元朝日館の女将のてんてこ舞日記


東日本大震災で被災した小さな旅館の女将の日々
by asahikanokami
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フー太郎の森基金のこと

我が家のホームドクター今田かおるさんが
「今夜新妻さんを朝日館に連れて行くからお話を聞いて」
と電話をよこしたのは5月4日。超多忙のゴールデンウィーク中。

新妻香織さんのことやフー太郎の森基金のことはテレビや新聞などで少し知っていましたので、是非お話を聞いてみたいと思いました。

新妻さんはスレンダーな美人。「NPОフー太郎の森基金」という活動をしています。

旅行雑誌の記者だた新妻さんは、なぜか自分の人生は短いと思っていて、それなら思い通りに生きたいと、会社を辞めて単身でアフリカを旅行しました。

その途中、子供たちがボールの代わりにフクロウの子供を蹴って遊んでいるところに遭遇し、まるで浦島太郎と亀のように、お金でそのフクロウの子を買い取って一緒に旅行したのだそうです。何ヶ月か後、元気になったフクロウのフー太郎を森に帰してあげました。

その場所がエチオピアのラリベラの教会でした。

新妻さんがラリベラの教会の写真を見せて下さったとき
「あっ!ここ!!知っている!!行きたい教会だ!」
と叫んでしまいました。

そこは世界遺産の岩窟教会。大きな岩を十字にくりぬいて作った教会。
いつか行ってみたいなと憧れていた教会だったのです。

帰国後、新妻さんが一番に危惧したのは、そのうちエチオピアの緑は全滅するだろうということでした。そしたらもう人間も動物も住めない。一つの国が滅びる。

国土の60パーセントが森林だったエチオピア。戦争や内紛が続き、森林が燃料として伐採され続けました。戦災で焼けました。また人々は仕事が見つからないので炭を焼いて売って生計を立てたてていました。しかし伐採する人はいても、植林する人はいませんでした。

その結果、森林は国土の8パーセントまで減り、山は赤茶けた岩肌がむき出しになり、川は干上がってしまいました。干ばつによるひどい飢饉。伝染病の蔓延。そしてますます緑が切り倒されていくことになったそうです。

フー太郎が住む森が無くなる。旅行中に出会ったあの笑顔の子供たちの未来はどうなる。危機感を持った新妻さんは、とにかくラリベラに木を植えようと立ち上がりました。たったひとりで。

しかし一人の力など知れたものです。資金も集まりません。それでもなんとか、街頭での募金やマスコミや講演会を使っての宣伝など、がんばって資金を集めてラリベラに行ったのだそうです。

それなのに植林の許可は下りませんでした。許可を得るのに7年かかると言われたそうです。失意の日々。

その時奇跡が起きました。ラリベラ高校で植林の手伝いをしてくれるというのです。学校行事ということで種を蒔き、苗を育てて、木を育て、森があった場所に植林が開始されました。その後、小学校や教会などを巻き込んで、実に3万本もの木がラリベラに植えられたのだそうです。

植林と同時に教育も始めました。なせ植林が必要なのか、小さい子供から大人にまで説いて歩きました。

新妻さんの活動は次第に認められ、10年以上の活動で、日本の中でも支援者が増え、現在、ため池を8つ掘り、学校を4つ建て、3万本の植林を終えました。

そしてこれからもっと大きなプロジェクトを開始しているのだそうです。

炭を売らなくても済むように、ドライフルーツの工場を建てること。15万本の植林をすること。

感動しながらお話を聞きました。世の中にはすごい人がいるんだなぁ。私は自分の心配で精いっぱいなのに、私財をなげうち、困難をエネルギーに代えて頑張っている人がいる。

体が震える思いでお話をお聞きしました。

http://futaro.org/index2.php

フー太郎の森基金のこと_f0061402_22233038.jpg


(今田かおるさん、私、新妻香織さん)

by asahikanokami | 2010-05-14 22:15 | 友人のこと
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