元朝日館の女将のてんてこ舞日記


東日本大震災で被災した小さな旅館の女将の日々
by asahikanokami
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10か月過ぎて

今日で10か月過ぎました。

家族を亡くした人は、月命日が来るたびに悲しみを新たにしています。
あの頃は、夢中で、なんだか夢を見ているようで、悲しむゆとりもなかったのかもしれません。

最近になって、ポツリポツリと思い出話をする人が出てきました。

私も、最近は頻繁に朝日館での日々を思い出します。
泊ってくださったお客様のことを思い出します。

この間は、マダラのことを思い出しました。
そしたらマダラが食べたくなったのです。ちょうど、息子がいない日だったのですぐにスーパーに飛んで行って、マダラと白子を買ってきて、タラチリにしました。(息子は、魚は焼き魚しか食べません。タコやイカや貝類や白子などは苦手です)

久しぶりのタラだったので、すごくわくわくしてお料理しました。

お鍋に入れて、煮え始まったら・・・・・・・なんかちょっと違うのです。
えっ!なに??この匂いはなに???

タラのあのおいしそうな匂いがしないのです。
白子を入れたら・・・・・・・やはりちょっと違うのです。
えっ!なにこの白子・・・・・・。

白子は熱が入るとちょっと縮んでふっくらとします。でも白子は縮んだけどふっくらとなりません。
そして一番の違和感は、この香りです。おいしそうな香りがしません。

あれ?あれ?と思いながら、箸を入れて口に運ぶと、やはり、美味しくありませんでした。

今までは、捕れたての、浜に上がったばかりの魚ばかり食べていました。白子などは、生でポン酢をかけただけで食べていました。おいしかったこと!!ほっぺが落ちました。

先日買ってきて煮たカレイも、今まで食べていたカレイとは全く別物でした。

そして思いました。

あぁ、私はなんて幸せな日々を送っていたのだろう。
魚好きの私にとって、朝日館での生活は、本当に幸せな日々だったなぁ。
失ってみて、あの日々がどんなに幸せな日々だったかと気が付きました。

カニもアンコウタコもカレイもサクタロウもスズキもヒラメも・・・・・・と魚の名前を思い出すだけでも、美味しかった思い出がよみがえります。

おっとっとが魚をさばくときに、そばにくっついていて、端っこの方やアラなどをくすねて食べるのが至福の時でした。捕れたての魚は、アラ汁やアラ煮だっておいしくて、おいしくて箸が止まりませんでした。

釣師浜に上がった魚は、どれもおいしくて、どの魚も甘みと弾力と良い香りがありました。

でも、悲しいかな、スーパーで買ってきた魚は、魚の形はしていても、香りもなく、味もなく、弾力もありません。

福島の魚は、まだ数値が高くて漁が禁止です。
でも漁が解禁されても、はたして、買って食べてくれる人はどのぐらいいるのでしょうか?

「毎日、触るのは瓦礫ばっかりで・・・・・たまには生臭い物に触りでぇ~どなぁ・・・・・・」
ご近所の漁師さんの嘆きが聞こえてきます。

代替えの候補地は決まりましたが、元居た土地の価格や代替え地の価格が決まらないので、その先が進みません。国の方針が決まらないので、県も何も決められず、ましてや町も決められません。
方針が示されないままに年を越しました。

小さなお子さんがいる人や、お年寄りがいる人は、早く家を建てたいと思っています。
また、反対に、保険に入っていなかったり、お年寄りのご夫婦だけだったり、一人住まいだったりしている人は、家は建てずに支援住宅に住みたいと思っています。

そのすべてが、国の方針が決まり、代替え地の造成が終わらないと、どうしようもありません。

原発の除染にしても、除染瓦礫の中間貯蔵地にしても、10か月たっても何も決まってないのです。

by asahikanokami | 2012-01-11 13:59 | 避難生活
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