元朝日館の女将のてんてこ舞日記


東日本大震災で被災した小さな旅館の女将の日々
by asahikanokami
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ありがとうございました

今年もあと一日を残すのみになりました。

きっと生涯で一番心に残る一年になることでしょう。

今日、妹の家に遊びに行って、お茶を飲みながらしみじみと語りあいました。

「おねえさん、被災したのが今年で良かったわねぇ」
「そうだね。もし、おじいちゃんがいたら、絶対に避難しなかったよね。三人で死んでたわ」

そうです。もし、寝たきりの舅がいたら、逃げなかったことでしょう。夜間に津波が来ても逃げなかったと思います。宿泊のお客様もどうなったかわかりません。

舅が亡くなった後で良かった。昼だったから宿泊客がいなくてよかった。
本当にホッとします。もし、お客様が亡くなるなどと言うことがあったら、と想像するだけで背筋が寒くなります。

新館を建設したときのローンも昨年秋に完済したところでした。息子も曲がりなりにも働いています。学生だったら、旅館を廃業して収入源が断たれた今、仕送りや学費に四苦八苦したことでしょう。

地震の被災に、グットタイミングと言うのはおかしいけれど、旅館を廃業するには良いタイミングだったと思っています。

こんなにも悲しい思いをしたのは、娘を亡くした時以来です。
友人やご近所さんや知り合いの訃報を聞くたびに、瓦礫になった新地町を見るたびに、涙を流しました。

更地になった我が家の跡に立った時。
おっとっとが廃業の書類に印鑑を押したのを見たとき。
仮設の集会場などで、お茶飲み話にポツリポツリと被災した話を聞くたびに。
親を亡くした子が、元気に遊んでいるのを見るとき。

まだまだ涙は止まりません。

3・11以降、どれだけ悲しい涙を流したことでしょう。

でも、それ以上に流れたのはうれし涙でした。

携帯が繋がったっとたんにいっぱい届いた安否のメール。
避難所に届いた支援の品々。
そしてガソリンもなくて、道路も瓦礫だらけなのに避難所に駆けつけてくれた方々。
遠くから仮設に来てくださった方々。

今、こうして思い出すだけでも涙があふれます。

先日、ご年配の方に
「なぁに、戦争時代のことを思い出すと、仮設は天国だぁ」
と言われました。戦中戦後、家を焼かれても仮設などと言うものはなくて、道端で寝るしかなかったことや、支援物資などと言うものもなく、雑草まで食べたことなどを話してくれました。

今はありがたいことに、雨露をしのげる仮設で暮らすことができ、暖房器具なども支援していただき、お餅やミカンも届き、本当に感謝していると手を合わせていました。

狭いし不便なことも多い仮設住宅だけれど、住めば都。それなりに楽しい生活を送っています。
ありがたいことです。

3・11.いち早く駆けつけてくれた自衛隊や消防署や警察の方々。小さいお子さんのいる人や、中には自分の家や家族も被災しているのに、誰一人何日も帰宅せずに、不眠不休でお世話してくださった新地町役場の方々。
二十四時間体制で診察してくださった赤十字病院のお医者さんたち。
炊き出しに来てくださったみなさん。
元気になるようにと歌や演奏や踊りで慰問に来てくださったみなさん。
そしてたくさんの義援金や支援物資をくださった世界中の皆さん。
頑張れと言ってわざわざ仮設まで来てくれた私のお友達。

こうして思い出すだけでも、どれだけ多くの方が支えてくださり応援してくださったことか。

今年の漢字は「絆」に決まりましたが、私の漢字は「感謝」です。
みなさん、ほんとうにありがとうございました。

来年の漢字は「一歩」になるように願って、今年のブログを終わろうと思います。
皆さんどうぞよいお年をお迎えください。

by asahikanokami | 2011-12-30 21:48 | 避難生活
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