元朝日館の女将のてんてこ舞日記


東日本大震災で被災した小さな旅館の女将の日々
by asahikanokami
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更地になって

震災で建物が残ったのは、我が家と漁協と下水処理施設と海華さんだけでした。

我が家は看板がそっくり残ったこともあり、格好の被写体として多くの方がカメラを向けてくださいました。
またご近所さんたちは、自分の家を探すのに
「オラ家は朝日館から南に何軒目だから・・・・・」
と探す時の目印にしたそうです。

その朝日館。

日に日に傾いてきて倒壊の危険が出てきました。
おまけに中に堆く残っている瓦礫から、なにやら臭いがするというので
「もしかしたら行方不明の人がいるかもしれない」
という情報が・・・・・・・・。

「朝日館さん、建物の中を捜索したいのですが、倒壊の危険があるので取り壊しても良いでしょうか」
という町役場からの申し出に、二つ返事でお願いしたのでした。

毎日、我が家を見に行っていたのですが、行方不明者がいるかもしれないといわれると、あまり気持ちの良いものではなく、自然に足が遠のくようになりました。

鉄工所の方が、毎日、毎日、解体をしてくれました。時々、宝物(?)が出てきて、その都度連絡が来ておっとっとが確認に出かけていきました。

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大抵は、写真だったり、息子の収集していたレコードだったり、砂だらけの衣類だったり。そのほとんどがそのまま捨てざるを得ない品物ばかりでした。

我が家には、釣師浜郵便局の払い下げの、古い金庫、それも縦横一メートルもあろうかという大きな金庫がありました。厚い鉄のドアは、二枚の鉄板の間に砂が入っていて、それはそれは重い金庫でした。

家の瓦礫の中に、きっとあの金庫はあるだろうと思っていました。鉄工所の方にも金庫のことを伝えておきました。

しかし、金庫はありませんでした。金庫の上の棚に置いた書類などは見つかったのに、あの重い金庫は跡形もなく消えていました。

息子が
「お母さん。あの金庫を持って行った人はがっかりしたでしょうね。旅館の金庫で、しかもあんなに大きな金庫だからさぞかし大金が入っていると思っただろうなぁ。きっと昼のうちに目星をつけて、暗くなってからクレーン付きのトラックで運んで、こっそり開けたんだろうなぁ。一円のお金も入ってなくてがっかりしたよね」
と大笑いしました。

そうです。我が家の金庫にはお金は入ってなくて、入っていたのは大事な書類だけだったからです。保健所の許可書。消防署の検査済み書。保険の証書などなど。

お金の入った壺も、金塊も出てこないまま(元から無いので当たり前と言ったら当たり前ですが)瓦礫は撤去され、我が家は更地になりました。

建物が残っているうちは、寂しさはあったけれど、まぁそれでも我慢できました。
しかし更地になったら・・・・・その寂しさは、何と言ったらよいのでしょう。
あたりに誰もいないのを確かめてから号泣してきました。

私は、子供のころから転勤族で、あまり土地や家に愛着がない人間です。
しかし、ここで生まれてここで育った、おっとっとと息子。その寂しさはいかばかりか・・・・。この私でさえ、号泣したのですから、おっとっとと息子の気持ちは察するに余りあります。

更地を歩くおっとっとの後姿。その背中から、あの人には似合わない寂寥感が漂っていると思うのは私だけでしょうか。

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庭は地盤沈下しています。ちょうどこのあたりに娘の桜が植えてありました。

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雑草のたくましさ。塩害にも負けぬ強い生命力に脱帽。

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瓦礫が片付いてどこまでも見える風景が悲しい。

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by asahikanokami | 2011-08-24 22:20 | 避難生活
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