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同級生たちにたくさんのお土産をいただきました。
龍泉洞(鍾乳洞)の水、その水で入れた缶コーヒー、その水で仕込んだ大吟醸、山菜、豆、お菓子、ヨーグルト、地大根、わかめ、ドライフラワー、ワサビ、ワサビ入りマヨネーズなどなど。 そこで昨日はいただいたもので夕食の準備。 使ったのは、タラの芽(山菜)、龍泉洞の水、ワサビ、そして地大根(後ろの赤いもの)。 地大根はお漬物にしてもおいしそうですが、ちょっと齧ってみたらさわやかな辛みがあるので大根おろしにしました。 そして作ったのはお蕎麦。久しぶりにそばを打ちました。 タラの芽は天ぷらにして、そばつゆも岩泉のお水で作り、ワサビと地大根のおろしでいただきました。 天ぷらの写真を撮ったところでカメラの電池が切れてしまい、料理の出来上がりの写真を撮ることができませんでした。あしからず。 岩泉町は香川県ぐらいに広い面積を持つ町ですが、そのほとんどが山で平地が少ないのです。山が多いということはそれだけ開発が遅れているということですが、自然の宝庫ということでもあります。 山菜やキノコなどがたくさんとれます。マツタケも多くとれます。 川はびっくりするほど澄み切っています。龍泉洞から流れる清水川を見たときに、息子(当時小学校一年生)が 「お母さん!誰がこの川にバスクリンを流しているの?」 と聞いたほど、きれいな水色をしています。 アユやヤマメなどの川魚の宝庫です。 子供のころは、ちょっと山に入ると、フキやワラビ、ゼンマイなどの山菜や、マツタケ、ナメコ、マイタケ、シメジなどのキノコや、山ブドウなどをとって食べることができました。 遠野に引っ越して一番のカルチャーショックは、山菜やキノコをお店で売っていることでした。買って食べるものだと思っていなかったからです。それもすごく高い値段が付いていてびっくりしました。 普段の食卓に、マツタケや天然ナメコやシメジやアユが載っていたことを考えると、なんて贅沢だったんだろうと思います。 でも、50年前の岩泉は日本のチベットといわれるほど辺鄙なところで、作物が取れなかったので主食は雑穀でした。給食はなくて、お弁当を持ってくることができない子供がクラスの四分の一ぐらいいたんですよね。 スクールバスもなかったし、片道3キロぐらい山道を歩いて通ってくる子も多かった。子供にとってはまことに過酷な環境だったと思います。 そんな状況をものともせず、元気に明るく育って来たわが同級生は私の自慢です。 お蕎麦を食べながら、いろいろなことを思い出してほろりとなりました。
by asahikanokami
| 2010-04-15 11:37
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