元朝日館の女将のてんてこ舞日記


東日本大震災で被災した小さな旅館の女将の日々
by asahikanokami
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合同慰霊祭

今日は私たちの仮設住宅の隣の総合体育館で新地町主催の合同慰霊祭が行われました。

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大勢のご遺族や町民がお別れをしに行きました。

94名の方が祭壇に祭られていました。
写真を見たら亡くなられた方たちのことを鮮明に思い出して、涙がこぼれてしかたがありませんでした。

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町主催の式典には、遺体捜索や災害復旧を手伝ってくださった自衛隊の方が沢山参列してくださっていました。

また式典の間には、音楽隊の方の演奏もあり、しめやかな、厳かな、けれどもどこか温かい式典だったと思います。

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その後、新地町の龍昌寺さんが法要をしてくださいました。
その中で、法上さんがお説教で

「七日ごとの供養の中でも、特に大事なのが四十九日の法要と百か日の法要です。四十九日は大練忌といって、亡くなった魂がこの世からあの世に旅たつ日です。一方で百か日は卒哭忌といって、遺族がそろそろ泣くのをやめて前や自分の足元を見る時期ですよという日です」

とおっしゃったのが心に残りました。

家族を突然失った悲しみは、百日などという短い時間では到底癒されるものではありません。
しかし、悲嘆にばかりくれていても仕方が無いのです。泣きながらでも立ち上がらなければなりません。

遺族の方がご挨拶で

「忙しいと気がまぎれていますが、ふっとしたときに思い出してやり切れません。しかし、今日を境に、少しづつ日常をとりもどしていきたいと思います」

とおっしゃった言葉に泣かされました。

まだ30名近い人が行方不明です。3ヶ月が過ぎたので死亡届を出すことが出来るようになったそうです。死亡届を出すと弔慰金が出たり、保険がおりたりします。

でも、遺体が見つかるまでは、もしかしたらどこかで生きているのではというかすかな希望があるのでしょう。死亡届を出したくないというご家族が多いと聞きました。

私の場合は、娘の余命の告知をうけていましたので、その期間は気持ちの準備期間でした。
それでも、娘の死を何年も受け入れることが出来ませんでした。12年たった今でも、心のどこかで納得できないでいます。

それが突然ご家族をなくした人は、どんなにか動揺し辛かったことでしょう。そのお気持ちを察して余りあります。

20名もの和尚様が読経するのを聞きながら、心からご冥福を祈ってきました。

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あなた達が大好きだった新地町。生き残った私たちが、必ず、新地町を復興させます。どうぞ安らかにお眠りください。そして行方不明の方が一日も早く見つかるように、どうぞ見守ってください。

by asahikanokami | 2011-06-19 21:45 | 避難生活
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