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前に日記の、同級生のあっつぁんのコメントに、「志たあめや」という名前を見たときに、懐かしさで涙が出そうでした。
生後一カ月目から1歳ごろまで、岩泉町の尼額という所の前角地さんの言うお宅の離れを借りて住んでいました。もちろんその当時の記憶はありません。 母がおっぱいが出過ぎて困っている時に、おっぱいが出なくて困っている人がいると聞きました。私よりも一日早く生まれたT君。母は毎日私を連れてТ君の家に通っておっぱいを飲ませたそうです。 両方のお乳を二人に吸わせても、それでも余ってしまって痛くて痛くて困ったらしいです。まるでホルスタインみたいな母です。牛だったらさぞかし高値で取引されたことでしょう(こんなこと書いたら天国の母に叱られそう) その時にТ君の家に通うのに、町はずれの尼額よりも町真ん中の方が便利だと、志たあめ屋さんのお向かいのかたろうさん(どういう字を書くのかわかりません)という方の二階に引っ越しました。 次に国鉄バスの独身寮の管理人として独身寮に引っ越すまでの一年ぐらいをそこで過ごしました。Т君の家も近所で、母は毎日Т君の家に通っていました。私はずいぶん大きくなるまで、Т君の家族に本当の孫のように、かわいがってもらいました。ありがたかったです。 さて私の一番古い記憶。 それは、大勢の人たちが大騒ぎをしながらお店を出たり入ったりしているのを二階から見ている記憶。 「みっこ。ここでおとなしくしていなさいよ」 と母に言われたような気がします。 後に母にそのことを確かめたら、それは火事の時ではないかというのです。志たあめ屋さんだったのか、お隣の亀やさんだったのか、そこの記憶があいまいですが、ボヤがあったらしいです。 その時私は2歳。両親は、そんな幼い頃の事を覚えているはずがないと言いました。 でも覚えているんだよねぇ・・・・。 白い服(下着?)を着たおじさんが大きな声で騒いでいた・・・・・。いっぱい人が集まってきたので、面白くて見ていた・・・・。消防車か消防ポンプが来たかもしれないけれどその記憶はありません。 もしこれが本当に火事の時の記憶なら、確かに 「ここでおとなしくしていなさいよ」 と言ったと母は言いました。そう言い残して私を一人家に残して、夫婦で消火の手伝いに行ったと。 だけどねぇ。まったくうちの両親ったら!! お向かいの家が火事の時に、二歳の子供をたった一人、二階の部屋に置いて出かけるなんて! もしこちらに延焼してきたらどうする気だったのかしら??私の事、心配じゃなかったのかしら?? 残念なことに、両親が存命中に、このことを確かめるのを忘れました。 天国に通じる電話があったなら、両親にぜひ確かめてみたいです。 「おとうさん、おかあさん!私を一人残して消火を手伝いに行って、私の事心配じゃなかったの?」 ▲
by asahikanokami
| 2010-02-22 21:36
| 私のこと
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4年前。2006年2月17日の私のブログです。4年たっても思わず笑ってしまう思い出です。
******************************** 今日、歯医者さんの待合室での出来事。 隣に座った老婦人。どうやら私が朝日館の女将と言うことを知っているらしいのです。しきりに話しかけてきます。 どこかでお見かけしたようなお顔ですが、はて??どなたでしたっけ?? お聞きするのも失礼なような気がして、話の内容から謎解きの糸口を探すことにしました。 「オリンピックが始まりましたね。メダルがなかなか取れませんね」 とりあえずは差し障りの無い話から。 「ほだね(そうですね)。トリノオリンピックって人間のオリンピックだったのね」 「えっ?」 「トリノオリンピックだと思ってたの」 「そうですよ。トリノオリンピックですよ」 「いや、私ね、鳥のオリンピックだとばり(ばかり)思ってたの。ほれ、お空を飛んでる鳥。始まったら人間のオリンピックだったのねぇ。いやぁ、驚いたぁ~~」 笑うわけにもいかず、必死にこらえた私です。 鳥のオリンピックかぁ~。 ニワトリがスキーを履いて、孔雀がスケートを履いて、う~~~む、メルヘンですねぇ~~。 今日一日、鳥のオリンピックと言う言葉を何度も思い出しては、大笑いをしました。 で、結局そのご婦人がどなたかという、肝心なことはわからずじまいでした。 ▲
by asahikanokami
| 2010-02-18 21:17
| 私のこと
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おっとっとと男子フィギィアスケートの試合をテレビで見ています。
仕事が手に付かない。 高橋選手、小田選手、メダルに手が届きましたね。あさっては頑張ってほしい。 試合を見ながら、出場する選手全員に 「あぁ・・・おしい!手をついちゃった・・・・。あらまぁ、回転が遅いなぁ」 などと批評している私におっとっとが言いました。 「おまえなぁ、リンクの上でスケート靴履いて一回転でもしてみろ。出来るか?出来ないべ? いや、一回転なんかしなくても良い。ぴょんととび上がってみろ。出来るか?出来ないべ?出来ない者が、出来る人に対していい加減な批評をするもんではねぇ」 「・・・・・すみません・・・・」 調子に乗ったおっとっとは続けました。 「なぁ。オリンピックに出ている人はみんなすごいんだぞ。 国を代表して出て来てんだから。金メダルの人も最下位の人も、全部すごい力量なんだからな。 もしおまえが、スケートリンクの上で一回でもぴょんと跳ねたら、俺がお前に金メダルをくれっから」 ごもっともです。 でもおっとっとよ。 私は若いころ(はるか昔になってしまったけど)仙台市の八幡にあったスケート場に足しげく通っていたんですよ。こう見えてもスケートぐらいはできます。ぴょんと跳ぶどころかくるりと廻れます。 いや、きっと・・・廻れると思います・・・たぶん・・・ちょっと練習すれば・・・・いや、練習しても・・・出来ないこともあるかも・・・・しばらく滑ってないからなぁ・・・・出来る自信はないけど・・・・今となっては・・・無理かもしれない・・・・・・。 とにかく、それはそれとして 高橋選手、小田選手、がんばれ~~~~!! ▲
by asahikanokami
| 2010-02-17 14:23
| うちのおっとっと
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滞在宿泊のお客様。
いつもは飲まないのに、珍しく 「女将さ~~ん!ビールくださぁ~~~い!!」 と今夜はすごく元気がいい。 「今夜は祝杯をあげるべと思ってね」 「あら!何か良いことがあったんですか?」 「山形出身の加藤選手が銅メダルとったから、同じ山形の者としては、やっぱり今夜は祝杯を上げねぇどなぁ」 「加藤選手の実家の近くなんですか?」 「違う。すごく遠い。だども、同じ山形県出身だからさ、山形県民は祝杯を上げてやらねぇば具合悪いべぇ」 長嶋選手、加藤選手。銀メダル、銅メダルおめでとうございます。 山形県民はもちろんのこと、日本中が大喜びしていますよぉ~~~~~~!! ▲
by asahikanokami
| 2010-02-16 21:57
| 我が家のお客様
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私はインターネット句会というのに参加しています。
私が俳句を作ると聞いたら驚く人も多いことと思います。そうなんです!能ある鷹は爪を隠すって言うでしょ!! って言うのは冗談で、舅が結構名の知れた川柳作家だったので、句を作ることにいつも憧れていました。 でも私には作れないとあきらめていました。 ある時、インターネットで知り合ったお友達から句会に誘われました。素人ばかりの句会。楽しむことと日本語の美しさを知ることを目的とした句会。 面白そうだなと思って参加しました。だって両親がつけた私のあだ名は「もの好きみっこ」ですから。好奇心旺盛というか、ミーハーな私。面白そうと思ったらすぐに飛びつくのです。俳句など作ったこともなく、まして俳句について何の知識もないのに。 主宰する方から一年に5、6回、句会開催のメールが来ます。そうなるとにわかに忙しくなります。ポケットには常時ペンと手帳。お洗濯をしながら、お掃除をしながら、ときにはぼーっとしながら、指を折って、大急ぎで句をひねります。 川柳と違って、俳句には季語があります。季語を手掛かりにすれば、その分簡単に句作ができるかなと思った私は浅はかでした。川柳は川柳のむずかしさがあり、俳句には俳句のむずかしさがあるのです。 私が参加している句会は添削してくれる人はおりません。どんな句でも作った人に敬意を表し、句を作った時の気持ちを想像し、その句を鑑賞することになっています。 句会のたびに5句投句します。投句者全員の句をシャッフルして、一覧表になったものが送られてきます。その中から自分が好きな句を5句選び、さらにその中から特選句と準特選句を一句づつ選びます。そしてそれぞれ選んだ句全部に、自分の感想やこの句を選んだ理由を書いて送ります。 特選句は5点、準特選句は3点、他の選ばれた3句には1点が入り、合計されて、句会の特選句と準特選句が選ばれます。特選句に選ばれようものなら、天にも昇る心地です。 私は最初不安でした。添削してもらえなかったら上手にならないのじゃないかと。誰かにしっかりと、俳句を教えてほしいと思ってました。教えてもらわなきゃ上達しないのではないかと不安でした。 最初は標語なのか俳句なのかわからないような句が並びました。ますます不安になったのですが 「まぁいいか」 とそのまま参加し続けて、なんと今年で4年目になり、句会も19回を数えます。 そして最近は会員の人たちの俳句の素晴らしいこと!確実に上達しています。誰にも教えてもらってないのに。添削してもらってないのに。 私は思い出しました。この句会は作ることに楽しみを見出す会だったといことを。 上達することが目的ではないのです。句の感想も褒められてばかりなので、作った本人はとてもいい気持ちです。おまけに自分が作った時の気持ち以上の感想が書いてあって 「ああ、そうか!そんな風に感じると私の句もなかなかのものだわい!」 と、改めて自分の作った句を見直すこともあります。 批判、批評がないから、会は極めて和やかです。会員の方とは一度も会ったことがないのに、なぜか親戚のような感じがするのが不思議です。 19回目の句会の投句期限が迫っています。5句ひねりださなきゃ! まだまだ寒い日が続いている新地。こう寒くっちゃ春の句なんて浮かばない。 句ができないのを寒さのせいにしています。 記せぬまま 忘れし一句 春炬燵 ▲
by asahikanokami
| 2010-02-16 12:43
| 私のこと
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「南相馬市で子ども読書活動の研修会があるんですが参加しませんか?」
と新地町立図書館からお誘いを受けました。 なぜ誘われたかと言うと、私は新地町図書館の読み聞かせボランティアに登録しているからです。 もっとも私がしているのは昔語りで、絵本の読み聞かせではないのですが、新地語ってみっ会のメンバーと新地町の昔語りの第一人者の小野トメヨさんと、絵本の読み聞かせのグループとが一緒になってボランティア活動しているのです。 月一回、各小学校での活動(読み聞かせと語り)そして一学期に一回づつ全員が集まっての勉強会。 そんなことでお誘いを受けたのでした。 最初はちょっと気乗りがしなかったのですが、なんと言っても今年は「国民読書年」しかも会場が昨年の12月にオープンしたばかりの南相馬市中央図書館というので 「こんなときでもないと南相馬市の図書館を見ることがないからなぁ」 と出かけてきました。 さてその図書館。原の町駅のそばと聞いて行ってみたのですが、駐車場の場所がわかりにくい。 「えっこんな所から?」 と思うような細い道を曲がってやっと車を止めました。 次に図書館があまりにおしゃれで入口がわかりにくい。見ず知らずの人のあとをくっついて行って、どうにか入ることができました。 ![]() 会場が図書館のどこなのか、行けば案内ぐらい出ているだろうからわかるだろうと、場所の確認もしないで出かけて来てしまった私。 しかし入口に案内がない・・・・・。 「すみません・・・今日図書館の会議・・・・・(会議の正式な名前も忘れた私)・・あの会議・・・どこでしょうか?」 いただいたパンフレットの見取り図を見ながら図書館内をうろうろ。 なにせ広いし、おまけに中が芸術的(?)な作りになっていてまるで迷路のようです。 ![]() 会場のマルチメディアセンターと言う所に行きつくまで、方向音痴の私は同じ所を3度もぐるぐると廻りました。 「あれ?ここはさっき通った所だよね???」 ![]() デッキテラスあり、子ども図書館あり、クラフトルームあり、野外劇場あり、サンルームあり、喫茶店あり・・・・と何でもあります。 ![]() 会議室や研修室、お茶室にも使える和室まで。それが細い通路やデッキ通路などで迷路のようにつながっていて、迷子になってしまいました。 ![]() 肝心の会議ですが、子供に読書をさせるにはどうするかという会議だったので、私はちょっと場違いな感じでした。 なぜなら、私は小学校が主な活動の場で、図書館で活動することはなく、また昔語りは基本的に本を必要としないからです。 資料として本を読んだりしますが、ほとんどのお話は語り継という形で伝承されています。 昔語りの勉強になるかなと期待して出かけて行ったのですが、それは私の見当違い。 「子供読書活動研修会議」ですものね。子供にどうしたらもっと本を読んでもらえるか、図書館を利用してもらえるかという会議でした。考えたらわかりそうなものなのに、ほいほいと考えもせずに出かける私って・・・・まったく・・・・ねぇ。 まぁ、それでも、図書館の司書の方の奮闘ぶりを知ったり、学校司書と言う方の存在を知ったことなど、それなりに勉強になりましたが、今日一番の収穫は、近代的な素晴らしい図書館を見ることができたことかな。 ![]() 良いお天気だったので、南相馬市までのドライブは気持ちが良くて、それなりに楽しい一日でした。 ▲
by asahikanokami
| 2010-02-09 23:50
| 私のこと
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いつからでしょう?スーパーやコンビニに恵方巻きというものが陳列されるようになったのは???
東北にはこんな風習はなかったはず。 西の方から、海苔屋さんや魚屋さんや乾物屋さん、そしてスーパーやコンビニの商魂たくましい人たちに乗せられて、東北にもあっという間にまん延してしまいました。 なんとお菓子屋さんにまで。ロールケーキが「恵方ロール」という名前で数種類並んでいました。 そしてその海苔巻きのお値段の高いこと!!それなのに売れること!!不景気だなんて思えないほど。 スーパーの海苔巻き売り場で、5本、10本と買う人たちを驚きのナマコでしばらく眺めて帰ってきました。 すぐに流行に乗る私のこと。もちろん作りましたとも!恵方巻き!! 海苔巻きなんて家で作ったら簡単なのになぁ。売っている値段の3分の1で出来るのになぁ。 ![]() 海苔巻き、ちょっといびつなのと、大きさがまちまちなのは、手作りということでご勘弁を。今夜宿泊してくださっているお客様にも、恵方巻きと豆をプレゼント。 今夜は客室からも 「鬼は外~~~~!!福は内~~~~!!」 と声が聞こえました。 皆さんに福が授かりますように。明日から春です。 ▲
by asahikanokami
| 2010-02-03 23:51
| 我が家の日常
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何年ぶりでしょう。映画館に行くなんて。25年・・・だいたいそれぐらいか、それ以上ぶりです。子供たちが小さいときに見に行って以来です。
若いころは母の 「お姑さんが遊びに行ってきなさいとか実家にっていなさいと言うなら良いけれど、嫁というものは自分から行きたいなどというものではありません」 という教えに縛られて、自分からどこかに行ってきますなどと言ったことはありませんでした。 お姑さんは優しい人だったから、もし行きたいと言ったなら 「行っといで」 と言って絶対に反対はしなかったと思います。でも昔の嫁さんは、どんなに行きたくても、自分からは言い出せなかったんだよねぇ・・・・。今の嫁さんが聞いたら 「馬鹿みたい」 って驚いて卒倒するか大笑いされるかも。 子育てが忙しかったこともあり、そして、子育てが終了したら、両親や姑、そして娘と相次いで看病の生活が待っていました。4人を送ったら今度は舅が痴呆になり、介護の日々。そして舅もなくなり、今や天下晴れて朝日館で一番偉い人になってしまいました。誰にも文句を言われない!言わせない!! 映画「アバター」が話題になっているので是非見たいと思っていました。でも一人で行くのもなぁ・・・・。 そこで一週間ほど前からおっとっとを懐柔する作戦を立てて実行していました。 「アバターって映画すごいらしいよ」 「ものすごく面白いんだって。大ヒットらしいよ」 「3DだからDVDで見てもおもしろくないんだって。やはり見るなら映画館だよね」 「名取のエアリで上映しているらしいよ。インターネット予約できるらしいよ」 「早く見に行かないと上演期間が終わるかもしれない。明日なら行くこと出来るんじゃない?一緒に見に行こうよ」 「ね、ね、、映画見てお昼を食べてこようよ」 こうして作戦成功。おっとっとと二人で、初めて一緒に映画館に行ってきました。 思い起こすと、結婚前も結婚後も一緒に映画館に行ったことが無かったのです。あと3か月で結婚39年になるのに、二人で映画館に行くのは初めてだったのです。 で、見てきました、アバター。 面白かった!! 反米、反戦の映画だとアメリカでは批判されているらしいけれど、確かに!! 悲しい場面でないのに涙があふれて、何度となく3Dのメガネをはずして涙をふきました。感動する場面がいっぱい。 ただ、私は高所恐怖症でスピード恐怖症なので、ものすごいスピードで飛んだり落ちたりする場面では、足の裏がむずむず、お尻と背中がもぞもぞしました。 映画館いいなぁ。また行きたいなぁ。見たい映画が来たら連れて行ってもらえるように、次の作戦を練ろうと思っています。 ▲
by asahikanokami
| 2010-02-02 17:01
| 私のこと
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