元朝日館の女将のてんてこ舞日記


東日本大震災で被災した小さな旅館の女将の日々
by asahikanokami
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釣師地区ジオラマの作成

新地町農村環境改善センターで、震災前の釣師地区のジオラマの制作をしているというので見学に行ってきました。
釣師地区というのは、私たちが住んでいた地域です。
空撮した写真から建物の立体データを取り出し、3Dプリンターで作り上げていくのだそうです。
技術の進歩はすごいですね。
アナログ人間の私には、何度説明を聞いても理解できません。

「朝日館も出来てるよ」
と言われて、街並みを覗いてみたらありました、朝日館。
本館も宿泊棟も大広間も。物置まで再現されていました。
そして釣師の街並み。
お隣もご近所もそっくりそのまま復元されています。
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途端に何かがこみ上げてきました。
涙が止まらなくなりました。
嬉しい涙でもなく、懐かしい涙でもなく、悲しい涙でもなく、悔しい涙でもなく、何と言ったら良いのでしょう。
強いて言えば、そのすべてが混じり合ったような、自分でも不可解な涙です。

ここで生活をしていた。
多くのお客様に支えられて、女将をしていた。
女将の仕事は、楽しくて私の性にあっていた。
リピーターのお客様が多かったので、お客様と言うよりも親類の人みたいだった。
ほんとうに良いお客様に恵まれていた。
釣師港に上がった魚は、日本一おいしかった。
毎日、お客様のお膳のおこぼれが食べられて幸せだった。
娘の病気と死。それも含めて私の大事な人生の場だった。ここで過ごしたことが、宝物だ。
次々と頭に浮かんできて、一瞬で消滅したこの町がとても愛おしく思えた。
ちょっと涙ぐみながら、しんみりと街並みを眺めた。

「あのなぁ、ほら、ここにあったべ?知らねが?(知らないか?)」
静かな大会議室で、大声ではしゃいでいるのは、もちろん、あの人です。
「昔は、砂鉄を取っていたんだぞ。塩田もあった。知ってるべ?」
若い町職員をつかまえて、昔の事を聞いています。
あなたは、74歳です。
あなたが子供の頃と言ったら、70年も前のことです。
30代の若い職員の人が知っているはずないでしょ!
ほら、困った顔をしてますよ。

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一緒に行こうと誘ったのが、ご近所の佐々木さんで良かった。
 佐々木さんは、釣師生まれなので昔のことをよく知っていて、おっとっとの話し相手になってくれ
 ました。
 おっとっとは、しんみりと思い出に浸るような場所には、向いていないのだと改めて再確認です。  


1月9日から14日まで、ここで樹木や砂浜などを作って完成させるのだそうです。
復興推進課の皆さんが、一生懸命に作っていました。
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無くなった街並みを再現し残すことで、新地町の震災のことが後世に伝わります。
地震の時は、まず、なにをさておいても避難すること。
そのことを未来に伝承していきたいです。伝承こそ、最大の防災です。

 


家に帰ってきたら、暮に活けた白梅が、玄関の棚の上でほころんでいました。
春遠からじ。
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by asahikanokami | 2018-01-10 20:44 | 新地町の人々
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