいるのは、もちろん、あの人です。 「昔は、砂鉄を取っていたんだぞ。塩田もあった。知ってるべ?」 若い町職員をつかまえて、昔の事を聞いています。 あなたは、74歳です。 あなたが子供の頃と言ったら、70年も前のことです。 30代の若い職員の人が知っているはずないでしょ! ほら、困った顔をしてますよ。 ![]() 一緒に行こうと誘ったのが、ご近所の佐々木さんで良かった。 佐々木さんは、釣師生まれなので昔のことをよく知っていて、おっとっとの話し相手になってくれ ました。 おっとっとは、しんみりと思い出に浸るような場所には、向いていないのだと改めて再確認です。 1月9日から14日まで、ここで樹木や砂浜などを作って完成させるのだそうです。 復興推進課の皆さんが、一生懸命に作っていました。 ![]() 無くなった街並みを再現し残すことで、新地町の震災のことが後世に伝わります。 地震の時は、まず、なにをさておいても避難すること。 そのことを未来に伝承していきたいです。伝承こそ、最大の防災です。 家に帰ってきたら、暮に活けた白梅が、玄関の棚の上でほころんでいました。 春遠からじ。 ![]() #
by asahikanokami
| 2018-01-10 20:44
| 新地町の人々
長いこと休載していたブログですが、再開することにしました。
三日坊主にならないようにしないと! 「わぁっ!寝坊した!!」 初日の出の撮影に出かける予定だったのに、目を覚ました時間は、6時50分。 なんと、日の出予定時間だったのです。 寝ぼけているとおっとっとを起こして釣師浜に急ぎました。 すでに初日は昇り始めていて、すっかり顔を出しています。 浜に急ぐ私たちの車とすれ違うのは、初日を拝んで帰り道のクルマ。 運転しているのがほとんど顔なじみの人で、寝坊したのがバレバレと見えて、みんな笑って手を振ってすれ違います。 元旦からかっこ悪いなぁ・・・・・。 それでも良いこともありました。 みんなが帰った後なので、駐車場がすいていてどこにでも止めることができました。 まずは、初日を拝んで撮影開始。 風もなく、快晴でとても良い ![]() 浜辺ではたき火がたかれていました。 まだ残っている人たちが、思い思いにたき火を囲んで談笑をしています。 ![]() 毎月全国から集まってビーチクリーンをしてくださっているリバイバルFの皆さんが作ってくださいました。 新地町には、手を合わせる慰霊碑がまだ無いのです。 せめて、ここで手を合わせてほしいと、流木などで作ってくれました。 その慰霊碑も間もなく7年がたち、だいぶ痛んできています。 慰霊碑に手を合わせて、テントを張って温かい飲み物をサービスしてくれているリバイバルFの皆さんの所に向かいました。 ![]() これの話を書くと長くなるので割愛しますが、復興を願ってずっと掲げてくれているリバイバルFの皆さんの思いが詰まった旗です。 テントで、アツアツの玉蒟蒻とホッカホカの飲み物を頂き、冷えた体が温まり嬉しかったです。 ![]() ![]() 釣師漁港に戻って安波津野神社に初詣。 風がないのに波が荒くて、堤防を越してくるのを見た瞬間に、体がこわばりました。 あの日がよみがえります。 時々、ちょっとした瞬間に、あの日がフラッシュバックします。 でもね、と思い直しました。 あの日があったからこそ多くの人との出会いがありました。 そう思うと、たとえ辛い思い出であっても、それもすべて私の大切な人生です。 誰のものでもない、大事な私の宝物の体験です。 何はともあれ、こうして夫婦で元気に2018年の第一歩を踏み出すことができたのは、幸せという事です。 さて、いつまで続くかわからないブログですが、まずは、2018年の第一回目です。 ![]() ![]() #
by asahikanokami
| 2018-01-01 12:32
| 新地町の人々
今回のクルーズは、沖縄、そして台湾を回るクルーズです。
旅の途中で海外に行くので、海外寄港地に入港する前に、日本での最終寄港地で出国手続きが必要でした。 4日目は、朝起きたらすでに沖縄港に入港していて、朝食後は沖縄観光でした。 港に戻ったら、そこで出国手続きが待っていました。 パスポートの提出や、台湾への入国申請などを終えて、船に帰ってきました。 船の入り口でも、セキュリティチェックがあります。自分の手荷物と、お土産をセキュリティチェックの機械に通して、人間も、空港にあるようなチェックを通ります。 みなさん、すいすい通って行きます。すると後ろのほうで 「ビィー」 と警告音が鳴りました。後ろを振り返ると、警告音が鳴ったのは、おっとっとでした。 「あれ・・・・。何かなぁ。ポケットには何も入ってないし・・・・」 大慌てで、ポケットをひっくり返して見せています。 「あ!帽子だ!帽子の金具だ!」 帽子を脱いで通っても警告音がします。 「ベルトの金具かな?」 ベルトを外しても警告音がします。 どんどん焦っているのが手に取るようにわかります。汗が尋常でないぐらい噴き出しています。 「服を脱ぎましょうか?」 おっとっとの言葉に、検査員が大笑いして 「ノーサンキュウ。プリーズ」 と通してくれたのでした。 汗をふきふき 「俺の体は金でできているからなぁ」 などと、わけのわからないことを言いながら、検査所を後にしたのでした。 それにしても、時計もしていないし、アクセサリーの類は持っていないおっとっとに、なぜ警告音が鳴ったのでしょう。 時計もしていて、アクセサリーもしていて、靴にも金具がいっぱいついている私がスルーできたのに、不思議です。 ![]() #
by asahikanokami
| 2016-06-22 21:57
| 私のこと
ダイアモンドプリンセスの客室には、ジュニアスイートとスイート以外は、シャワーのみです。大浴場が15階にありますが、有料です。
90分の利用で15ドル。その値段を見て、シャワーだけで我慢しようと思っていました。 しかし、息子に 「せっかくダイアモンドプリンセスに乗るんだから、お金がもったいないなどと言わずに、お風呂に入ってきたらいいのに。良い思い出になると思うよ」 と言われて、思い直しました。 そうだよね。一生に一度のこと。(二度あってほしいと願ってはいるけれど)お風呂に入ることにしよう! お風呂は予約制です。夜は混むらしいし、昼なら海を見ながらお風呂に入れます。いろいろなアトラクションも、昼よりも夜のほうが充実しています。 それで、8日目の10時に予約を入れました。 おっとっとは、朝食が済むとすぐに、船内の写真を撮るといって出かけていきました。 「予約は10時だからね。遅れないようにしてね」 と言って送り出したのに、9時45分になっても帰ってきません。50分になっても帰ってきません。55分になったので、さすがの私も心配になりました。 部屋の入り口で待っていましたが、来ないのです。お風呂のフロントに電話をしました。 「10時に予約した村上ですが、主人が帰ってこないので10分ぐらい遅れます」 すると 「ご主人様は、ここでお待ちです」 まったく!!もう!! 急いで15階に上がって、お風呂に入ってきました。 大きな浴槽が4つ。そのうち2つは、天井がない露天風呂(危険なので全面はガラス張り)でした。しかもジャグジー!海を見ながら潮風に吹かれて入るお風呂は、ぜいたく極まりなくて至福のひと時でした。 空は晴れ、海は穏やかです。ミストサウナにも入りました。汗をかいて少し体重を減らしたいです。大きな浴槽が4つもあるのに、入浴している人は10人もいません。ゆくりとお風呂を楽しみました。 男湯は、ミストサウナではなくて、打たせ湯だったそうです。おっとっとは、話し好きの元関取の方とおしゃべりしながら、のぼせるぐらい入浴したそうです。 「いやぁ、俺よりもしゃべる人がいてびっくりした。よくしゃべるなぁ。ずっとしゃべっていてもう少しでのぼせるところだった」 たぶん、今頃、向こうも同じ感想を言っていると思いますよ。 #
by asahikanokami
| 2016-06-22 14:18
| 私のこと
「さすがに」
朝、顔を見たらむくんでいます。 「あらぁ、真ん丸な顔。二重あご・・・・・」 おなかもポッコリ。ということは・・・・むくんだのではなく、太ったのだ!! そういえば、朝もしっかり食べて、台湾に滞在中は、台湾の海鮮料理をしっかり食べて、夕ご飯もしっかり食べて、夕べに至っては、イタリアンのフルコースを食べてしまいました。 これではいかん!! 今朝は、サラダとヨーグルトとオレンジジュースだけにして、デッキをウォーキングしました。二周も。 この船の長さは、290メートル。幅は、38メートル。18階まであります。 各階ごとに、フロアの名前がついていて、私たちの客室がある12階は「アロハ」です。 七階には、「プロムナード」という名前がついていて、その名前の通り、船のデッキを一周ぐるっと散歩ができます。潮風に吹かれながら、船の外周をめぐることができるのです。 今日は、歩かなきゃ! レストランから出てきたら、なにやら聞き覚えのある音楽が流れてきました。これを聞いたら、自然に体が動きます。 「ラジオ体操~~~!第一~~~!」 朝ごはんを食べに来た人も、足を止めてラジオ体操を始めました。大勢の日本人が、一斉に体操を始めたので、外人さんたちが、不思議そうな顔をしてカメラのシャッターを切っています。続いて第二体操。 ラジオ体操は、毎朝、7時から9時まで、10分おきに開催されます。 屋外の大型スクリーンにお手本の映像が流れるので、忘れかけている第二体操でもすることができます。 体がほぐれたところで、いよいよウォーキングです。大勢の人が、歩いています。 3日目にも、おっとっとと一緒にウォーキングしたのですが、その時は、数人しか歩いていませんでした。いかにもウォーキング上級者という感じの人ばかりでした。 たぶん、普段でも毎朝、歩いているのでしょうね。足取りの軽さが違いました。 でも、今日は、違います。速度もいろいろ。杖をついている人。老人カーを押している人。途中のデッキチェアで休んでいる人。時々立ち止まって写真を撮っている人。歩いているのか、しゃべっているのか、区別のつかないご婦人の集団。などなど。 それぞれが、それぞれに、歩くことを楽しんでいました。 こんなに大勢が歩いているということは・・・・・・・、皆さんも私と同病ですね、きっと。 後残すところ、明日一日。あさっては横浜に着きます。名残り惜しいなぁ。 今日は、これから一人15ドルを支払って、大浴場に行きます。 体験報告は、まて!次回!(お友達のにゃんこさんを真似してみました) #
by asahikanokami
| 2016-06-22 14:14
| 私のこと
現地のガイドさんが、時々
「きゃ、きゃ、きゃ」 と言います。どうやら運転手さんに言っているみたいです。 どういう意味か聞いてみました。 日本語だと 「行こう、行こう、行こう」 という意味なそうです。 「行こう」 と言う時は 「きゃ」 「ほらもう行こうよ」 と言う時は 「きゃ、きゃ」 「急げ!行くぞ!」 は 「きゃ、きゃ、きゃ」 なそうです。あまちゃんのドラマで有名になった岩手弁 「じぇ」 「じぇ、じぇ」 「じぇ、じぇ、じぇ」 に似ていて面白いなあぁと思いました。 ガイドさんは、出発の度に 「きゃ、きゃ、きゃ」 と、三度、結構早口で運転手さんに言っていました。 #
by asahikanokami
| 2016-06-22 14:09
| 私のこと
花蓮が、この旅の最終観光になりました。今日の、15時30分には、花蓮港を出港して横浜に帰ります。船に乗ったら、後は帰るだけです。旅は終わります。もっと乗っていたいです。残念です。 花蓮では、大理石工場を見学の後に、太魯閣渓谷に行きました。 台湾には三千メートルを超える山が、百幾つあるそうです。(数字は忘れました)そのうちの三分の一が、花蓮にあるのだとか。 バスで曲がりくねった道を走って行くと、切り立った崖が現れます。走っても、走っても、道の両側は切り立った崖です。風光明美。こんな風景のことを言うのでしょうね。 ![]() ガイドさんに聞いたら、広い道ができるまで、花蓮に住んでいる阿見族が使っていた道なそうです。幅は30センチぐらいだとか。足を踏み外したら、200メートル下の谷に真っ逆さまです。 あの高さで、30センチしかない道を歩くなんて、高所恐怖症の私にはできそうにありません。きっと足がすくんで、一歩も歩けないと思います。 進むもならず、戻るもならず。途中で泣きながら立ち止まっている私を想像しました。 戻れないなら、前に足を出すしかないです。恐怖に震えながらでも、一歩前に出るしかありません。泣きながらでも、歯を食いしばって一歩前に出るしかありません。 一歩ずつ進んでいったら、必ず、広い道に出ることでしょう。 人生と似てるなと思いました。 相次いで両親が亡くなり、次いで姑が亡くなり、追いかけるように娘までも亡くなりました。 あの時、私の足はすくんだままでした。歩くことができませんでした。しかし、舅が痴呆になり、次第に寝たきりになってしまいました。商売もしていたので、どうしても歩かないわけにはいきませんでした。 一歩足を出しました。また一歩。また一歩。 そのうちに、次第に普通の生活を取り戻すことができました。舅には申し訳ないのですが、あの時に、介護があったから、立ち直れた気がします。 そして、舅が亡くなり、そして、東日本大震災で被災してしましました。 でも、この時は、以前の私ではありませんでした。多くのことを乗り越えてきたことが、自信につながりました。娘を亡くすという、あの大変な経験に比べたら、旅館や自宅を無くしたことなど、がんばれば乗り越えられると思いました。これは、がんばっても乗り越えるのが難しい体験をしたおかげです。 花蓮の人たちも、一歩ずつ、一歩ずつ前に進んで、山を越えられたとき、きっと大きな勇気と生きていく力を持ったことでしょう。改めて、車が通れる道ができてよかったと、心の底から思いました。 #
by asahikanokami
| 2016-06-22 14:07
| 私のこと
7日目の朝6時。大音量の音楽で目が覚めました。
まだ夢を見ているのかしらと思いました。 実は、前日、隣の部屋の人が誕生日だったのです。なぜわかったかというと、ドアの前に「ハッピーバースディ」の貼り紙がしてあり、ハートの風船が二つ浮かんでいました。 そしたら、どうやら誕生祝をしているらしく、大音量で音楽をかけてダンスをしているみたいなのです。 音楽が聞こえてくるし、リズミカルな足音まで響いてきます。それは、深夜まで続きました。 その音が気になって、寝付けませんでした。 やっと寝たかと思ったら、また大きな音が聞こえてきたので、夢を見ているのだと思ったのです。 しかし、カーテンの向こうは明るくて、どうやら音は船の外から聞こえてきます。 バルコニーから覗いてみると、船が花蓮港に入港するところでした。港で阿美族の民族衣装を着た人たちが踊っています。 どうやら歓迎の踊りのようです。振付を見ていると、日本の盆踊りにそっくりです。 ![]() 船内で開催されるハワイアンダンス教室に行ってみたのですが、私のフラダンスは、どうしても盆踊りにしかなりませんでした。でも、これなら踊れます。 ![]() あわてて着替えして、大急ぎで朝食を食べて、出かける準備のために部屋に戻ると、皆さんはまだ踊っていました。かれこれ60分ぐらいになります。すごい体力です。 そしてそのまま帰らずに残っていて、観光バスが出発するのを見送ってくれました。 下に降りて、踊っていた人を見たおっとっとが 「12階から見たときは若いと思ったのに、近くで見ると年増だなぁ」 などと失礼なこと言います。 年増だろうとなんだろうと、一時間以上も踊り続けた体力に脱帽です。 みなさん、歓迎の踊りを踊ってくれてありがとうございました。 ![]() #
by asahikanokami
| 2016-06-22 14:04
| 私のこと
人は、自分が興味があることしか見ないし、覚えていないのではないでしょうか。
以前、こんな経験をしました。 南イタリアのツアーに参加した時に、仲良くなった方もブログを書いていました。帰国後、それぞれのブログを読む楽しみが増えたと、二人で喜び合いました。 いざ、ブログを読んでみたら、お手も面白い事に気が付きました。 名所旧跡の写真は同じなのに、そのほかの写真が全く違うのです。絵が趣味のその方は、咲いている花とか、路地の猫とか、民家の玄関とか絵になりそうなものばかりアップしていました。 一方私はといえば、おっとっととの珍道中や夫婦の会話、食いしん坊丸出しの食べ物の写真が多かったのです。 同じコースを歩いてきたのに、私が覚えていない風景の写真もありました。ガイドさんの説明で、きっと見たと思うのですが、その風景を見た記憶がありません。 きっと私は、その時に、八百屋さんに売っていた見たこともないほど大きなレモンとか、絵本に出てきそうな典型的なお婆さんとか、そんなものに気を取られていたのかもしれません。 見たことは見たのでしょうけれど、記憶には残らなかったのでしょう。興味のないものは、見ても記憶に残らないのだと感じました。 それぞれが、旅のブログが終了したときに 「私たちは、同じツアーでしたが、同じ旅ではなく、それぞれの旅をしてきたんですね」 と感想をメールしたことを思い出します。 夫婦は一心同体と言います。 いえいえ、それは違います。少なくともわが夫婦は、二心二体。 命は別々。人生も別々。旅の興味も別々です。 今回の旅で、そのことを再確認しました。 これから、おっとっとが私のいうことを聞いていなくても、怒らないことにしましょう。 彼には、彼の人生があり、興味があるのですから。おっとっとの興味のないことは、馬耳東風なのですから。 人はそれぞれです。(納得!!) #
by asahikanokami
| 2016-06-20 21:48
| 私のこと
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