元朝日館の女将のてんてこ舞日記


東日本大震災で被災した小さな旅館の女将の日々
by asahikanokami
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あの頃のこと

お正月も四日を過ぎました。

息子も明日から仕事です。お正月の間、食べてばかりいたので体が重くなったからと、今日は午後から鹿狼山に登りに行きました。

私は、ご近所さんと今年最初のお茶飲み会です。
そこで話題になったのは、避難所でのこと。

「必死だったどな・・・・・・」
という人がいて、みな無言でうなずきました。にぎやかだったお茶飲み会場は、しーんとしてしまいました。
胸に去来する思いは同じだったことでしょう。

まさかの津波。まさか自分が被災するなどと言うことがあるのだろうかと、信じられない気持ちで避難所に入り、そのまま2か月近く避難所生活をしました。夢を見ているような気持でした。

朝、目が覚めたら朝日館だったとはならず、避難所で目が覚めるたびに、津波が現実だったことを思い知りました。夢だったらと何度思ったことでしょう。

自分の家がどうなっているのかわからないと心配している間に、テレビも何もない部屋に原発の事故が伝えられた時の不安。これから先どうなるのだろうと暗澹たる気持ちになりました。

外出禁止の通達が出て、それでもやはり自宅が心配で、こっそりと見に行ったことを思い出します。
マスクを二重にして、帽子をかぶって行きました。はるか向こうに鉄骨だけになった朝日館を確認したときの悲しさ。
それでも「旅館 朝日館」と言う看板だけは、津波に耐えて無傷で残っていました。それを見たとき、どんなにか勇気をもらったことか。
これから先、何があってもこの看板のように胸を張って生きていこうと思いました。

そして狭い避難所での生活。
届けられる食材だけを使って作る150人の毎日三回の食事は大変でした。

中心になってくれたのは、半谷君と言う若い男性。自分も被災し、お母さんを亡くしているのに、皆のために毎日一生懸命に献立を作ってくれました。彼の陣頭指揮のもと、お母さんたちが料理を作りました。
「何もしないでいると、母のことばかり思い出して辛いから、こうして体を動かしている方がいいんです」

朝は5時には、仕事に出かける人のために朝食と、コンビニも開いてないときはお弁当まで用意してくれたのです。

けなげな彼に触発されて、お母ちゃんたちはがんばりました。彼がいなかったら、きっと、あんなにもがんばることはできなかったと思います。
毎日、毎日、なんとかして少ない種類の食材でおいしい食事を作ろうと皆が必死でした。

避難所にいた人たちは、自宅は土台を残してすべて流された人ばかり。そして多くの人が、家族や親類や友人を亡くしています。

泣いたら、愚痴をこぼしたら、自分が崩れてしまいそうで、冗談を言い、楽しい話だけをして、大笑いしながら頑張りました。

みんな必死で生きていました。

最初のころは歯ブラシもなくて、タオルもなくて、もちろんお風呂もなく、下着の着替えもなくて、今思うとすごく汚かったと思います。

誰も、文句ひとつ言わずじっと耐えて生活していました。小さな子供さえ、わがままを言わず我慢しているのがいじらしかったです。

「みんな、必死だったどな・・・・・・・・」

無言でうなずいた人全員が、きっと、あの頃の自分を褒めたいと思っていることでしょう。
頑張ったよね。どの人も、頑張った。必死に頑張った。

だから、きっと、今年は良いことがいっぱいあると信じましょう。

by asahikanokami | 2012-01-04 16:25 | 避難生活
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